第2話 光る勾玉、迷い込んだ記憶


 あれやこれや脳が過去に浸っている間、気づけば、僕は勇美が飛び降りようとしている部活棟に駆け込んでいた。

 5階建ての屋上につながる階段は無限だと思うほど長い。最後の扉に繋ぐ踊り場で、僕はぜいぜいと息を切らせた。

 突然、胸に潜んでいる塊が赤く光った。勾玉だ。

 嘘だろう、まじで反応しあがった。

 こめかみに汗が滲む。

 強くそれを握り詰めて、どうにか自分を落ち着かせて、酸素をたっぷり肺に送り込んだ。

 扉のノブを回したが、鍵がかかっている。

 仕方なく、重たいスクールバッグをその辺に放り投げて体当たりを試みた。一回、二回、三回のところでようやく鍵が緩んでくれたようで、パンとドアが響く音と共に、僕の体ごと、勢いよく飛び入った。

 なんとかバランスを保って立ち直る途端に、異臭のともった生ぬるい風あるいはガスのような気体が顔面を襲ってきた。

 ううっ。

 目の前は、可視的なガス、あるいは霧のようなモヤが視界を妨げる。

 反射的に手で鼻腔を守るが、もう遅いようだ。

 ゲホゲホと、噎せ返って、呼吸が困難になった。

 かろうじて開けた目で、勇美の姿を探すも、見当たらない。

 勇美さん、と僕は叫んだ。転校生だけれど、会ったことがないけれど、勇美がiかもしれないという可能性がある以上、彼女の安全を確保したい。

 霧を手でパタパタ掻き分けて、前に進む。その途端、背後から声がした。


「悲哀の記憶、この身に宿りし、神の源となれ」


 振り向く、人?――“影”がもやっとした霧に覆われて数十メートル先に立っている。ぼんやりではあるが、その哀愁を漂う目と一瞬合った。

「誰?」

 と声をかけたが、返答はなかった。すぐさま、“影”は消えさった。清めの塩をふりかける、そんなことも脳に過ったが、馬鹿馬鹿しいと思った。悲しそうだから、でもある。

「人間?それとも――?傷つけないから、姿を見せて」

 超常現象かもしれない、呪われるかもしれない、なのに不思議と、僕は怖くない。

 怖いといったら、下で不気味に笑う連中のほうが、怖い。

 辺りで、その姿を探す。出し抜けに、横殴りの嫌な風が吹いて、まるで海に沈んでしまったかのように酸素が薄れた。

 器官が圧迫される、目眩がする。

 短い間、あるいは長い間、僕の意識は朦朧としていて、次第に力が緩み、夢見心地になっていく。



「みっちゃん、もうあたし逃げないの、忘れて、食べられてしまうから」

 場面は一転して、目の前にいる少女と目が合った。彼女は、

「影、あなたはさっきの影だろう」

 ぼんやりと、霧の中に現れた影の哀愁を漂う目を僕は記憶している。

 彼女は目を見開いて、「みっちゃん?」と躊躇ってから言う。

 辺りをぎょろぎょろ見て、間違いなくここは部活棟の屋上であることを確認して、

「やはり人間なんだ、塩を振りかけなくて良かった。それと、僕、日本人です」

 飛び降りようとする、勇美はどこにもいないのが気になるけれど、目の前の女性に見とれてしまう。日本人です、と言って僕は気づいた。目の前の少女は、どこか日本離れした、アイドルのような顔立ちだ。外国人というよりも、二次元の美少女と言ったほうが正確かもしれない。太陽の熱を吸収したような赤みのかかる髪、と白い素肌、すべてにおいて、茶々を入れる隙間のない容姿の彼女は、確かに、天使、悪魔、と言われても納得がいく。

「みっちゃん?」

 表情を一切変えず、壊れた人形のように、みっちゃん、みっちゃんと言う。

「みっちゃん?」

 意味が分からないので、そのまま聞き返す。

「みっちゃん?」

「みっちゃん?」

 語気を強めたものの、壊れたコミュニケーションを繰り返される。やっと彼女の勘違いかもしれないと気づく僕は改めて自己紹介をする。

「僕は、ナナシだ。みっちゃんじゃない」

 自分のことを指すつもりで胸に当てた手が、柔らかい感触に驚かされる。

 ヒャッ!

