第16話 次の標的

「さあ驚いた、驚いた、江戸のお空に現れた、世間を騒がす黒天馬。彼らは人か妖怪か。まき散らしたる不審なびらは、天変地異の前触れか。この音吉がかき集めた、びらの写しが載った今号は一枚八文、さあ、買った、買った」


 ここ最近は毎日のように日本橋のたもと、西河岸町にしがしちょうの一角で音吉は読売りを売っている。しかし、以前のような人だかりはしていない。


「何が売り切れ必至だよ、ちぇっ、前と内容が同じじゃねえか、金を返せ」


 男が買った読売りを突き返して、胸の前にかけた代金を入れる箱に手を突っ込む。そして片手いっぱいに金をむしり取った。


「お、おい、ちょっと待て。取るんならきっちり八文だけにしろよ」


 男が払った金よりも明らかに多くとられて、音吉は血相を変えた。


「同じなのは仕方ねえだろ、新しいねたがないんだ。俺は事実しか書きたくないの、眉唾ものの噂とか、あんたたちが好きそうな方に話を作って書くのは嫌なんだよ」


 走り去る男の背に悔しそうに音吉が叫ぶ。男の足は速く、瞬く間に路地に入って視界から姿を消した。


「ちぇっ、因果応報だぜ、覚えとけ」


 片手に読売りを抱えた音吉は、追いかけることができずに悔しそうにつぶやく。


「音吉さん」


 いつの間にか横に立っていたのは、先日しわだらけの読売りを渡した少女。

すなわち、りのである。


「十五文握ってたから、七文取り返してきたわ」


 少女はそっとその金を音吉の銭箱に入れた。


「え、お嬢さんが?」音吉の目がまん丸くなる。

「あの男、路地で何かに足を引っかけたみたいで、ひっくり返って小銭をぶちまけたから拾ってきたの。この前のお礼よ」


 りのはそう言いながらおずおずと音吉を見上げる。


「今日は音吉さんに聞きたいことがあって来たの、お仕事が終わるまで待っているわ」


 微笑んではいるが、まなざしは真剣だ。

 音吉は往来を見回す。前回と同じ文面の読売りを買いに来るものは居ない。


「今日はもう誰も来ないでしょう。私で良ければお話しさせていただきますよ」


 りのは、蔵の並ぶ一角に音吉をいざなうと、話を切り出した。


「黒天馬が撒いたびら、ご覧になっていますよね」

「ええ、もちろん。飯の種ですから、日本橋、浅草寺のも拾った者から買い取りました」


 音吉は懐から紙に包んだびらを取り出した。


「このびらから、なにか手がかりがわかりますか? 読売りを書いているものしりな音吉さんだから、いろいろな事を知っているでしょう」

「て、手がかりですか?」いきなりの質問に音吉は言葉を失う。


 それがわかれば、今日の読売りは完売だ。ため息をついて音吉は首を振ろうとした。が、少女の真摯な瞳を見て、ため息を飲み込む。


「絵も文章も上手でかなりの教養がある者、っていうことはわかったんだけど。それ以外に何か気がつくことがある?」


 音吉は必死でびらを見る。


「三回にわたって、けっこうな数のびらがまかれています。かなり凝った絵で、書いたもののこだわりを感じますね。二回目に撒かれたびらにある狸に似た奇怪な化け物が火に焼かれている絵などは、いちいち筆で炎の部分に朱を入れてありますし」


 何百枚もあろうかというびらにすべて朱を入れる。相当な怨念を感じます。と、音吉は苦笑した。


「浅草寺と浅草神社。と、来れば次の標的は家康様が作られた寛永寺でしょうかね。タヌキ……大声では言えませんが大権現様を茶化しているのであれば、それが炎にまかれているっていうのは、気になる暗示ですね」

「放火って、こと?」


 りのの顔が青くなる。




★この話はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません★

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