第12話 読売りの音吉

 黒天馬出現の噂は瞬く間に江戸中に広がった。

 御天馬隊の三人娘は、早朝の江戸市中見回り飛行を終えて屋敷で遅めの朝食を取っていた。見回り前にも焼いた握り飯と茶という軽食をとっているので、言うなれば二回目の朝ご飯だ。彼らは必ず任務の前には何か軽く食べておくことを常としていた。


「市中でも、黒天馬達が禍の前触れか、はたまた吉兆かということで論争が巻き起こっているらしいわ」


 米粒を頬に付けてカンナが言う。

 しかし、妖天玉の一件を知っている彼女たちにとって楽観視できる要素は一つも無い。対峙した黒天馬の一群からは敵意しか感じなかった。


「妖天玉が復活し、黒天馬の大軍が現われた――これは偶然とは思えないよね」


 りのの差し出した茶碗に炊きたてのご飯を盛りながら、恵鈴がつぶやく。


「もし、彼らが敵だった場合」りのは眼前の二人を見つめる。「今のままなら、私たち多分次は勝てない」


 統制された黒天馬の一軍は、列をなして整然と並んではいないものの、ムクドリのように自在に形を変えていた。彼らを統率する者は、乗り手にかなりの訓練を課していることは間違いがない。

 弓矢の巧者である恵鈴、そして火器系の武具を操らせたら右に出る者がいないカンナ。

 それぞれ、忍者の系譜である天馬の里で育った腕の良い乗り手である。忍者としての鍛錬もされている。普通の賊に対しては全く問題が無い。

 しかし、あの一団。

 空からですら、はりつめた殺気が漂ってきた。あの剃刀で空を切るような鋭い動き。かなりの鍛錬を重ねている。彼らは、今まで彼女たちが遭遇した市井の賊達とは桁が違っていた。

 それにもう一つ気がかりなのは……。りのが唇を引き締める。ふと気がつくと目の前の二人が、そんな隊長の表情を食い入るようにじっと見つめていた。

 りのは慌てて額の筋肉を緩める。二人の不安を必要以上に煽ってはいけない。


「なんとかなる。と、いうか、なんとかする。心配しないで」


 胸を叩いてりのは二人に向かって笑って見せた。



「ふう」


 なんとかする。と言ってはみたものの、りのの頭には打開策の欠片も浮かんでこない。

 あの練度の高い、黒天馬の一団がまた襲ってきたら……。頭の中で何度も戦い方を変えて想像してみるが、あっという間にりの達は天馬から放り投げられて、空中を落下していく。りのにだって今までの経験があると自負しているが、思いつく限りの選択肢を試してみてもうまくいかない。第一、今までにこんな敵はいなかった。

 一体どうすれば。

 自分に向けられた恵鈴とカンナの真摯な瞳を思い出して、りのは再びため息をつく。あの二人はりのが命をくれと言ったら、たとえそれが間違っていようとも迷わず差し出すだろう。彼女たち三人はそんな間柄だ。だからこそ、りのは自分に課せられた責任の重さに押しつぶされそうな気持ちになる。押しつぶされないうちに気分を上げなければ。



 りのの足は知らず知らずのうちに日本橋に向かっていた。

 街角から威勢のいい声が聞こえてくる。


「さあ驚いた、驚いた。お江戸の空に現われた妖気を放つ黒天馬。はてさて奴らは吉兆か、それとも江戸にあだ為す禍か。我らがお江戸の守り神、御天馬隊はどうするどうする。今までの御天馬隊の活躍を急ぎまとめた今号は、家宝ものの永久保存版。万の噂を集める耳袋を持ったこの音吉が、今日も皆様にびっくり仰天満載の読売りをお届け、お届け。一枚八文で江戸の大変をご覧じて候」


 声を張り上げているのは、頭に細い紺色の縞模様の入った白い手ぬぐいを巻き、左手には読売りの束、右手に長細い棒を持った背の高い青年だった。紺と白の工字繋ぎ文様の着物の裾からは長い足がすらりと突き出ている。丸顔にぱっちりとした大きな目。頬を赤くして一生懸命叫ぶその姿は、なんだか子供がそのまま大きくなったような印象だ。


