種をまく旅人

絵子

種をまく旅人

 ガラス玉のような目をした転校生がやってきた。担任の先生の後について教室に入ってきた彼は色白でとてもハンサムで、バスが二時間に一本しか来ない田舎町だったから、学校中が大騒ぎになった。クラスの女子が「ハーフじゃない?かっこいいねぇ」ときゃあきゃあ騒ぐのを、男子たちは面白くなさそうに見ていたけれど、転校生はそのうちクラスに馴染むことができた。絵がとてもうまかったからだ。


 自慢じゃないけど、僕のクラスには意地悪な子がたくさんいた。さっそく、いけすかない転校生を「シュクセイ」しようと、ガキ大将のてっちゃんが張り切りだした。


 ある日、てっちゃんは「ちょーしにのってんじゃねー」と言って、彼の机に消しゴムを投げつけた。消しゴムはバウンドして転校生の椅子の下に転がった。床に落ちた消しゴムを転校生は黙って拾うと、いきなり紙に何かを書き出した。彼のおかしな行動を、みんなはただただ見守ることしかできなかった。彼は目にも止まらぬはやさで鉛筆を動かすと、瞬く間に白い紙の上に「消しゴム」が現れた。てっちゃんが投げつけた消しゴムとは別の、転校生によって描かれた消しゴムだ。その消しゴムは、本当に触れることができそうなほど、紙から浮き出ていて、立体的に見えた。「すげえ」と思わず、てっちゃんの取り巻きの一人がつぶやいた。転校生はそれ以来、周りから一目置かれる存在になった。


 転校生が来たというビッグニュースは数日経つと徐々に落ち着いて、学校は「日常」を取り戻していった。僕は中央のいわゆる二号車と呼ばれる列の一番後ろに座っていって、転校生の隣の席になっていた。転校生の前の席には矢島君が座っていた。矢島君はみんなからは「ヤジー」と呼ばれていて、それは親しみを込めた呼び方ではなくて、彼のことをそう呼ぶ人はおおむね侮蔑の意味を込めていた。矢島君にはできないことが多かった。


 まずかけ算ができなかった。たぶん九九をおぼえていないらしかった。以前、矢島君が「4×6」の答えを出すのに、四つの丸を六セット、地道に計算プリントに書き出しているのを見たことがある。骨の折れる作業なのに、四角をひたすらに書く矢島君を、普通にすごいなあと僕は思ったけれど、そんなペースで計算プリントが時間内に終わるはずもなく、彼は周りから馬鹿にされるようになった。

 矢島君は足し算やかけ算をする時も、時々指を使った。「3+4」を一つひとつ指を折って数える。矢島君の指は両手合わせても九本しかなかった。彼は生まれたつき右手の指が四本しかない病気らしかった。


 国語の時間、クラス全員で一行音読をするという時間があった。案の定、矢島君は一年生で習うような漢字も読めなかった。てっちゃんと何人かが顔を見合わせて意地悪そうに笑う。


「指と一緒に脳みそもどこかにおいてきたんじゃね?」

「ヤジーはショーガイだからしょうがない」


 先生には聞こえているかわからないほどの小声だったけれど、僕にははっきりと矢島君の悪口が聞こえた。矢島君の方をちらっと見ると、音読を終えた彼は目を大きく見開き、食い入るように黙って教科書を見つめていた。


「なんであんなひどいことを言うの?」


 休憩時間になった途端、転校生は席を立って、つかつかとてっちゃんの席に向かった。真っ正面に立った転校生をてっちゃんは机に頬杖をついたまま、めんどくさそうに見上げる。


「なにが?」

「さっきの授業中の発言のこと。どうして人のことを平気でバカにするの?」


転校生は恐れを知らず、淡々としていた。てっちゃんはせせら笑いを浮かべて「だって、アイツばかじゃん」と言った。


「一生懸命やっている人を馬鹿にするのもおかしいし、人の容姿に関することを言うのもおかしいと思う」


転校生は毅然とした態度をくずさなかった。


 普段てっちゃんとつるんでいて、さっき一緒に悪口を言っていた子達も二人のバチバチな雰囲気に気圧されている。僕もはらはらしながら、でもなんとなく、ほおっておくこともできなくてロッカーに物を置くフリをしながら彼らに近づき、転校生の少し後ろに立つ形で見守った。