 触れてはいけないものを触れてしまったように、両手を高く上げる。

「なんだ、この体」

少女はわなわなと肩を震わせながら。僕に歩み寄ってきた。僕の肩を掴んで、目を覗き込んできた。

「あなた、誰?」

「だから、ナナシ、茂木ナナシ、今日転校してきたもの」

「なぜ、みっちゃんの体に?」

「俺も、状況が分からないんだ、気づけばこうなった、というか、みっちゃんこそ誰なの?」

「勇美」

「そう、勇美が飛び降りようとして僕は――」

 はっとなって言葉を噤んだ。点が線になった感覚で、背筋を伸ばしてしまった。みっちゃんが、勇美のこと。そして、今僕が入っている体が勇美のものであること。

 少女の胸にある物体が赤く光り出す。薄い夏服の中に潜んでいるあれのシルエット、僕はよく知っている。母の形見である勾玉と似ているもの。いや、同じものだ。

「どうして、それを」

 彼女は応えようとした瞬間、屋上に三人の部外者が駆け込んできた。部外者といったのは、制服を着ていないのと、険しい顔をした危険な匂いをした男性たちだからだ。全員、毛量が少ないので、団子三兄弟、と言葉が頭に過る。

 リーダーらしき禿げ頭が前に出て、言う。

「探したぜ、供えもん、よく狭い島で逃げ回れたもんだ」

 もう逃げない、確か少女は言った。

 僕は彼女の前に踏み出て、彼らを睨んだ。

「島の掟を裏切るのか、レモン農園の嬢ちゃん、親は悲しむよ」

「hey guys, dont bully those girls, you jerks HAGE」

 男共よ、少女たちをいじめるな、くそ禿げ。

 自分は勇美じゃないことを言いたい。しかし、のんきな説明を聞いてくれなさそうなので、無意識下の判断で、英語が出てしまった。英語は苦手だ。日本育ちだから。でも、

「悪霊か!」

 端っこの団子が唾を飛ばす。逆効果だったか、悪党たちが殊更不機嫌そうに、近づいてくる。僕は構える。護身用の格闘技を、アスカから習ったことがある。それを披露する時がきた。

 リーダーの禿げ頭が、僕――勇美の細い手を掴んできた。力強い、良く見れば筋肉が並ではない。

「悪く思うなよ、嬢ちゃん」

 開いている手で相手の手首をつかみ、ひねるようにして相手の手を返して、力の差があるけれど、なんとかその汚い手を離すことに成功した

「うっ、まじで悪霊憑きだな、か弱いレモンの嬢ちゃんはそんなことできるとは聞いてない」

 ふふ、と僕は不適な笑いを零す。ずっと、誰かと喧嘩をしたかった。認めたくないけど、僕は寂しかった。

「ナナシ、くん?」

 肩に手を置かれて、振り返った。

 守ろうとした少女は、まるで失われるものはもうない、と言わんばかりに、瞳に深い悲しみを宿らせている。

「もういいの、勇美を頼む、あたしは運命を受け入れるから」

「はい?」

 力が緩み、それが合図のように、雨がぽたぽた降り始めた。そういえば、もう逃げない、と少女は言った気がする。

「わかりゃいいんだ、儀式は整えた」

 少女は頷いて、禿げ頭の後についていく。

「待って、運命だの、儀式だの、よく分からないけど、行きたくない、君の目はそう言った」

 そう言うと、彼女は振り返って、僕に微笑んだ。

「君が、始まった因縁の合図、だから安心した、導かれていんだなって」

 視線を一回落として、また見上げて言う。

「焔谷あ――、ううん、たぶん、また会えるよ」

 何を言っているとばかりに、禿げ頭は眉をつり上げた。行こう、と彼女を促して、4人はドアの奥に姿を消した。それが、僕が見た少女の最後だった。

 無慈悲に強く降り注ぐ雨の空を見上げて、僕はその名を復唱した。

 焔谷あ――、焔谷あ、あ、何だろう、あ、焔谷あ――。

 光る何かが、横目で捉えて、見ると、床に少女の落とし物に気づく。それを手に取った瞬間、きーんと耳鳴りが鼓膜を激しく揺らし、呼吸が乱れる。

 体がグタグタになった僕の肩を両手でつかまれ、そのまま緩慢に僕は座り込んだ。肺が痛くなった、意識が朦朧としている。


「ぷは――」

 やっと顔を水面に出して空気を吸った思いで僕はと現実に返ってきた

 ずっと無呼吸だったか、ぜはぜはと酸素の不足に肺が苦しくて、口の中はひどく乾ききっている。唾をうまく飲み込めなく、胸を何回か叩いた。

 柔らかい、が、硬い、に変わっていた。

 降っていた雨も、止んだ。

「今のは、夢か」

 手を捕まれた不快感が微かに残っている。

 そして、手の平は何かを握っている感触があって、僕はそっと開いて視線を落とす。

 勾玉。

 僕にとって母の“形見”である代物。と同時にそれが、運命を受け入れた美少女の落とし物でもある。

 古びたそれは約5センチメートの長さがあって、幾多の線が交差する、日本ではないどこかの土俗の模様が表面に施されている。楕円形で中央部がくびれており、端部はやや尖っている。

