第1話 始まりは京都にて

文久三年(1863年1月)――

 先ほどまで季節外れの雨を降らせていた雨雲が月や星を厚く覆い未だに夜の都を暗闇で支配していた。

 都大路を行く三つの人影が提灯のか細い灯りへすがる様にゆっくり移動している、先頭は助九郎が歩き、後ろをかっぷくの良い男が続く。烏帽子をかぶり身なりの整ったいかにも高貴な家柄と判る出で立ちだ。その横で提灯を持った女が付き添う。装いは町娘の様だが細身で整った顔立ち、肌は雪の様に白く、歳は助九郎と同じ位に見える。女の掲げる提灯の灯りだけが暗闇に三人の姿を浮かび上がらせている。

 男「いや~参った、道山殿の話が尽きずこんなに遅くなろうとは、すっかり真っ暗じゃ、参った参った」

 参ったと言う割に男は恵比寿顔で、赤くなった頬と酒の匂いが満足感を醸し出している。

 女「宮様の方が止めどなく話しをしてましたけど?」

 助九郎「コラ秋女あきめ!要らぬ事を申すな!」

 宮「良い良い、アケスケに物を申す秋女を私は気に入っておる、この鹿倉宮かぐらのみや、美しい女には寛容ぞ?」

 宮は目を細め横目で秋女の白い肌をニンマリ見た。

 秋女「(キモ!)そ、それはどうも……」

 秋女は首筋に冷たい物を感じ、ひきつった愛想笑いを浮かべる。

 宮「それにしても歩き難いのぉ、雨でぬかるみくつも泥だらけじゃ、やはり馬が良かったのぉ」

 助九郎「すみません宮様、馬は弓や鉄砲の的になり易く」

 秋女「何度も言ったじゃん警護の為だって、あたし等が盾になれないの!」

 助九郎「あ~き~め~」

 宮「それに寒いし暗くて不気味だのぉ、早く帰らねば何やら魑魅魍魎が踊り出そうじゃ」

 秋女「さっきから文句ばっか!これだから公家は」

 助九郎「止めぬか秋目!さっきから失礼だぞ!」

 宮「良い良い滝川~、我には遠慮しなくて良いぞ、あ・き・め♡」

 そう言いながら鹿倉宮は秋女の背後に手を伸ばし尻を触った。

 秋女「ヒッ!」

 秋女は尻から全身に電流が走りビクッとして飛び上がる。すぐさま手を上に掲げ宮に向けて平手打ちを振るが、いつの間にか割って入った助九郎が体で止めた。

 助九郎(まだ報酬は貰ってないのだぞ!我慢しろ!)

 秋女(ぐっ!ぢぐじょ~このエロオヤジ~!)

 宮は鼻歌を唄い出し、尻の感触から卑猥な妄想を膨らませ浸っている。秋女が怒り浸透なのも助九郎が必死になだめているのにも目に入っていない。

 宮「しかしこの不気味なまでの静けさ、他に誰も居らん、皆戸を固く閉じて引きこもっておる様だ、最近は都も寂しくなったのぉ滝川?」

 助九郎「攘夷派による闇討ちが横行しておりますし、さらに不貞浪士も全国から京に集まって来ており、ケンカ、物取り、恐喝、何かと物騒、迷惑な話しです」

 助九郎は厚い雨雲を見上げながら語る。

「困るのはいつも身を守る術を持たないシモジモの者、その者達が国を支える根幹だと思慮至らず何が攘夷でしょうか、鹿倉宮様!宮様は人々の上に立つお立場!是非この有り様をお忘れなき様―」

 助九郎が振り返ると宮は立ち小便をしている。助九郎は拳を握りしめプルプルと震え、それを秋女が上から目線でニヤニヤと見ていた。

 次の瞬間!助九郎と秋女の目に殺気が籠った。後方から誰かが小走りで駆けて来る足音を微かに感じたのだ。まだ鹿倉宮は気付いていない、秋女はゆっくりと自然を装い宮を路の端に寄せて建ち並ぶ屋敷の壁側に誘導しながら歩かせる、助九郎も歩幅を調整して宮の横、そして後ろへと回り込む。

 助九郎(足音は…三人か、多分全員男…)