「きもちわるいんだから、しょうがないだろ」

「どうしようもない見た目に関することをきもちわるいって言われたら傷つくだろ」

「俺は傷つかない」

「坊主がきもちわるいって言われても?」


 ずっと冷静だった転校生の内に秘めた怒りが表に出た瞬間だった。そこでてっちゃんもかっとなった。


「てめえの白い目もきもいんだよっ!」


てっちゃんが立ち上がった勢いでいすががしゃんと音を立てて倒れる。周りは二人の勢いにびっくりして固まっていた。今にもお互い殴りかかりそうな一触即発の状況に、僕は慌てて間に入った。


「今のはどっちも悪いと思う」


 僕は人の仲裁なんかするタイプじゃないのにその時ばかりは不思議と勇敢だった。転校生の気持ちはもちろんわかったし、てっちゃんが怒った理由もわかった。外のクラブチームで野球を頑張っているてっちゃんにとって、たぶん一番言われたくない言葉だった。


「ごめん、言い過ぎた」


 転校生は一息つくと落ち着きを取り戻し、少し下を向きながら素直に謝った。てっちゃんは謝ることはできなかったけれど、「べつに」と一言返事だけはして、一人で教室を出て行った。しんとしていた教室が徐々に音を取り戻す。


「ありがとう」


 転校生は僕に向かって微笑んだ。あまり表情に変化のない転校生の笑顔を初めて見た気がしてちょっぴり嬉しかった。ただ、彼の笑顔はどこか悲しそうにも見えた。


 僕と転校生は矢島君の一件以来、自然と距離が縮まった。席が近いこともあって、転校生が休憩時間に熱中して絵を描いているのを覗き見たり声をかけたりした。転校生は少し照れくさそうに、その時々に描いている絵を見せてくれた。どの作品も大人顔向けのうまさだった。


 いつものごとく、彼はおでこが机にくっつくかと思われるほど前のめりになって絵を描いていた。「何を描いているの?」と僕が聞くと、「漫画を描いてるんだよ」と転校生ははにかんだ。


「どんな漫画を描いてるの?」

「ちょっと読んでみる?」


 漫画は紙を八つに折って作ったミニ本の大きさで、表紙にでかでかとスーパーマンが描かれていた。ヒーローが悪者を成敗していくといった王道のストーリー。よくあるステレオタイプのヒーロー漫画だったが、僕はあることが気になった。


「スーパーマンが乗ってる車、かっこいいね」


 僕がすごく魅力的に感じたのは、スーパーマンがかっこいい車に乗っていることだった。乗っているといっても、車の天井からヒーローの上半身が突き出すような形で、半分ロボットみたいなのが特徴的だった。


「彼は足が不自由なんだ。だから、車が体の一部なんだ」

「車椅子のかわりみたいなもの?」

「そう。でも、もっとすごいんだ。時にはタイヤが翼に変わって空を飛ぶこともできるんだよ」


確かに漫画の中でも、スーパーマンは自動車を変形させてマシンガンやミサイルで敵を攻撃していた。


「すごい。独創的だね」


僕は本当に思ったことをそのまま口にした。転校生は目を丸くして「難しい言葉を知ってるね」と言ってきた。


「僕、変なこと言った?」

「ううん、あんまりにも素直に褒めてくれるものだから・・・」


 転校生はなぜかきまりが悪そうにもごもごしていた。何か重要なことを言いたそうにも見えた。それを察した僕は黙って彼の次の言葉を待った。目を合わせず、転校生はぽつりと言う。


「・・・僕は種をまく人になりたいんだ」


 彼の言葉は僕の予想をはるかに上回るものだった。頭の中に「?」が浮かぶ。


「種をまく人?」


「うん。種をまく人」


「どういうこと?」


転校生が僕に向き直った。彼のビー玉のような目が光る。白くて壊れてしまいそうで、繊細で綺麗な目。


「僕はこれまでに何度も転校を経験したことがあるんだ。本当に何回も・・・。その度に思うことがあってね。どうせ長くは同じ場所にいられないけど、転校する前に僕に何か残せるものはないのかなって」


彼は一息ついた。僕は静かに転校生の話に静かに耳を傾けた。


「それで思いついたのが、僕は平等な世の中をつくりたいってこと。自分がいた場所だけでも、みんなが穏やかに平等に過ごすことのできる空間をつくりたい。そのために、僕は僕のできることをしようって決めたんだ」