 アアアッ。

 下の方向から耳に伝わる悲鳴が聞こえて、僕は我に返ってここに来た理由を思い出した。

 目が勇美の後ろ姿を捉えて、勾玉をポケットに滑り込ませ、床を蹴った。 

 今にも屋上から落ちそうなその華奢な体を、こちら方向に抱きすくめて、バランスが崩れそのまま自分がクッションとなって勇美を受け止めた。

「おい、大丈夫か」

 動かない勇美の細い体をそっと横に退かして、顔を覗き込んだ。

 ショートな髪が柔らかく、その横にある花のヘアピンが可愛らしい。桃色の口が少し開いていて、念のために、というかほぼ無意識に彼女の息に耳を寄せてみた。

 生きている。いや、眠っている。

 微かに寝息を立てているのが、聞こえる。僕は彼女のものらしいカバンに手を伸ばし、そっとその儚い首を持ち上げ、枕代わりにカバンを差し込んだ。目が一瞬、その膨らみのある胸にいった。

 手を伸ばす。

 確認した。

 同じだった。

 どういうわけか、僕は彼女の記憶を見たかもしれない。いうよりも、彼女になりきっていたかもしれない。思いつく言葉は、憑依、タイムリップ、精神感応、霊視、アカシックレコードアクセス。どれも、今までの自分とは無縁だった言葉。

「あの――」

 声がして、僕はうん?と視線を落とした。

 いつの間にか目を覚ました彼女に、僕は心配する。

「あ、大丈夫?痛いところない?」

「手」

 言われて気づく。僕は彼女の胸に手を当てていた。

 顔まで血が一気に上って、僕は飛び跳ねた。

「違うんだ、あの、君になった夢を見ていて、そいや、聞きたいことがあって、焔谷あなんとかってお友達いる?」

 勇美はゆっくり上半身を起こした。パーマのかかった髪の毛が軽やかに揺れる。可愛らしい小柄の女性、そしてそのバランスを少し崩すような、大きい胸。

 桃色の口が開く。

「あ、あ、あ?」

 故障した復唱機のように口をぱくぱくさせた。次第に、柔らかい表情が崩れていく。

「誰なの?それ」

 顔に、一筋の涙が流れる。わなわなと口を震わせ、自分の肩を抱きしめた。  

『悲哀の記憶、この身に宿りし、神の源となれ』

 さっき、そこで出会った“二つ目の影”に投げかけられた言葉を思い出す。

「無理しなくていいよ、頭を打ったかもしれないから、とりあえず――」

 春香と何人かの女子生徒が「勇美ちゃん、大丈夫?」といつのまに屋上までやってきた。春香はテキパキと指示し、他の女子生徒二、三人でなんとか、勇美に肩を貸した。怪我人如く運ばれた彼女は、片手を頭に当て、「焔谷、焔谷、焔谷」と聞こえないくらいの小声で、呟き、必死に何かを思い出そうとして、苦しんでいるように見えた。

 一人の女子生徒が勇美の耳元で言った。

 だめだ、その名を口にしては。

「茂木くん」

 春香はぐるりと身をひるがえして振り返って、僕の名を呼んだ。壁でも射貫くような強い眼差しで言う。

「だからね、ジャパニーズカルチャーに従ったほうがいいよ」

 清めの塩のことか。

「ああ、そうみたいだね」

 こめかみを搔くと、春香は歩み寄って、また無理矢理と、冷たい手で僕の笑顔を作った。

 一歩引いて、言う。

「なんでこの島に来たの、今年中に、みんな死ぬかも知れないというのに」

「さあ」

 返す言葉を見つけられなくて、目を彼女から空に逸らすと、「祟り」と春香は呟く。

「勇美は、祟られた、きっとルールを破って、忘れられないから」

『忘れて、食べられてしまうから』

 焔谷が夢あるいは記憶で言ったことを思い出す。

「あの、ほ――、いや、勇美の家はレモンを栽培しているの?」

 勇美のどきっとした表情が、物語っている。

「みっちゃんが、そう言ったの?」

「いや」

 どう説明していいのか、途方に暮れた。 

「さっきからちまちま、ルールだの、なんだのを言っているけど、なんなの?なんでみんな、笑わなければいけないの?」

「それは――」

 チャイムが鳴り、会話は強制的に終了させられた。

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ナナシの祟り:天音島の不可解な掟。 萬賢(よろずけん) @Yorozuken

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