エピローグ 助九朗の過去

 あれから十日ほど経ち、再び獄舎を訪れた黒田、板の間で助九郎と再会する。

 黒田「おぉ来たか」

 そこには牢獄で弱々しく汚れていた者は居らず、無精髭を剃られ身なりを整えた精錬な青年が立っていた。

 黒田「どうだ、飯は食べられているか?」

 助九郎は黒田の問いかけに答えず静かに手を床についた。

 助九郎「この度は私の放免に骨を」

 黒田「よいよい!そう言う挨拶は要らん!飯は食えているのか聞いておるのだ」

 助九郎「はいしっかりと、この通り新しい着物も頂き傷も手当てして貰いました」

 黒田「よし、では本題だ。滝川、明治政府に支えてくれぬか?どうだ?」

 助九郎「すみません、先にお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 助九郎は伏しながら聞く。

 黒田「おっとすまんすまん。私は黒田清隆、薩摩藩士だ、今は明治政府で陸軍参謀をしておる。で?どうだ?」

 助九郎「話は獄長より伺っております、私の腕を買って下さっておられるとか」

 黒田「いいからどうなんだ、支えてくれるのか?」

 助九郎「残念ながらお断り致します、黒田様もご存知の通り私が徳川と共に」

 黒田「君もまだ徳川とか新政府とか薩長とかそんな下らん事に囚われておるのか……」

 黒田は立ち上がり障子を開けると外を見ながら語り出した。

 黒田「戊辰の戦で徳川は降伏し御維新が成された。其が良いか悪いかは別として既に新しい世が誕生し動き出したのだ!生き残った我々は死んでいった者達の為にも新しい世を生き、安寧を築き次世代へ引き継がねばならんと思わぬか!」

 黒田は再び助九郎の前に座り話しを続けた。

黒田「明治政府は糞の集まりだ……」

 黒田の言葉に助九郎は驚き顔を上げた、政府の高官である黒田が自らの組織を批判したから当然だ。黒田は助九郎の目を見る。

黒田「長州の者どもは元々尊皇攘夷を掲げ強引に外国排除を実行し他藩にも強要した、にも関わらずいざ自分達が追い詰められれば主義主張を真逆に覆し薩摩に助けを求めイギリスと手を組んだ、日本の平定をお題目にお門違いな怨みを晴らす為だけに会津を蹂躙した、そこに志しは一辺もない……そして薩摩は初めの志しを忘れ己が徳川にとって代わりたいが為だけに数々の鬼畜にも劣る策をもって戊辰を起こした、其は語る口をも汚す卑怯極まりない策略を持って……」

 助九郎「卑怯極まりない策……やはり孝明帝の崩御も薩摩が?……」

 黒田は首を横に振る。

 黒田「判らん……其だけは有ってはならんと願っておる……が、否定も出来ん事が口惜しい……」

 孝明天皇は徳川慶喜を頼りにしており薩長にとってはいかんともしがたい存在で、その急な崩御には黒い噂が付きまとっていた。が、覆水盆にかえらず、今更どうしようもない。それよりも薩摩の汚点を語る必要も徳も無いにも関わらず、正直に包み隠さず自分に話してくれる黒田に助九郎は好感を覚えた。

 黒田「薩長はただ己の欲を満たさんが為だけに戊辰の戦を起こしその先の展望は無かった、故に今の政府は烏合の集、やっている事は徳川時代に誰かが提唱した外国の真似その物、そんな物はとっくに慶喜殿が御前会議で語っていたし徳川のままでも実行出来た、要するに戊辰の戦は必要無かったのだ!」

 ゴンッと黒田が床を拳で殴った。

 黒田「戦は多くの犠牲を出し国を二分させ人々の心に後々の世にまで尾を引くわだかまりを植え付けただけ、結局は徳川の延長に今の政府がある、時代が明治へと変わった!ただ其だけ!」

 助九郎(黒田様の目線は国という大きな側面から見ている、其に比べ自分は……)

 黒田「そんな奴等にこの国を好きにさせては死んだ者達に顔が立たん。実際、権力に酔いしれ其を掴み離そうとしない者、己の利益を増やす為だけに力を注ぐ者、ただ降って湧いた地位を己の実力と勘違いし遠慮しない者……そんな奴等が今の政府を動かしているんだぞ!」

 黒田の言葉には強い危機感が漂っている。

 黒田「己を勘定に入れず国の行く末を正しく操れる者が今の政府には大勢必要だ、でなければ遠くない将来、この国にはどこか他所の国の旗がなびいているだろう……だから私は薩長、徳川関係無く優秀な者を集めている……滝川!もう一度聞く!明治政府に支えてくれぬか!」

 黒田の熱がこもった語りに助九郎は心の奥底に熱い気持ちが芽生えるのを感じた――が。

 助九郎「自分は剣を振るしか能の無い男、とてもこれからの時代役に立てるとは思えませぬ、このお話し、慎んでお断り致します」

 助九郎の冷めきった心は簡単には溶けなかった。

 黒田は長いため息を吐いた。

 黒田「君の事は勝殿に聞いたんだが、以前警護をしたそうだね。勝殿によれば君は『誰よりも命を尊び物事を冷静に見極め情熱を持って事に当たり、導き出される答えは常に最善』と語っていた、正に私が求めている者だ……」

 黒田は助九郎の肩にポンと手を乗せた。

 黒田「話を断られる事は仕方がない、だが私は正直に自分の心根を話した、今度は君の事を知りたい。何があったのか教えて欲しい……君の持っていたハズの信念と情熱を覆した出来事があったんだろ?君を諦める為にも納得をしたい、話してくれるか?」

 助九郎を見つめる黒田の目は、春の陽射しを愛でるような優しさに満ちていた。

 助九郎「黒田様のお気遣い嬉しく思います、またご自身の心の内を手前に話して下さる寛容なるは平伏致します、お話を断るには私も正直に心根を申し上げねばなりますまい」

 そう言って助九郎は過去の記憶を手繰り寄せる様にブツブツと語り出した。

 助九郎「あれは――」

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