転校生の話はとても難しかった。でも、彼が矢島君の件であんなに一生懸命だった本当の意味がやっとわかった気がした。


「ただ、僕がいなくなっても、それを続けてくれる人がいないと意味ないんだけどね」


彼は寂しそうに笑った。彼はこの街にもそんなに長くはいないのかもしれない。直感的に僕はそう思った。


「じゃあ、僕が水をやる人になるよ」


 気がついたら、思ったことをすぐに口にしていた。僕の言葉に転校生は目を大きくして驚いた。


「初めてそんなこと言われた」

「約束するよ。この漫画も学級文庫にしたらどう?そしたら、誰も君のことは忘れないよ」


彼は戸惑いつつも、「担任の先生が許してくれるかな?」と言いながら笑った。


「敵を暴力で倒すのはよくないから、話し合いで敵を説得するヒーローに変えるのはどう?」


僕は大真面目だった。でも、僕の真剣さかえっておかしかったのか、転校生は「本当に君はかしこくて面白いね」とけらけらと笑っていた。今度は嬉しそうな笑顔だった。


 夏の終わりを感じる涼しい風が吹き始めた頃、図工の授業で写生をすることになった。自分の好きな場所を選んで、水彩絵の具で風景を描く。クラスの多くの人が自由を得たとばかりに外に出て行く中で、僕と転校生と矢島君だけは教室を選んだ。メダカの入った水槽を描くためだ。

 ある日突然、担任の先生がクラスでメダカを飼うと言いだして、夏休み明けに水槽が設置された。係のなかった転校生と魚に詳しい矢島君が生物係になって、僕もたまにえさやりを手伝っていた。それに、水槽を眺めるのも好きだった。水の中を自由に動き回るメダカは見ていて飽きなかったし、ゆらゆらと揺れる水草は幻想的だった。


 床に座りこみ、三人肩を並べて水槽を描く。みんなが出て行った教室は静かで、時折聞こえてくる外の音が心地よい。転校生の画板に目を向けると、水彩らしい淡い色合いで水槽が描かれていた。抽象的だが、柔らかな雰囲気。美術館に飾られている絵みたいだ。


「やっぱり上手だね」

「ありがとう」


 僕たちの会話に今までものすごい集中力を発揮していた矢島君も顔を上げた。転校生の絵を覗きこむ。


「メダカがなんか違う」


 矢島君の率直な物言いに僕は面食らった。そういう矢島君の絵は絵の具をほとんど水にとかさず、乾いた筆でベタベタと塗っていて、とても人に言えたものじゃない。矢島君はしばしば思ったことをすぐに口にすることから、空気が読めないと周りから悪口を言われることもあった。でも、転校生はあまり気にしていないようだった。


「そうかも。僕、目が悪いからよく見えなくて。触れられる物は得意なんだけど・・・」

「メダカは透明で骨が透けて見える。あと背中の方と尾びれが黄色くて・・・」


矢島君が事細かにメダカの特徴を話すのを、転校生はうんうんと頷きながら聞いていた。僕は心配しすぎだったみたいだ。


「あ、見て!水草に卵がくっついてる!」


矢島君が水槽を指さした。僕も転校生も顔を寄せて水槽を覗いた。


「あ、ほんとだ」

「やっぱり僕は見えないや」


 水草を入れないとメダカのお母さんが卵をえさと間違えて食べちゃうのだと矢島君は教えてくれた。こんな小さな卵を見つけるなんて矢島君はすごい。チャイムが鳴るまで、僕たちは夢中になって水槽を観察した。すごく楽しい時間だった。


 絵が完成する頃に、転校生は突然いなくなった。担任の先生が言うには、また違う土地に引っ越すことになったのだという。お別れ会もやらずじまいの急な転校だった。それでも引っ越すことくらい事前に言ってくれてもよかったのに、というふてくされた気持ちも多少あったけれど、掲示板に貼られた三つ並んだメダカの絵を見る度に彼を思い出した。

    

 彼はまたどこか遠くの新しい場所で種をまくのだろうか。矢島君はあいかわらず、クラスの子に馬鹿にされることがある。でも、彼がいつもピカピカに磨く水槽は澄んでいてとても綺麗だ。僕もたまにそれを手伝う。卵からかえったメダカの赤ちゃんは今日も元気に泳いでいる。

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