第9話 封魔袋
三人は身を乗り出す。
妖天玉の由来は定かではない。普段はすべての光を吸い込んでしまうような真っ黒な玉だが、邪悪な気が満ちると金色に輝きその余りの美しさが人の心を惑わすらしい。
織田信長公から数奇な経緯を経て徳川家康公の持ち物となった際に、南光坊天海が天下を騒がす魔玉と見抜き、ありったけの呪で固めた封魔袋に誘い込み玉の力を封じ込めたと伝えられている。
「その玉は
「最近、玉を封印している地下から黒い煙が上がってくるのを怪しんだ警備の者が厨子を開いたところ、封魔袋の破れから黒煙とともに一気に消え去ったようなのだ」
「封魔袋はどうして?」
「護摩を焚きしめ千日の祈りを捧げた特殊な糸で作り上げた封魔袋だが、妖玉を封じる事に力を使い劣化していたようだ。おそらく以前から少しずつだが妖力は解き放たれていたのだろう」
「何か、が、起るという事ですね」
「ああ」重々しく阿部忠秋がうなずく。「おりしも藩のお取りつぶしによって増えた浪人達の不満が江戸に充満している。家光様の体調も思わしくないこんな折に何ということだ」
りのは先日の千住の捕り物を思い出す。あの件だけでは無く、藩のお取りつぶしで食い詰めた浪人が引き起こす小さな事件は日常茶飯事となっていた。
「それで、妖天玉の行った先の手がかりはあるのですか?」
りのの言葉に老中は大きくうなずいた。
「あの黒煙は江戸城から
忠秋は一枚の紙を取り出した。そこには江戸城から黒い煙が丑寅の方向にたなびいている絵と文字が刷られていた。
「真面目な男らしく、書かれていることに嘘がないので最近評判となっているらしい」
「丑寅、というと鬼門ですね。寛永寺が江戸の鬼門封じをしているはず」
「鬼門の方角には神田明神もあるわ」カンナが付け加える。「浅草寺も」
「おそらく、妖天玉は寺社の鬼門封じの霊力で拡散することができずにその辺りにひそんで気を溜めているのであろう。しかし、あの玉は騒乱の企てを持つ者の心に取り憑き、人外の力を与えると言われている。民心の不安や憎しみを糧にする妖天玉は騒乱を起こし、日の本を再び殺しあいが横行する世の中に戻そうとしているのだ」
忠秋はじっ、と三人娘を見わたした。
「玉の行方を探し、そしてこの江戸に何かが起ったときには、全力で収めて欲しい」
はっ。娘達が声を合わせる。
「このような菓子がのんびりと食べられる平穏な世の中であればいいのだが、な」
老中は傍らに置かれたアラレ餅の入った袋を見てため息をついた。
「誠におっしゃるとおりです。阿部様」
下座に控えたりのが大きくうなずいた。
「明日から、江戸の丑寅の方向に重点を置いて空から探索してみましょう」
「おお、頼むぞ。南町奉行の神尾備前守にもこのことは伝えてある。本来ならわしがすべての相談に乗ってやりたいところではあるが、家光殿の事もあっていろいろ忙しくてな。何かあればまずは彼に相談してくれ。せっかちだが勇猛果敢で仕事のできる方だ」
「お心遣いありがとうございます」
「それにしても……」恵鈴が先ほどの読売りを引き寄せて、悪戯っぽく笑う。「妖天玉の話だというのに、御天馬隊の絵があるなんて」
「まあ、お前達はお江戸の人気者だからな、載せると載せないのとでは読売りの売れ行きが違うのであろう」
「私たち、こんなに可愛く見えているのね」
読売に書かれている自分たちの絵を見て恵鈴がうっとりとつぶやく。
「そこじゃないでしょ」りのは眉毛を逆立てる。「大切なのは書いてある内容」
「全くお固いんだから。ほら、りのだってこんなにいい男に描いてあるわよ」
恵鈴の指の先には先頭に立って天馬を駆るりのの姿が載っている。他の二人がかわいさ強調なのに対して、りのの目はつり上がり男子のごとく、りりしく描かれていた。
「確かに、三国一の色男だな」
少女達の言い合いに苦笑しながら阿部忠秋も会話に加わる。
「きっとこれを見た江戸中の女の子が胸を焦がして悲鳴を上げてるわよ」
「いい男で悪かったわね」りのが恵鈴を横目で睨む。
忠秋がすまなそうな表情で三人を見回した。
「お前達も人気者であればあるほど、苦労も多いだろう。若い身空で名が売れているのは辛いところだな」
彼女たちは任務の際には目以外をほぼ覆った忍び装束になるので、顔全体がばれているわけではないが、それでも外出の際には、正体を見破られないようにかなり気をつけている。外に出るときには屋敷の地下に作られた地下道を通って、屋敷から離れたいくつかの出口から地上に出られるように細工がしてあった。
「それではそろそろ帰るとしようか」
阿部忠秋は腰を上げた。外は晴れ渡り、ぬけるような青空が輝いている。もうすぐ梅雨が来るが、今は新緑の一番美しい季節だ。
「世には
そういいながら、忠秋は玄関に待たせていたかごに乗り込もうとした。見送りに出ていた御天馬隊三人がふかぶかと頭を下げる。
その時。
屋敷の外からいくつもの悲鳴が上がった。「空、空」と叫ぶ声があちこちから響く。
視線を上に向けた彼女達はそのまま固まった。
上空に現われたのは、人を乗せた十数羽の真っ黒い天馬。
先頭を行くのはひときわ身体の締まった一頭。輝くような黒色の毛並み。黒い翼を目一杯に広げて悠々とたてがみをなびかせて空を駆けていく。続く一団も刻々と隊形を変えてそれに続いた。そのまま群れは空に大きな輪を描いて回転する。それはまるで墨をしみこませた筆で空に勢いよく渦を描いたごとくだ。
「黒い天馬……」忠秋がりのを見る。
りのはうなずくと、恵鈴とカンナの方を見た。彼女たちも真顔でうなずく。
三人は指笛を吹いた。
厩舎から駆けてきたそれぞれの天馬達の手綱に手をかける。と、彼女たちを一瞬白い光が取り囲んだ。光が消えると彼女たちの姿はいつもの忍び装束に変わっていた。
天馬の不思議な力は、着物や髪型などの彼女たちの外見を変えることができる。通常はりのが肩矢の意匠入りの青い忍者服、恵鈴が赤、カンナが黄色である。しかし、これは天候や任務によって様々な色に変化した。
「
声と同時に飛び乗ると、天馬達は地を蹴ると大きく羽ばたいてふわりと宙に浮いた。そのまま、ぐんぐん高度を上げていく。
「頼むぞ、御天馬隊」
阿部忠秋は果敢に黒天馬達に向かっていく少女達を、目を細めながら見送った。
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