第11話 金色の瞳

 しかし、その制止は間に合わず、銃声が響き一頭の黒天馬の右羽根の付け根を弾丸が貫通する。飛び散る黒い羽と血飛沫。黒天馬は片羽をだらりと下げ、空中でもがくように身悶えする。乗り手は必死で鞭を振り上げて馬を叩くが、撃ち抜かれた羽は動かない。天馬は傾いたまま急激に高度を下げていく。寄り添うように向かってきた別の黒い天馬に乗り手が飛び移ったことで軽くなったのか、撃たれた天馬はなんとか右羽を広げて体勢を整えるとそのまま群れを離れてゆっくりと滑空しながら降下していった。


 その途端、御天馬隊の三頭の馬たちに異変が起った。彼女たちの天馬もまた、苦悶の表情で身体を硬直させて落下しだしたのである。そして、同じような変化は黒天馬達にも起っていた。


「天馬達は戦傷の苦痛を共有するみたい。敵側には痛みがより強く跳ね返ってきているわ」


 一旦地上に馬首を向けながら恵鈴が叫んだ。彼女たちの天馬の羽ばたきは、目に見えてぎこちない。このまま高度を保って滑空するのは難しかった。

りのと敵の首領も、お互いの天馬がブルブルと震えながら、一旦身体を離す。


夜光やこう殿、ここは一旦引きましょう」


 槍を構えた部下とおぼしき男から声をかけられ、女首領は軍勢に手で合図を出した。

 合図と共に、黒天馬の一群は馬首を返す。


「ま、待てっ」


 苦しげにかすれ声で叫ぶりの。

 彼女の荒い息は、一騎打ちが終わってからも続いていた。早い息を止めようとするのだが、止らない。痺れる手でなんとか抜き身を鞘に収めると、急に全身の力が抜けていく。

 目の前が暗くなり、身体がふわりと浮き上がる。

 ああ、降下している。少女は馬の背に突っ伏して意識を手放した。


 あの時、りのの頭の中の暗闇に浮かび上がった光景。

 それは、闇の中で振り返る馬の金色の瞳。もの言いたげな、さみしそうな。

 一条の光が、その馬体を照らし出す。

 細い四肢、細い首。筋肉質だが極限まで絞られた体躯。その中で、首から肩にかけての僧帽筋だけが隆々として羽根につながっている。まさに、飛ぶために生まれたような子。

 水を跳ね上げる音が辺りに響く。

 悲しい、寂しい、やるせない記憶――。


「りのっ、目を開けて、りのっ」


 子供だけにカンナの声は甲高く耳に響く。耳から頭の中を揺さぶられるいるようで、りのは眉間に皺を寄せて目を開けた。


「よかった、気がついた」


 恵鈴が大きな瞳に涙をためている。カンナの膨らんだ鼻も赤い。

 なによ、私が死んだような騒ぎじゃない。りのはわずかに頬を歪めて微笑んだ。

 ここは御天馬隊の屋敷。見慣れた白い布団の上にりのは寝かされていた。上からふわりと綿入りの半纏である矢がすり文様のかい巻きが掛けられている。

 どれくらい寝ていたのだろう、すでに辺りは暗く、行灯に照らされて壁にくっきりと二人の影が映っていた。強ばった身体を起こそうとすると、そっと恵鈴が背中に手を添える。


「私、どうしたの? 黒天馬は?」

「制御不能になって退却したわ。カンナが相手の馬を撃ち抜いたおかげで、天馬たちに苦痛の共鳴が起ったみたいなの」

「共鳴?」


 りのは首をかしげる。


「カンナが黒天馬に鉄砲を撃つ直前、香月号が知らせてくれたの。なんだか、黒天馬と感覚を共有しているようだって。攻撃されて強い痛みを感じると敵側にはその倍の苦痛が跳ね返ってくるって。まるでお仕置きのようね」

「乗り手は敵同士かも知れないけど、天馬同士は同族の仲間ってことかしら」

「不思議な生き物たちね、天馬って」


  恵鈴がそっとつぶやく。


「おお、目が覚めたか」


 ドタドタという足音とともに阿部忠秋が入ってきた。後ろからお供の侍達が、重箱らしき包みを捧げ持って続く。


「今、上様に先ほどの黒い天馬の件をお伝えしてきた。お前達の活躍に感謝しておられたぞ。上様からの菓子の褒美を預かってきた」


 恵鈴とカンナは正座をして頭を下げる。


「もったいないお言葉。しかし、実は今回私たちは何もできておりません」


 そう言いながら慌てて正座をしようとするりのを忠秋は制した。


「無理するでない、寝ておけ。お前さん達はこのお江戸、いや日の本の宝なのだからな。すまないが、これからお前達にしかできない任務も増えてくると思う。これからもお江戸の警護、そして妖天玉の件、よろしくたのむ」


 老中阿部忠秋が帰宅して、屋敷は急に静まりかえった。

 夜も更けて、行灯がぼんやりと光る部屋の中で、りのはじっと天井を見上げていた。

 傍らで恵鈴とカンナが軽い寝息を立てている。

 だが、彼女の頭の中には思いが巡り、眠ることができない。

 あの黒天馬と妖天玉には関連があるのか。

 そして、母を連れ去った黒い天馬は果たしてあの中に居るのか。

 しかし、りのが必死で記憶の底を探っても、あの幻以外には何も蘇ってこなかった。

 そうこうしているうちに、りのはまた呼吸が速くなるのを感じて来た。速くなるかもしれないという不安がますます呼吸を速くしていく。


「大丈夫? りの」気がついたカンナが身体を起こす。「また、息が速いの?」


「少しだけ」苦しい呼吸の合間に、りのは懸命に返事をする。「大丈夫よ」


「不安な事があったり、すごく衝撃を受けた人がこんな風になるのを見たことがある。ゆっくり、ゆっくり息を吐いて、りの」


 カンナはそういいながらりのの半身を起こして前屈みにさせると背中をさする。


 りのが陥っているのは、今でいう『過換気症候群』である。若い女性に多く、強いストレスを感じると脳の呼吸中枢が変調をきたす。呼吸が速くなりすぎることによって二酸化炭素が減り、血の中の酸とアルカリのバランスが崩れることによって手のしびれなどの症状が出る。

 症状が出たらゆっくり息を吸って、そしてできれば口をすぼめて、吸うよりも時間をかけて吐くを繰り返す。周りの者は背中をさするなどして、落ち着かせることが必要である。


 しばらくして、りのの息が落ち着いてきた。


「ありがとう、さすが博識のカンナね。助かったわ」

「ま、こんなこと朝飯前よ」


 得意げに鼻をうごめかしてカンナがにっこりした。そのままコテンと寝てしまう。

 その幼い寝顔を見ながら、りのはため息をつく。

 この子達を妖天玉と黒天馬から私が守らなければ。そしてお江戸、いや日本の人たちも。

 だけど、果たして自分にできるのだろうか。

 今回、生きていたのは奇跡に近い。次にあの女と戦ったら生き延びられるだろうか。

 初めて自分より強い敵に遭遇した。盤石と信じていた大地が足元から崩れるような不安に襲われて、りのはかい巻きを握りしめた。

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