波間を漂い

時が経てば砂になってさらさら流れて行くのだろうか。

そう手元にある化粧品や洋服、アクセサリーをみてぼーっと考えてみる。

何時間経ったのか、ベランダの窓から差し込む光がオレンジ色に変わっているのを見てもう長いこと作業をしていたんだと気付き一息ついた。

隣の部屋で作業をしている彼は、手を止めることなく真剣な眼差しで黙々とダンボールに荷物を詰めている。

「ねー。休憩しようよ、なんか食べない?」

「ん、ああ。もうこんな時間なんだ」

「コーヒー入れよっか」

キッチンの方へ向かい、いつものようにマグカップ2個取り出して冷蔵庫から冷たいコーヒーを注ぎそこらへんに置いてあったスナック菓子を適当にとる。

部屋の中を見渡すと元々寂しい部屋が更に物がなくなって、暑いはずなのに吹き込む風が冷たく感じた。

「結構片付いたね、夜には終わりそう」

「ごめんな、付き合ってもらっちゃって」

「うんん、むしろ嬉しいよ。最後にこうやって手伝わせて貰えるなんて」

そう、床に手を伸ばしやさしく撫でてみた。

あみちゃんの部屋には夏だと言うのに真っ白なふかふかした絨毯が敷いてある。座りすぎて少しヘタった部分を撫でながら、暑くなったしそろそろ変えたいんだと言ってふかふかの部分に頬をつけにっこり笑いながら眠っていた彼女の顔を思い出した。

そして、絨毯が変わることはなかった。

「あの、さ。片付けしてたらでてきたんだけど」

そう言いながらずず、とコーヒーを啜りちらりとこちらを見る。

すこし、いやな予感がしてじっと見つめ返した。

「そんなに構えるなよ、緊張するじゃん」

「だって…」

頬をポリポリかいてコーヒーを飲みきれば、うん、となにか決意したようだ。

「これなんだけど」

そういってひとつの茶封筒をテーブルに差し出す。

「あー、予想してたやつ」

「結構序盤の方でみつけたんだ。たまたま、なんとなく雑誌を開いたら挟まってたんだよ。」

「ふふ、あみちゃんらしい」

封筒の表面には「¥284,800」と書かれている。そっと撫でてみた、ざらざらした感触がそこにあり生々しくて眉をひそめてしまう。

「ユキに見せるか迷ったんだ。負担にさせたくなくて」

「ふたん」

意味を理解しようと舌に乗せてみたがよく分からない。何が負担になるというのか。

先日、こよなく愛する女性はこの青い空へ飛び立った。

私はその腕を、細くしなやかで頼りない腕を掴み損ねたのだ。

「中身、読んだ?」

「うん。お金入ってたらいけないなと思って開いたら手紙だった」

見せるか迷うほどの内容だったのかと鼓動が高まる。

読まなくてはならない、そう感じて封筒から手紙を出してみるが緊張して指先が固まる。

「俺、出かけようかな」

「うんん、一緒にいて」

そっか、うんわかったと返事をし背中合わせに座る。彼の優しさに心が落ち着き、深呼吸して手紙を開いた。

そこにはあみちゃんの達筆で学校の先生みたいな凛とした筆跡があった、その文字を目で追うにつれ息が苦しくなる。読み終わる頃にはやわい紙にしわが出来ていた。

「なんで」

手紙を持つ手がブルブル震え、今まで感じたことの無いが痛みが全身に伝わる。

「なんで、なんだろうね」

美風は風の音に混ざるほど弱々しい声でぽつり、そう呟いた。

幸せ、と綴った痕跡を指でなぞる。

幸せなら死なないでよ。わかってんのに、何も言わず死ぬなんてあんまりだ。私も連れてってよ!