 秋女(前に気配は無い、逃がすならこのまま…)

 足音は次第に近づき鹿倉宮も「ん?誰か来るな」と気付いた。助九郎と秋女が周囲を警戒するなか、足音の主達が大路の真ん中を走り助九郎達に並び止まった。壁を背に鹿倉宮、秋女、助九郎の順で一列になって対峙する。一方相手は三人の男、塀に留まった雀の様に横へ並んでいる。角笠を深く被り顔は見えず、腰に刀を差し下級武士を思わせる身なり、いかにも不貞浪士を感じさせる。

「鹿倉宮兼続様とお見受けいたすが相違御座らぬか?」

 助九郎「いきなりの声かけ無礼であろう!名乗りもせず不躾な振る舞いに明かす名は無い!出直せ!」

 男達は互いに顔を見合せ頷き合った。

「我ら尊皇の志あつく、攘夷の名のもと救国を貶める輩に天誅を下す!異国に被れ朝廷に巣食い害をなす鹿倉宮!覚悟!」

 秋女「動かないで!」

 秋女は前を向きながら後ろの宮を手で壁に押し付ける。

 宮「ムギュ~」

 押し付けられた宮の顔は饅頭の様に潰れた。秋女は大胆に足を前後に開き姿勢を落とす。白く細い太ももが着物からアラワになっているが意に介さず、帯から抜いた鉄扇を広げ防御の構えをとる。

 三人の男はそれぞれ刀に手をやろうと腰を落とす瞬間、助九郎は足下の小石を蹴り上げた。

 「なっ!」

 小石は向かって右側に立つ男の顔に向けて飛び、男はこれを手で払い動作が一つ遅れた。

他の二人が刀に手をかけた時、助九郎は既に抜刀しながら真ん中の男の懐へ飛び込む。

 「ぎゃっ!」

 男達が抜刀した瞬間、真ん中の男から角笠と血飛沫が上空へ舞った。

 「熱っ!」

 左の男は左腕から急に焼きゴテを押し当てられたような熱さを感じ、咄嗟に右手で押さえた。

 「えっ、何で!?」

 ドクドクと暖かい血が腕を伝って流れ出しているのを見るまで既に自分も斬られていた事に気付かなかった。

 助九郎は方膝を突きしゃがみ両手を羽の様に左右へ広げ微動だにしないまま敵の出方を観察している。真ん中の男は背中から倒れ、斬られた胸の痛みに耐えきれず身体を丸め左右にバタバタとノタ打つ。左の男は方膝を突いて左腕の傷口を押さえ、後から来た痛みと知らぬ間に切られた恐怖で金縛りになるなか、助九郎がゆっくり立ち上がる。右の男は一瞬にして展開した状況に頭が追い付いていない。いや、この場で秋女以外、助九郎がいつどうやって敵を斬ったのか見えていなかった。

 「へっ?えっ?あれ?」

 右の男は倒れた仲間と助九郎を交互に見ながら後退りした。助九郎は刀を下ろし構えを解いたままゆっくり近付く。暗闇で表情が判らず、それが男の恐怖を掻き立てる。

 「ひえっ!」

 男は助九郎に背を向け走りだそうとしたが足がもつれて顔から地面に倒れ込み懐から財布を落とした。財布には風車を型どった根付けがついており、ズッシリと落ちた様子と膨らみから相当な額が入っていると解る。男は財布を素早く掴むと必死でもがき犬の様に四つん這いになりながら逃げて行く。

 助九郎は刀の血糊を拭き取りながら、構えを解いた秋女に言った。

 助九郎「秋女、奉行所まで頼む」

 秋女「あいよ」

 呆気に取られていた鹿倉宮がハッとして割って入る。

 宮「ちょっと待て!秋女一人じゃ危険じゃ!」

 助九郎「大丈夫です、早駆けは秋女の特技、誰も追い付けません。ほらもう既に――」

 助九郎が示す先に秋女の姿は無く、ただ暗闇に水溜まりの波紋が揺れている。

 助九郎「宮様、屋敷へ急ぎましょう、まだ仲間が隠れている可能性も有ります」

 宮「そっそうか、よし、急ごう」

 残された大路には二人の男が唸っていたが、闇夜は何も語らなかった。

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