第10話 黒天馬現る

 建物に囲まれた町中とは違って、遮るものの無い上空の風は強い。速度は出していないのに絶えず耳元でぼぅーと吹きすさぶ風の音がする。結気の術を使えば、周りに障壁ができて風の抵抗はおさまるが、それだけ人馬共に体力の消耗が早くなるので、りの達は通常飛行のままで奇声を上げて渦を描く黒天馬の群れに近づいていく。



 御天馬隊に気がついたのか、天空に黒い円を描いていた天馬達の一端がほどけ、御天馬隊に立ち塞がるかのように前方に凹型の陣を作った。

 馬たちにはそれぞれ乗り手がおり、黒装束に身を包んでいる。

 正面にはりのを先頭にして右手には恵鈴、左手にはカンナという三角形の配置で御天馬隊が対峙する。


「私は御天馬隊隊長の三代目肩矢りの。あなたたちの首領は誰? このように不安をかき立てるような乗り方をして、人々が恐がっているわ。どういうつもりか話を聞かせなさい」


 りのの呼びかけに応えはなく、壁のように整列した黒天馬の両端が薄く広がってゆき、三人を包み込もうとばかりに迫ってきた。黒装束の乗り手達が刀を引き抜くと同時に、黒天馬の周囲が薄い黄色に輝く。


「結気の術に似ている」りのがつぶやく。「彼らも同じような術が使えるのね」


 負けじと御天馬隊の三人も、結気の術を発動した。緊張感のある状況に、御天馬隊の天馬達の発する白い光はいつもよりギラギラと強い。

 どこかに首領が居るはず。りのは乗り手達の頭の動きを観察する。左右の黒天馬の乗り手達は時折何かを伺うように、わずかに後方を向いていた。


 首領は後方中央に居る。


 りのは乗り手達の視線をたどり、黒天馬軍団の首領の位置を割り出した。

 後方の恵鈴は弓を、そしてカンナは銃身の長い鉄砲を構える。


「散開すると厄介だわ。二人とも散って両翼の先頭を抑えて、私は中央の首領を」


 りのはそう指示すると自分はまっすぐに突進した。

 首領にはまず自分が当たる。どんな奴なのか。何が目的なのか。

 頭巾の下で彼女は唇を結ぶ。緊張はある、しかし『肩矢りの』の血を引く者であるという自負と使命感が、胸の内から湧き上がる恐怖を凌駕していた。

 途中、何組かの黒天馬と乗り手がりのに向かってきたが、結気を発動して人馬を包む光の殻を形成したりのと北斗に弾き飛ばされていく、乗り手の一人がなんとか近接して刀を振り上げるも、りのによって一刀のもとに肩を斬られ戦線離脱していった。


 個々は弱い。恐るるに足らず。


 りのの右口角が上がった。目は爛々と輝き、戦乙女の高揚が全身を包む。その殺気に気おされたか、黒天馬が次々に道を空けるように避けていく。りのは雑魚には目もくれず、まっすぐ中央に迫った。最後の黒天馬が幕を引くようにすっと左右に分かれ、最後方にいる乗り手がまるで対決を望むかのように自ら前に進み出た。


 りのの目に飛び込んできたのは他の黒天馬よりもひときわ艶のある、黒曜石の様な輝きを持つ筋肉質の美しい漆黒の天馬であった。その天馬の瞳は他とは違う――鋭い金色の光を放っていた。


 金色の瞳。


 いきなり、りのの脳裏にチクリとした痛みと稲妻が走る。

 その光で、深いところに押し込められていた記憶が輪郭だけ照らし出される。頭の中の暗闇に一瞬浮かび上がった光景に、りのは息をのんで呆然とする。


 りのの動きが止った。


 妖しく光る抜き身を振りかざした乗り手が、容赦なくりのに襲いかかる。りのと北辰を包む白い結気は、相手の刀でなんなく切り裂かれた。


「りのーーっ」


 隊長の異変に気づき、恵鈴が叫ぶ。

 その声に、りのは全身をびくりと震わせた。

 一瞬だが意識を飛ばしていた、まさに危機一髪。白刃が振り下ろされる直前、りのはすばやく刀を抜いてなんとか受けとめた。位置を保持しようと北辰が、激しく羽ばたく。


 りのの肩が荒い呼吸で大きく揺れている。

 交差した刀の前に居るのは、金の目の黒天馬を駆る鼻から上を仮面で隠したすらりとした長身の騎手であった。髪は肩の辺りでゆるく一つに束ねられている。

 相手の目が冷たく光り、りのをにらみつけた。

 りのの刀がぶるぶると震える。力負けを気合いで押し返そうとばかりに彼女は歯を食いしばる。


 お互いににらみ合う、目と目。

 二人の天馬どうしがぶつかり合い、羽ばたきもままならず高度が下がっていく。

りのは自分の大きな息が止らないことに気がついた。頭がくらくらし始めて、手が痺れていく。今までこんなことはなかった。りのには何が起ったのか解らない。呼吸はますます速くなり、目の前が暗くなる。


 遠くで戦う恵鈴の叫びがかすかに聞こえる。

 急激に抜けていく力にりのは相手の刃がじりじりと額に近づくのを感じていた。女の白刃が金色に妖しく輝き始めた。自分が持つ刀の背がりのの額に食い込む。

 手の感覚がなくなり、刀を握る力が入らなくなった。


 このままでは、額が割られる。死んでしまう。しっかりしろっ。


 自分自身に叫ぶが、その声も遠くに消えていく。暗闇が視界を閉ざしていく――。

 その時、りのの胸元からめらりと緑の炎が揺らめいた。その光は金色を帯びた女の刀にまといつき、激しい火花が散った。


 りのの目がかっと開く。今だ。

 ぶつかるようにして、りのは女を押し返す。一瞬、相手がひるんだ隙を逃さずに今度はりのが打ちかかる、しかし速い呼吸は続いており、力の抜けた刀は難なく受け止められた。

 苦しい。自分で自分の呼吸が制御できなくなる恐怖に、りのは刀を握るのが精一杯の状態に陥っていた。



 一方。りのの左後方に位置するカンナは、向かってくる黒天馬に長筒の照準を合わせていた。

 大きく揺れる空中では、黒天馬の騎手は馬の首の影に入り、狙うことが難しい。下手をすれば天馬の首を貫通してしまう。敵といえどもいたずらに命を取ることは望まないが、戦力は削がないといけない。カンナは的が大きい相手の天馬に始めから狙いを定めることにした。天馬の命に関わらない、でも戦闘継続が難しくなる場所。

 カンナは頬に長筒を当て、引き金を――。


 突然、恵鈴の騎馬である香月かげつが激しくいなないた。

 弓を構えていた恵鈴が、急にカンナの方を向いて蒼い顔で叫ぶ。


「待って、だめっ」

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