06 百合ヶ峰の○○神様
「安心しろ。こんなの無視して大丈夫だ」
「で、でも、個体識別番号とか書かれてるし」
「そんなの文字通り子供だまし、ハッタリだ」
「けど……金を振り込まないと法的処置――」
「いいか、長城。これはいわゆる、ワンクリック詐欺ってやつだ」
長城の心配を遮って言った。
「素敵な出会い、無修正、隠し撮り、アイドルのハメ撮り流出」
単語を呟く度に指折りしていると、長城はビクリと肩を震わせた。最後の言葉に心当たりがあったようだ。
「そうか長城。おまえ、アイドルのハメ撮りに釣られたのか」
「な、なんの――」
「アイドルのハメ撮りが見たかったんだろう」
「……はい、そのとおりです」
有無を言わさぬ声音を向けると、長城は肩を落として認めた。
「通学中に変なメールが来たとか言ってたな。どうせ内容は『あのアイドルのハメ撮りが流出!? 今すぐここまで』とでも書いてあったんだろう。そしておまえは、黒の逆三角形の下にあるURLを押した。どうだ、なにか間違ってるか?」
「なんでそこまで……」
すべてを見通す神を前にしたかのように愕然とする長城。
「あのメールはな、おまえのようなエロ小僧を釣って、この画面にビビって電話をかけてきた奴らから金を騙し取る。そういう詐欺へ誘導する類のものだ」
「じゃあ、債権回収会社ってのは……」
「来ない。何百回もこの手の画面を開いてきた俺が言うんだ。間違いない」
「そう、だったのか。よかった……よかった」
長城はその場で崩れ落ちるようにして膝をついた。安心したのか顔を覆って嗚咽を漏らしている。
今回のような問題を解決したのは初めてではない。中学生からやってきたことだ。
かつてはちんこやうんこで喜んできた小学生も、中学生にもなればおっぱいに思い馳せるようになる。道端や河原に捨てられるエロ本のありがたみを知る年頃というわけだ。そんなエロ小僧たちにパソコンを触らせたり、携帯電話を持たせたりしたらどうなるか。
おかずを求めてネットの海へ投げ込んだ釣り針に、ワンクリ詐欺がかかるのだ。
えー、ワンクリ詐欺!? だっさーい! ワンクリ詐欺にひっかかるのが許されるのは小学生までだよね! キャハハハハ。
というなかれ。ここは2000年代。子供にとってインターネットが身近な2020年代とは違うのだ。この時代の中学生のネットリテラシーはゼロに等しい。
そうなるとワンクリ詐欺は、子どもには荷が重い案件である。エロを求めて引っかかった詐欺を、親兄弟に相談できるわけがない。
むしろビビって親に相談しようものなら、親戚まで駆けつけてしまう恐れがある。ワンクリ詐欺だよ全員集合。無事解決しても、親戚の集まりの度に笑いものにされるという、一生ものの恥を抱えるハメとなる。そんな悲惨な末路をたどった男を俺は知っていた。
かつてはそれを笑う側であったが、身近でそんな悲劇が起きるのは見過ごせなかった。
中学生に進学したばかりの頃だ。俺は精神年齢が高すぎるあまりに、クラスメイトと馴染めずにいた。このままではいけないと思い、猥談の気配を嗅ぎ取れば、それを話のキッカケにクラス関係なく積極的に混ざっていった。少年たちの性癖もまだまだ若く、こんな世界もあるんだよと導こうとしたのだ。
そうして俺は、エロの話を始めるといきなり現れるヤバイ奴。という地位を得た。女子にもその評価は広まっており、守純に話しかけられた奴はそういう話をしている奴、という目で見られるようになったのだ。
俺は学年中から孤立していった。それでも隣のクラスの葉那だけは、俺から離れないでくれた。もし葉那が女だったら惚れていただろうと、何度思ったことか。
そんなある日、教室の一角がお通夜ムードだった。どうしようどうしようと絶望し頭を抱える男子を、仲良したちがどう声をかけたらいいものかと迷いながら、かといって離れることもできず囲っていた。
席が近いこともあって聞こえてくる話の端々に、なにに悩んでいるのか察したのだ。
「いいか、それはワンクリ詐欺ってやつだ」
そうやって俺は、彼に救いの手を差し伸べた。そして彼らに、インターネットの正しい知識と共に、今の時代でも通じそうなおかずを手に入れる術を授けた。そして同じようなことで悩む上級生に手を差し伸べると、俺の名は学年を超えて知れ渡ることとなった。
「エロサイトにやたらと詳しい一年がいるって本当か?」
「どんなエロサイトの詐欺も一目で見抜くらしいぜ」
「そいつに教えを請えば、無修正の手に入れ方だってわかるらしい」
「とんでもないな、そんな一年がいるのかよ。なんて奴だ?」
「ああ、二組の守純って奴だ」
ますます俺は学校から孤立していった。俺に話しかける奴はそういう話を求める奴、という白い目で見られるようになったからだ。
そんなときも葉那だけは、笑って側にいてくれた。昔から可愛い顔をしていたから、おまえが女だったらよかったのにと漏らしたことがある。
「バーカ」
と人を小馬鹿にした、あのニヤニヤした顔が今でも忘れられない。
たったひとりの友達も、中二の夏に姿を消した。ついに俺はひとりとなった。それでも俺はめげずに、
高校生にもなると、誰もが携帯電話を持ち始めた。高校生となったことで、誰もがワンクリ詐欺の被害者になりえるのだ。そのトラブルを見つける端から解決し、アダルトサイトのなんたるかを説法した。
そうしていくと、また噂が広がるわけだ。どんなに絶望的かと思われるアダルトサイトのトラブルも、彼に拝むだけで奇跡のように解決する。
