第4話 天馬のいる江戸

 天馬は男の前方に降り立ち、威嚇するように羽根を広げた。


「何をこしゃくな、小娘がっ」


 浪人は長い刀を空をも切るかという勢いで天馬に向かって振り下ろす。

 しかし天馬はあざ笑うかのようにふわりと舞い上がって、こともなげに男の頭上を越えて背後を取った。


「ふふん、刀をつかうほどのことではないわねえ」


 少女は右手を束から離すと肩をすくめる。

 馬鹿にされたと思ったのか、顔を赤くした男がふりむいて刀を上段に構えた瞬間。

 かすかに笑った少女の手から放たれた投げ縄が、スポリと男の両腋に引っかかって締め上げた。そのまま、男を引きずったまま天馬が急に羽ばたいて上昇。上空で天馬が小さく旋回すると男は空中で弧を描いてぶんぶんと振り回される。

 男の絶叫が青空に響きわたった。


「いよっ、りのちゃん、日本一」


 絵を書くのも忘れて、墨の付いた筆を握ったまま手を上げて大はしゃぎの音吉に目を丸くした旅人がたずねる。


「お、おい。あ、あれはなんだ?」

「あれって、天馬だよ」

「お江戸じゃ、馬が空を飛ぶのか?」

「馬は普通空を飛ばねえよ。天馬って言って、あの子達が乗ってる羽の生えた馬が特別なのさ」

「で、あの命知らずの娘っ子は?」

「あれは江戸名物、御天馬隊わるきゅうれの隊長『三代目肩矢かたやりの』。関ヶ原の戦いで立てた武勲で東照大権現様から『肩矢』の名字を賜った初代から、その名を引き継いだ当世知らぬ者のいないお江戸を守る女神様だよ。その予想をはるかに超えた行動は『肩矢振かたやぶり』と言われていつも江戸っ子達の度肝を抜いてるんだ。美形で凄腕、はああ全くたまんねえなぁ」


 音吉の感嘆のため息が終わらない内に、群衆から叫びが上がった。


「残りの浪人が川を渡って逃げるぜ」


 物見高い人々は一斉に川のほうに向かう。川面に泊められていた船が奪われ、そこに数人の浪人達が乗っていた。川の流れに乗って、船は勢いよく川下に逃げていく。

 しかし、それを遮ったのは大きい栗毛の天馬であった。


「あ、ありゃあ子供じゃねえか」


 音吉につられるように、川岸まで走ってきた旅人が目を丸くする。

 大きい天馬の上には、まだ子供と言ったほうが良いようなおかっぱで眼鏡をかけたあどけない顔の少女がまたがっていた。背中にしょった少女には不釣り合いな鉄砲は異国渡りの新式銃。素早く火薬と弾を詰めると、少女は銃床上部を頬に当ててぶっ放した。反動で天馬も勢いよく後退するが、慣れているのか天馬は大きな羽根で造作も無く平衡を保つ。

 弾丸は狙い通り船底を砕き、船の上の浪人達は慌てて立ち上がった。刀を振り上げてみても、相手は空の上、どうすることもできずただ鉄砲の音に翻弄されて狭い船の上で踊りを踊るように跳ね回るのみ。


 数発の銃声の後、船底を撃ち抜かれて穴が開いたか、とうとう川船は沈み始めた。


「子供だからと行って馬鹿にするなよ。あの子はカンナ、最新式の銃の使い手で、小さいけど火器を扱わせたら右に出る者はいない強者だぜ」


 カンナは溺れる浪人達に綱を降ろした。


「おじさん達、今日は増水してるから泳ぐにしちゃあ流れが速すぎるわよ」


 渋々綱につかまる浪人達を引っ張るようにして岸に救助する。そこには手ぐすねを引いた捕り手たちが待ち構えていた。


「な、すげえだろ」自分の妹のように音吉は鼻をうごめかして自慢する。

「じゃあ、あのかわいらしい娘さんは?」


 男の指さす先では、千住大橋を渡る最後の男をまた別の天馬が追っていた。黒色の小さなぶちがちりばめられた灰色の天馬に乗っているのは、陽の当たりようによっては金色にも見える、ふんわりとした茶髪の巻き毛が頭巾からはみ出ている華奢な少女だった。透き通るような真っ白な肌、長いまつげの下の薄茶色の瞳。そして細い身体に不釣り合いな豊かな膨らみを持つ胸。ちょっと異国の香りがする容姿である。

 その儚げな見かけとは裏腹に、肩の矢筒から素早く矢を取って弓をつがえると、文字通り矢継ぎ早に逃走する男に射かける。程なく、足に矢を立てた男が道に転がった。


「あの子は恵鈴えりん、弓が達者で、なんでも天馬と会話出来るらしいぜ」

「す、すげえな」


 男は絶句して天馬に乗った少女達を見つめる。

 地上ではやんやのお祭り騒ぎである。どこから取り出したか肩矢と書かれた幕を振り、「肩矢振り、肩矢振り」と連呼する一団もあれば、「おりのちゃん」「恵鈴様」「カンナ坊」と推しの名前を声を枯らして連呼する一団もある。どうやら人々は大捕物にはきっと彼女たちが現れるとふんで、待ち受けていたものらしい。

 天馬にのった三人娘は、捕り手に浪人達を引き渡す。そして人々に挨拶をするように天空を一周すると、先頭が肩矢りの、少し遅れて左右にカンナ、恵鈴という三角形の隊列を組み、去っていった。


「あれが無敵の御天馬隊だぜ。あの子達の活躍を皆に知らしめたいために、俺はこの仕事を選んだんだ。とことん追わせてもらうぜ」

「あんな危険な娘っ子に深入りすると命がいくつあっても足らない気がするがなあ……」


 傍らの男のつぶやきも耳に入らない様子で、音吉はうっとりと彼女たちの去って行った空を眺めていた。

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