第14話 嫉妬
「ううむ。三対十九ですか」
りのに読売りを見せられて、泰理は腕組みをして頭をひねる。
「三人では、やはり多勢に無勢。勝つのは難しいでしょうねえ。せめてもう一人、早くて腕の良い天馬乗りが居れば良いのですが」
里にはもう天馬は居ない。それは無理な話であった。
「大勢が一度にかかってきてはひとたまりもありません。なんとか撃破できるような作戦を考えねばなりません。しばらく考えさせてください」
「よろしくお願いします」泰理の前に座ったりのと恵鈴が頭を下げる。
「お兄ちゃん、私ももっと効力のある火砲を作るように頑張るわ」
「カンナ、お、お前なんて健気なんだ……」
両腕を広げて妹に抱きつこうとする泰理。
しかし、りのと恵鈴の座布団が顔にぶち当たる。
「全く、夏の火鉢のように暑っ苦しい人ね」
三人はがっくりとため息をついた。
夕陽の当たる神田連雀町の裏通り、入り口に
丁度講義の終わりなのか、開けられた戸から青年達がばらばらと吐き出されて、路地にいくつもの影法師が折り重なる。
彼らの多くは旗本やその御家中らしく、整った身なりの者が多いが、中には継ぎの当たった着物を着ている浪人者や、町人も混ざっている。
「今日の講義の切れ味も鬼神の様だったな」
「さすが、
皆、興奮冷めやらぬ体で口々と講義の内容を論じながら三々五々に散っていく。
「とりわけ今日の木曽義仲の火牛の計のくだりは面白かったな。角に松明を付けられた牛たちが一斉に山を下る様子を想像すると胸の高まりがおさまらん」
最後の方に出てきた筋骨たくましい青年が、継ぎの当たった小袖を着ている細身の青年に話しかける。小袖は良い生地でしっかりと仕立てられているのだが、やはり洗いざらしの経年劣化のみすぼらしさは逃れえない。話しかけられた青年は色白で女性のような面差しだが、切れ長の目は凜とした鋭い光を放っていた。
「ああ。でも、どうも私にはその話が後世の脚色に思えてならないのだ。牛が目の前に松明をくくりつけられる時におとなしくしているはずはない。中国の故事に似たような話があるが、それを参考にした創作ではないだろうか」
眉毛の濃いはっきりとした目鼻立ちの青年は口をポカンと開けて眉をつり上げる。
「なぜそれを発言しなかったんだ。お気に入りの弟子の鋭い見立てに、由比先生はきっとお喜びになったに違いないぞ。さすが我が塾きっての秀才、月坂真澄だと――」
「よせよ、理左衛門。目立つのは嫌いなんだ」
背の高い青年からのぞき込むようにじっと見つめられて、真澄と呼ばれた細身の青年は頬を赤くして顔を背ける。以前、川で溺れそうになった自分を抱き留めた、理左衛門の太い腕の感触が蘇って、真澄は震えにも似た感覚が全身に走るのを感じた。
しかし、真澄が再び顔を上げたときには理左衛門の視線は遙か遠く、道の向こうの一点に留っていた。
「林様、月坂様」
視線の先から、桜色の地に小花が散った華やかな小袖姿の一人の少女が走ってくる。少女の弾む心が伝わったかのように、身体が揺れるたび、蝶々のように黄色い帯の端がひらひらと振れる。彼女の後ろからは、お付きの者らしい白髪交じりの女性が慌てて追いかけてきた。
「志保さん」理左衛門が顔を輝かせて手を振ると迎えるように駆け出す。
しかし、志保は理左衛門には目もくれず、横をすり抜けると真澄の前に立った。
「月坂様」志保は嬉しそうに風呂敷包みを差し出す。そこには一帯では有名な豪商の家紋が入っていた。「初めて浴衣を縫いましたの。お気に召されれば良いのですが」
志保が自ら風呂敷の結び目を解く。そこには黒地に天の川らしい星の柄がちりばめられた美しい浴衣がたたまれていた。
「なぜ、私に?」呆然と立ちすくむ真澄。
もじもじとうつむく少女の代わりにお付きの者らしい女が口を挟んだ。
「お嬢様のお気持ちです。汲んで差し上げてください」
女は意味ありげに微笑むと、受け取ってもらえずに困惑する志保から風呂敷包みを取り上げて真澄の胸に押しつけた。
「あ、ありがとうございます」
真澄の言葉に志保は黙って大きくお辞儀をすると、逃げるように去って行った。お付きの女も後を追う。
「いただくいわれはないのだが、どうしたものか……」
後ろを振り返る真澄。
しかしそこには、仲の良い友人の姿はなく、刺すような瞳で彼をにらみつける理左衛門がいた。「それは当てつけか?」
意外な反応に、呆然と首を振る真澄。
「いいよな、色男の上に才もある奴は」
ふてくされたように言い捨てると、理左衛門は背を向けて去って行った。
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