第3話 三代目、参上!

 天下分け目の戦いから、早五十年。


 大阪夏の陣の勝利でついに天下を我が物とした家康の後、政権は秀忠、家光と引き継がれ、徳川幕府の体勢も盤石になりつつある。と、同時に将軍のお膝元である江戸は上水路や五街道と言われる交通網が整備され、日の本一の都市として目を見張る発展をとげていた。

 ここ江戸城の北東、千住宿は日本橋の次の宿場であり、奥州街道、日光街道の起点である。千住には荒川、綾瀬川が近くで交差しており、昔から水の便は良い土地であったが、文禄三年荒川に千住大橋が架けられたことによって交通の要所としてさらなる発展をとげていた。参勤交代の一行も利用するこの千住宿は、所狭しと大小さまざまな旅籠が建ち並んで人通りの絶えることが無く、江戸四宿のなかでも一番の賑わいを誇っている。



 宿場の朝は早い。一番鶏が鳴く頃。まだ人の顔もはっきりわからない薄闇の中、日中の距離を稼ぐため旅人達はつぎつぎに宿を後にし始める。彼らはこれから一日歩いて日の出ている内に次の宿場に入るのだ。早く着けば着くほど宿の湯もきれいで、相部屋の良い場所を占拠できるため、すでに旅人達の頭の中はいかに早く次の宿に着くかで、いっぱいになっている。

 しかし、その日千住宿を立った旅人はいつもと勝手が違っていた。彼らは宿を出てしばらくすると、泡を食って出てきた旅籠に逆戻りし始めたのである。店の者も先ほど送り出したお客が舞い戻ってきたので、びっくりした顔で出迎える。今から旅立とうとしている客達も一斉に出戻り客に怪訝な視線を浴びせかけた。


「おやお客さん、いったいどうなさったんで」

「どうもこうもないぜ、おやじ。見てみろよ、あの旅籠の前を」


 お客に袖を引っ張られ、宿の者がそっと外を見てみると、薄暮の中に黒の羽織を引っかけ一本刀を差した同心、長い十手を持った岡っ引き、刺股や突き棒を持ち白のたすきに鉢巻をきりりと締めた捕り手の面々が一軒の旅籠のまわりをぐるりと取り囲んでいた。


「こりゃいったい、どうしたことで」おやじが頓狂な声を上げる。

「聞きたいのはこっちのほうだい」負けじと客も叫び返す。


 宿屋から首を出して騒然とした往来を見つめるおやじと旅人は、駆け寄った捕り手に小突かれて静かにしろとばかりにらみつけられた。しかし、物見高いのは江戸っ子の性。こんな早朝にもかかわらず、どこで噂を聞いてきたのか次々に人が集まってくる。その数は時間が過ぎるに従って増え、瞬く間に捕り手達の周りにぐるりともう一重、野次馬の輪ができた。

