第30話 安定剤
「本当ですか?」
驚いた顔をして尋ねると直ぐに彼女は「あ!」と声を上げた。その声に私まで肩が跳ねた。彼女は、慌てて訂正する。
「いや、決して昔からの知り合いとか、過去に出会った人達がろくでなしとか、そういう意味じゃないですよ!?」
「違うの?」
「違いますよ!! そんな事言うなんて、私の方がよっぽど、ろくでなしじゃないですか!」
照れているのとは違い、焦りに顔を赤くして否定する。
「私が言いたかったのは、他人がどうって話では無くて、全部自分の問題だよねって。私の見方一つで、未来に希望が持てるようになったよって話をしたかったんです」
何とも言えない苦々しさから、どんどん閉口していく気がする。頬の筋肉が引き攣る感じがする。私、今ちゃんと朗らかに笑えているだろうか? 歪んだ顔をしていないかが気に掛かってしょうがない。胃が重くて気分が悪い。そして、物凄く恥ずかしかった。
「……楓さん?」
私の顔を窺うように2、3歩近寄ってきた。
「ズーン……」
「え!? 凹んでますか!?」
アワアワする後輩。そりゃそうだ。今の話を聞いて凹むのは、私くらいのものだろう。
「凹んでません……」
苦し紛れに強がりを言うけれど、嘘なのは誰の目にも明らかだっただろう。
何をそこまで凹む?と自問自答する。後輩が自分よりも大人だった事? 他人と自分の意見が違った事? 幸せだって胸を張って言えない事? 乃依ちゃんが彼氏さんに愛されるように、自分が誰かに愛されていない事?
卑屈になってなっているようで、凹む理由は次々と湧いてきた。焦った乃依ちゃんが話題を変える。気を遣わせている事実すら、私を凹ますには十分な理由である。ごめんね、ごめんねと心の中で謝罪しながら、変えられた話題に乗って、笑顔を顔に貼り付けた。
結局、その後も私に飛び込みの指名客は入らなかった。
仕事を終えて、職場の最寄駅へトボトボ歩いている時、スマフォを全く確認していなかったのを思い出した。確認すると陽人とこなっちゃんと3人のトークルームに2人が『今日よろしく』的な事を送ってきていた。2人とも楽しみにしているらしい。当然か。今日は推しに会うわけだしな。
誠也くんからも『今日よろしく』と『仕事終わったら連絡する』とメッセージが届いていた。私も返信をしようと、まずは陽人とこなっちゃんのトークルームを開いた。次に誠也くんへの返事を打って、送信ボタンを押したのと、誠也くんから『終わりました』と送られてきたのは、ほぼ同時だった。「あ、」と思った瞬間にスマフォが鳴る。着信は、誠也くんからだった。
「もしもし」
「しょこた?お疲れ様」
「誠也くんもお疲れ様」
スマフォから誠也くんの背景音が僅かに聞こえる。都心の雑踏、あとクラクションの音も。誠也くんも外を歩いているようだ。
「しょこたも仕事終わったんだね。まだ職場近く?」
「うん。駅に向かって歩いてます」
「しょこた、神田まで来るのに20分くらい掛かるでしょ?」
「うん。大体」
「俺、神田駅の改札で待ってるからさ、店まで一緒に行こうよ」
「いいよ。2人とは、現地集合って事になってるし」
「じゃあ、気を付けて来て」
「はーい。あ、どこの改札か言ってよ」
「あー、着いたら送る!」
この後直ぐに電話は切れたけど、誠也くんの声は、ここ最近凹みがちだった私の気持ちを少しだけ浮上させた。5月は本当に過ごしやすい。大分気温も上がったけれど、それでも熱いと言うほどではなかった。日も少しずつ伸びて来ていて、17時を過ぎたのにまだ完全に暮れきっていない。沈みかけのオレンジ色の陽の光は強くて、視界をしぱしぱさせる。そんな眩しさに目を細めながら、歩く。一体今日の会は、どういう方向へ転がるかしら?と呆れにも期待にも思える曖昧な笑みが込み上げる。
“今日は彩ちゃんがいないからな〜……”
誠也くんと会うのに彩ちゃんがいないのは初めての事で、それも少しだけ私の緊張を煽っている。
駅に着いて直ぐに来た電車に飛び乗った。電車に揺られながら、こなっちゃんは誠也くんを前にしてもいつもの調子を出せるかな?借りて来た猫みたくなっちゃうかな?陽人はどうかな?とかそんな事を考えていたら、約20分の移動なんてあっという間だった。
そういえば! と思い出して、慌ててLINEを確認すれば、『西口にいます』とメッセージが入っていた。
◇
誠也くんと合流した時点で、2人に連絡を入れるとこなっちゃんは移動中で、陽人は『後10分で会社出ます』という返事だった。2人とも30分もしないくらいで到着出来るだろうという事で、私と誠也くんは、一足先に店へ向かう事にした。おおよその集合時間は決めていたけれど、みんな時間がハッキリしないという事で予約はやめた。
誠也くんと2人だけで連れ立って歩くのも初めてだった。基本は彩ちゃん含めた3人で行動してるし、ファミレス以外に遊びに行く予定がほぼ無いので。
「しょこたとも、何だかんだ3週間振りじゃない?元気?」
「先週、お教室がGWでお休みだったもんね」
誠也くんの「元気?」には返事をしなかった。誤魔化せてるのか分からないけれど。誠也くんは、じっと私を見ているらしい。
“誤魔化したの、バレてそうだな〜”
けれど、誠也くん視線を前に戻して、それ以上追及する気はないらしい。
「そういえば、下北沢にプリンが有名な店があるんだよ」
「え?」
「しょこたプリン好きでしょ?」
「うん!好きー」
「食い行こう」
「行く!」
「……。うん」
誠也くんは、嬉しそうな顔で、でも声はいつも通りに頷いた。
“誠也くんもプリン好きなんだろうか? 美味しいもんな。プリン”
「事務所の先輩に教えてもらってさ、俺まだ調べてないから、ちゃんと場所とか聞いとくね」
「頼むわ〜」
「いつ行く?」
「直近の休みは、明日!」
「マジで直近。俺は仕事だもん」
「じゃー、休みの日LINEするから、LINEしてよ。1ヶ月分くらい」
「分かった」
誠也くんは、穏やかに笑う。私も釣られて笑う。最近はずっと凹んでて、今日はここ最近のMAX凹みを経験した直後だけど、誠也くんといると気持ちがフラットに戻る気がして心地よい。これが2年の積み重ねか、と噛み締める。ジーンと胸にくるものがあった。
「?? しょこた、まじで大丈夫? 体調悪いの?」
「悪くないって!」
私の友情を噛み締める顔を見て体調不良とは、何気に失礼だ。
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