「読売りを書いていたのはあんな人なんだ」想像とは違ったのか、りのは目を丸くした。




 口上が終わると人々は一斉に音吉を取り囲み、左手にかけた読売りをひったくるようにして掴むと首から提げた箱に八文を入れて去って行く。


「音吉、相変わらず絵がうまいよな」

「この御天馬隊の嬢ちゃん達が、また格好いいんだ」


 読売りを見た人々が上げる声を聞いて、集まった群衆がさらに音吉に押し寄せる。


「待った、待った、破れるからっ」


 あまりの反響にうわずる音吉の声。決して安い値段では無いが、人々はお構いなしに読売りに群がって、紙が空中に舞う勢いで売れていく。

 残りわずかというところで、いくつかの手が同時に音吉の腕にかけられた読売りに伸びる。日に焼けたごつい手の中に、細い白魚のような手が混じったのに音吉は気がついた。しかし、大きい体躯の男どもに押されて、白い手はむなしく空を探るのみ。やっと人だかりが無くなって音吉の腕に手を伸ばしたのは、枯れ木のような老人の腕と、先ほどの白い手だった。残った読売りは一枚だけ。譲るように白い手がそっと引く。まるで飢えたカラスのように骨張った指が読売りを掴み、銭を箱に入れると去っていった。


 ふと見ると、音吉の目の前に少女一人が立ちすくんでいた。


「お、お嬢さん」


 残念そうに顔を伏せて立ち去ろうとする少女に、音吉は声をかけた。振り向いた少女は意志の強そうなぱっちりとした瞳の美少女だった。


「なにか?」


 見とれていたことに気がつき、音吉は慌てて懐に手を入れる。懐から出された手にはしわくちゃの読売りが握られていた。


「お、折りたたんだ奴で良ければここに。おおっと、くしゃくしゃになってる」


 周囲を見回し人々が去ったのを確認して、皺をのばすと音吉は少女に押しつけるように読売りを渡した。


「でも、それはあなたのでしょ」

「書いた本人です。内容は覚えてますよ。家に帰れば刷り損じもあるし」

「ありがとう、ええっと八文だったかしら……」


 お金を出そうとした少女を遮って、音吉はにっこりと笑う。


「いいんですよ」


 一瞬の躊躇ちゅうちょの後、たどたどしく音吉は付け加えた。


「か、可愛いお嬢さんにはおまけです」

「まあ」


 少女の頬が赤くなる。「お上手ね。誰にでもそう言ってるんでしょ、音吉さん」


 そういいながら、少女は広げた読売りをうれしそうにじっと見つめていた。


「ねえ、本当にこんなに格好いいの? 御天馬隊わるきゅうれって」

「ええ。実物はもっともっと格好いいんです。自慢じゃありませんが、俺はお江戸で一番の御天馬隊贔屓わるきゅうれびいきですから」

「そんなに御天馬隊が好きなの?」


 音吉は目を細めてうなずく。そして顔を虚空に上げると、うっとりと話し始める。


「初めて彼女たちの戦いぶりを見たときから、俺は彼女たちの虜です。美しくて、気高くて、そしてそして、何よりも格好いい。あ、見かけじゃなくて、敵に対して一歩も引かないその心意気が格好いいんです。あの娘さん達をずっと追っかけていきたいと思って、俺は読売りを生業に選びました。お江戸の大事件では必ず彼女たちが活躍しますからね」

「そ、そうなの?」

「ええ。お江戸の守り神、なんせ東照大権現とうしょうだいごんげん様に勝ちをもたらした戦乙女の子孫ですから」

「でも、いつかは負けちゃうかもよ」

 少女は口を尖らせる。「三人じゃ、あの黒天馬軍団には勝てっこないし」

「そう簡単に決めつけないでくださいよ、お嬢さん」


 音吉は優しい目で少女を見た。


「俺が売っているこの読売り。書いて売っているのは俺ですが、版元を作る者、刷る者、いろいろな人の手を経てこれができているんです。どうやれば早く彫れるか、どうやればきれいに刷れるか。時にはお互いぶつかることもあるけど、一人で抱え込んじゃうまくいきません。だから仲間を信じて、皆の意見や知恵をできるだけ聞いて作るんです。きっと御天馬隊にも彼女たちを支える人たちが居て、彼女たちに知恵を授けるに決まっているんです」

「抱え込まずに、知恵を借りる――」


 不思議そうに見返す少女に音吉は大きくうなずいた。しかし次の瞬間、彼は絶句する。


「え?」


 一瞬目を伏せた隙に、かき消すように目の前から少女が消えていたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る