 朝の光が往来に射し、四方が見えるようになった時にはいつ捕り物がはじまるかと固唾をのんで待ち構えている人々で宿場町はいっぱいになっていた。


「へえ、丑三つごろから捕り手が集まりだして、川端屋を取り囲んだんだな」


 一人の背の高い男が小筆片手にこのあたりの住人らしき男に話を聞いている。


「ああ、なんだかざわめくなと思って覗いてみたらよ、こんなことになっててさあ。なじみの小者に聞いたら……」


 そこで男は声を止めた。


「どうしたい、続きは?」

「音吉さんとやらよ、この騒動を絵にして辻で売る気だろ。最近上方から伝わった、読物に絵をつけた紙を売る新手の商売があるって聞いているぜ。あんたそれだろ」


 男はにやりと笑うと掌を上にして、音吉の目の前に突き出した。

 音吉と呼ばれた男はしぶしぶ数枚の銭を握らせる。再び男の口が開いた。


「なんでも腕に覚えのある浪人どもが石町の両替屋に押し入ろうって魂胆で、集結したらしいぜ」

「御奉行所は、そんなことがよくわかったな」

「内通者でも居たんだろうさ。今月の当番は南町の神尾かんお備前びぜんのかみ様、さすがの仕事ぶりだぜ」

「で、続きは?」

「それだけだよ。後は自分で聞き回りな」


 そう言うと男はさっさと人混みの中に姿をくらました。


「お、おい、それっぽっちかい、半分金返せ」


 音吉が男を追おうとした時、突然わあっという声とともに長屋に捕り手がなだれ込んだ。


「始まったぜ、始まったぜ」群衆がどよめく。


 音吉は押されながらも賢明に何やら紙に書き付けている。

 新しく野次馬の輪に入ってきた旅装の男が音吉の袖を引く。


「なんだよ、今忙しいんだよ」


 無遠慮な男を一瞥すると、音吉は迷惑そうに叫ぶ。


「こりゃ一体なんの騒ぎだよ。どうでも良いけど、俺は早く千住大橋を渡りたいんだ」

「そりゃ無理さ。しばらくここは大捕物で大騒ぎ、おおおおっ」


 背の高い音吉の頭は群衆から頭一つ抜きん出ている。その視線の先には、長屋から次々に飛び出してくるつぎの当たった着物の浪人達。汚れてはいるが、着物の生地はなかなか上物で、身のこなしも隙が無い。彼らは藩がお取り潰しになって、いきなり失業の憂き目を見た武士のなれの果てだと思われた。


 徳川家康から家光の時代、なんと百二十六もの大名がお取り潰しになっている。幕府は世継ぎの不在や秀忠の代に出された武家諸法度に違反したなどと難癖をつけて脅威となる外様大名を次々と潰していた。幕府側は政権の安定と拡大をもくろんだのだが、そのあまりに情け容赦ない政策は、巷にたくさんの食い詰め浪人を生み、治安の悪化にもつながっている。


 捕り手達が浪人を取り囲むが、窮鼠猫を噛むどころではない、腕に覚えのある浪人どもはまるで虎のように彼らに逆襲の牙を剥いた。形は一丁前でも、武芸など本格的に習っていない捕り手達は浪人達が駆使する長い刀が一閃するとばらばらと倒れ、うめきながらその場にうずくまった。

 抜き身を手に、薄汚れた袴を跳ね上げながら四方に走り出す男達。

 男達の鮮やかな剣技を見たためか、彼らを追う捕り手達の腰もどことなく引けている。かけ声ばかりで、浪人が振り向こうものなら、後ずさりする始末。

悲鳴を上げる群衆の前を刃を振りかざしながら走る一人の浪人の前に、逃げ遅れた小さな子供が呆然とたたずんでいた。


「邪魔だ」


 血走った目をした浪人が、なぎ払おうとばかりに躊躇無く刀を振り上げる。

 白刃がギラリと光り、群衆から悲鳴があがる。


 その時。


 天空から急降下してきた白い閃光が男の前方をかすめた。そのまま急上昇した矢にも似た光は、宙に留まって羽根を広げた白馬に姿を変える。

 天馬の手綱を取るのは、左の背中に矢の意匠が赤く染め抜かれた青い忍装束に身を包んだ少女であった。頭巾から出るように頭頂近くで一本にまとめられた長い髪が赤い結い紐とともに上空の風になびいている。顔は頭巾で頬骨から下が隠されているが、意志の強そうなぱっちりとした黒い瞳が印象的だ。


 彼女の腕の中には、恐怖に固まった子供がしっかりと抱かれていた。


「いよっ、さすが三代目。日本一っ」


 少女は小さく旋回して地上に降りる。人々はどよめいて、翼をひろげた天馬に場を開けた。そして、駆け寄ってきた母親が天馬から降ろされた子供を抱き取ると、群衆から嵐のような拍手とかけ声が湧き上がった。

 天馬に当たった衝撃で、浪人は道ばたに跳ね飛ばされて転がっていたがすぐさま立ち上がって駆けだした。しかし、天馬と少女が男の前に立ちはだかる。


「三代目、肩矢りの参上」


 手綱を離し、左手を刀の鍔に添え、右手で束を握った少女が男を見据える。


「何が三代目だ、この小娘が」


 男は立ち上がって、りのに向かって素早く刀を構える。


「お前さん、もう逃げられやしないよ。ここから先は全方位にわたって、お先真っ暗。地獄への一本道さ」


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