第8話 飴屋敷
旧奥州街道が通る賑やかな大天馬町。昔は
御天馬隊の本拠地は、高い塀に囲まれた一角であった。りの達はここで起居しているが、高い塀の内側には更にそれよりも背の高い木が何本も植えつけられており簡単に内側を覗き込むことができないようになっている。時折外にまで馬のいななきや、蹄の音が響き、物珍しそうに屋敷の前で立ち止まる物見高い輩も多いが、周囲にはいく人もの屈強な見張りが立ち鋭い目で威嚇するため、肩をすくめながらそそくさと立ち去るのが常であった。
外から見ると厳格なたたずまいである一方、高木の中に桂が混じっているのだろうか、秋になると周囲に飴を焦がしたような甘い香りが漂ってくる。そのため近所の人々はこの屋敷を『
この中は厩舎と広い馬場で占められていて、人間の住む邸宅はさほど大きくはない。
瀟洒だがこじんまりとした邸宅に、今日は一人の客が訪れていた。
客間に座っているのは、
つり上がった眉毛とは裏腹に、くっきりとした目は富士の裾野のごとくなだらかに垂れている。常に少し右の口角が少し上がった苦み走った男くさい風貌だが、その客人はえくぼを浮かべて目の前の砂糖をまぶした緑色のアラレ餅を嬉しそうに眺めていた。
「相変わらず、ここで出される菓子はうまいな。この揚げたアラレ餅もほんのりとしたヨモギの香りとさくりとした歯ごたえがたまらん。まぶされた砂糖のあんばいがまた絶妙だ」
そういいながら右手でもう一粒つまむと口に入れる。
「まるで霜柱を踏むような小気味よい食感だな。いつもながらどうやって探し当てるのだ、こんなにうまい菓子を」
男は感に堪えないというふうに割れた顎を振る。
「阿部様、この恵鈴はお手当をすべて菓子につぎ込むほどの、甘味好き。菓子の噂については江戸一番の早耳でございます」
りのが笑いながら答える。恵鈴とカンナも微笑む。客人に対して下座には、お天馬隊の三人が控えていた。忍び装束から普段着の着物に変わった少女たちは、どこから見ても普通の町娘たちである。
「お江戸の菓子の事なら、いつでもご相談ください」
恵鈴が、得意げに少し鼻を上向きにしながら言った。
「この残りを持って帰っても良いか。子供らが喜びそうだ」
「老中の阿部様に残った物をお持ち帰りいただくわけにはまいりません。急いで新しいものを買って参ります」
「それには及ばない。砂糖を使った菓子は高いのだろう。何事も質素倹約が大切、残ったもので良いのだ」
おおらかな老中は右手を振ってにっこりとわらう。
「それでは半紙にお包みいたします」恵鈴が席を立った。
「おお、すまないな」
この男は
松平信綱は稲妻のような頭のひらめきで問題を解決していくが、忠秋はどちらかというと鷹揚で広く周りを見渡し行動するたちである。二人とも四十後半であり同年代のよしみで忌憚なく意見が交わせる間柄であった。カミソリと評される信綱の才知は忠秋も認めるところであったが、信綱もまた忠秋の人徳が集める周囲からの信望を高く評価していた。
「こんなに貰っても良いのか? お前達の分が無くなったのではないか」
残ったアラレよりも明らかに多い分量が入った紙包みを渡され、忠秋は目を丸くする。
恵鈴が目を細めて微笑んだ。
「阿部様のお帰りを首を長くしてお待ちのお子様達に是非食べていただきたいと、アラレが申しますので」
阿部忠秋は親のいない子供を幾人もひきとり自分の邸宅で育てている。噂が噂を呼び、彼の家の前には次々と子供が置き去りにされるが、彼はそういった子供達をみな快く邸に迎え入れて慈しんでいた。
「お菓子好きが嵩じて、恵鈴はとうとう天馬だけではなく菓子の声も聞けるようになったようです。ご遠慮なくお持ち帰りくださいませ」
カンナのこまっしゃくれた一言に、一同が笑い声を上げる。
しかし、すぐに忠秋の顔から笑顔が消える。
「お主達も、天馬乗りという異能が無ければ、普通の
忠秋は眉間に皺を寄せるとため息をつく。
「御政道を揺るがし天下を不安に陥れる者達と戦うのは、天が私たちに課した使命です。しかし、この生き方もまた一興、私たちは普通の娘として生きる事を望んでおりません」
りのの瞳が輝いている。そして後ろに控える恵鈴とカンナも唇を結んで同意とばかりにうなずく。
「天馬に選ばれし、誇り高き戦乙女ども……か。さすがの覚悟よ」
しばらく忠秋は彼女たちをじっと見つめていたが、おもむろに口を開いた。
「先日、
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