いつしか俺はこう呼ばれるようになっていた。
誰が呼んだか、百合ヶ峰のエロ神様、と。
『あんた影でこう呼ばれてるわよ』と葉那に教えられたときは、マジで誰が呼び始めたんだと絶望したものだ。
過去に救ってきた男たちは、俺への感謝をいつまでも忘れない。口ではなく態度で示すように、いつからか俺の机にはジュースが供えられるようになっていた。まさに神への捧げ物である。
しかし、彼らは絶対に俺の友にはなろうとしない。エロ神様が起こした奇跡は女子にも知れ渡っているからだ。
中学校の孤立、俺はまた同じことを繰り返していた。そんな俺に接してくれるのは、我が生涯の盟友である葉那だけだ。ずっと女だったらよかったのにと思ってきた友人が、本当に女になってしまった。これが俺の祈りの果てに起きた奇跡であるのなら、葉那には悪いことをしたものだ。
人の身で神の隣に並び立つなど恐れ多い。そう言わんばかりの救われた者たちは友にこそならないが、その感謝を忘れず捧げ物だけは欠かさない。
そして俺を頼ったことのない男たちにとっても、明日は我が身である。神の隣にその身を置くことを控えながらも、災害に見舞われたとき、拝むべき神にはいてもらわなければ困るのだ。
だからいつしか男たちは、俺を敬語で守純さんと呼ぶようになっていた。スクールカーストから弾かれた、悲しい男の末路である。
でも、守純さんなら絶対になんとかしてくれる。そう頼られるのは嬉しいので、邪険にせずこうして応えることにしている。
救われた顔をする長城を引き連れ、教室に戻った。
「あら、本当にいつもの長城くんに戻ってるわね」
「すみません、お騒がせしました」
丁度ホームルームが終わったらしい。教室から出てきたみつき先生に、長城は頭を下げた。そうやってペコペコしながら入っていく長城を見届けると、みつき先生は俺の胸を軽く叩いた。
「ほんと、守純くんは凄いわね。あれだけ取り乱していた長城くんの悩みを、魔法のように解決しちゃうんだから。先生、助かっちゃうな」
「いえ、このくらい大したことないですよ」
「そのうち、なにかお礼しないとね。先生にしてほしいこと、なにかある?」
「そうですね。やっぱり、みつき先生の特別授業かな」
「ふふっ、守純くんって本当に勉強が大好きなのね。じゃあ今度、時間があるとき放課後にね」
ひらひら手を振りながら、ウィンクして去っていくみつき先生。
心にガッツポーズを決めた。
特別授業といっても、大人の保健体育ではないのはわかっている。みつき先生が受け持つ科目を個別に教えてくれるというだけの話。
大事なのは密室で二人きりになれるということ。そこから先は俺の頑張り次第だ。
ウキウキしながら教室に入ろうとすると、
「も、守純さん!」
待ちかねた顔をした真白が出てきた。長城が先に教室へ入ったことで、俺が戻ってきたと察したのだろう。
危ない。みつき先生の特別授業が嬉しくて、推しの焦燥を失念していた。
「ああ、さっきは悪かったね、真白さん」
「あ、いえ……長城さん、切羽詰まった凄い顔をしていましたから。わたしよりよっぽど大変な問題を抱えてそうでしたし……仕方ないと思います」
胸に両手を合わせた真白の顔は、我慢が当たり前の子供のようだった。
アイドルのハメ撮りに釣られた愚か者の問題が、教師に脅迫された被害者の問題より大変なわけがない。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
さて、一時間目まで時間がないし、まずは手早く結果だけでも――
「助けてくれ、守純さん!」
背中から大きな声がかかった。振り返ると切羽詰まった男がひとり、俺の肩にしがみついてきた。
新たな愚か者が、神を拝みにやってきたのだ。
真白は狼狽え、悩むようにこすり合わせた両手を、どうぞとばかしにそっとこちらに向けてきた。彼女は諦めたように一歩引いて、教室に戻っていた。
一時間目の休み時間。
授業が終わると真白はこちらを振り返った。
「守純さん、あの――」
「守純さん、守純さんはこのクラスか!?」
授業中にエロサイトを巡回していた不埒者が、神を拝みにやってきた。
二時間目の休み時間。
移動教室のため立ち上がったところ、真白が急いでこちらに並んできた。
「あの、守純さん――」
「守純さん、助けてください!」
授業中にペンも握らず、筆を下ろしてもらうことを人妻に求めんとした痴れ者が、神を拝みにやってきた。
三時間目の休み時間。
移動教室から戻ってくる途中、真白が小走りで追いかけてきた。
「守純――」
「守純。恥を忍んで相談したいことがある」
久光さやかと名乗る未亡人を慰め、謝礼を貰わんとした男教師が、若き神を拝みにやってきた。どうやら大人の尊厳は、オオアリクイに貪り尽くされてしまったようだ。
そうして昼休み。
「守純さーん!」
ノートパソコンを抱えながら飛び込んで――
「守、純さん……」
散々後回しにされ、焦れに焦れた高嶺の白百合。立ち上がった俺を繋ぎ止めるように、両手で袖の端を掴んできた。
潤んだ上目遣いがこちらを覗き込んでいる。蚊の鳴くようなその声は、行かないでと請う泣き出す手前の子供のようだった。
「……お時間、よろしいですか?」
「……も、もちろん」
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