そう大声で叫びたかった。叫んだら何かが変わる気がして、玄関からうるさいって笑ったあみちゃんが帰ってきてくれる気がして。

でも口には出せなかった。そんなの、自分の決めたことと真っ向に向き合って決断したあみちゃんへの冒涜に過ぎないとわかっているからだ。

「でももうあみちゃん決めちゃったからさ。それ読んで納得する選択肢しか俺達には残ってないんだよ」

美風の声が震えているのが背中越しに伝わる。そうだよね、そんなこと言うけど気持ちは同じだよね。平気なわけないよね。葬式では泣いていなかったのに今日は目が充血して目が腫れぼったくなっていた、納得するなんてそんなこと出来ない。

わかってる。そんなの私だってわかってるよ。

「でも、私思うんだ。美風と付き合ってなかったらあみちゃん生きてたのかなって、私があみちゃんから美風を取ったから死んじゃったのかなって」

ぴたり、動きが止まった。

「それ、なんだか俺たちの関係侮辱されてる気分だ。」

あっ、しまった。時すでに遅しで、盛大にやらかしてしまったと後悔する。

振り返って訂正しようと口を開くが何も言葉が出てこない。

「ユキはこんな関係なければあみちゃんは今でも生きてたって思った?」

私の方へ体を向け、まっすぐ目を見て言う。

「ち、ちが」

「その手紙読んでもそんなことが言えるのかよ」

違うよ。そうじゃないよ。

立ち上がる美風を呼び止めようとしたが声が出ない。掴んだ手がするりと逃げていく。

「頭冷やせ」

「美風!」

颯爽と部屋を出ていってしまう。早く追いかけなければと思うが足が痺れて思うように動かない。

ああまただ。私はこうやって大切な人を傷つけ掴み損ねてしまう、大事な選択をいつも誤る。

ヘタった絨毯にうずくまって泣き叫ぶことしか出来なかった。

数十分たちバタン、と玄関の閉まる音が聞こえた。美風だ、戻ってきてくれたんだ。リビングのドアが開きすぐに顔を上げる。

「えっユキちゃん大丈夫!?どうした、体調悪いのか?どこか痛む?」

想像していた人物とは違って驚いた、お通夜が始まる前、土下座していた人だ。

「ううんなんともない、それよりも美風が出てっちゃって」

「美風?さっき下で出くわしたよ。酷い顔してたから座って話聞いたんだ。頭冷やすつってそこら辺散歩しにいったよ。片付け手伝えって呼んだお前がいなくなってどうすんだって話なんだけど」

よっこらせといって横に座る。「ここ暑くね?ユキちゃん汗かいてるよ」といってシャツの胸元をパタパタとさせた。

私に頭冷やせって言ったくせに。どこまで優しい奴なんだと悔しくなってまた涙が出てきた。

「あらら、慰めるやつが居ないのに泣くなよな」

ほら、と手元にあったティッシュをばさばさとって渡される。遠慮なく鼻をかんだ。

「洋さんでしたよね。美風から聞いてます、東京にいたって。」

「そう、電話もらって来たんだ。俺も美風から聞いてるよ、ユキちゃんのこと。あみといちばん仲良かったって」

いちばんか、あいつそんなこといってたんだ。

「美風に、酷いこと言っちゃったんです。どうしても我慢できなくて。頭よりも口が先に動くの、悪い癖って分かってるけど」

「わかるなあ。言っちゃったあと冷静になって物凄く後悔するんだよね。それであみとよく喧嘩になってたわ」

わはは、と眉を下げて笑う。そんなこともあったと愛おしそうにベランダの先を見つめている、夕日が顔に反射して綺麗な横顔だった。

「そうなんだよ、『どうしてそんなこというの?傷ついた』ってちゃんと怒ってくれたから後悔せずに済んでたんだよな」

「うふふ、あみちゃんのものまね上手だね」

「だろ」と得意げな顔を見て、ああこの人本当にあみちゃんが好きだったんだとわかった。

「君たちはいいよ、いくら傷つけあってもさ。自分の思ってること伝えられるし喧嘩だってできる。まだ生きてるんだから」

もう俺には出来ないよ、そうポツリ呟く。

「あの、手紙。美風から聞いたかもだけど、これ」

緊張して上手く言葉が出てこずカタコトになってしまう。読んでいたくしゃくしゃの手紙を渡した。

躊躇することなくその手紙を受け取ってつらつら読み始める。

「この手紙の最後、洋さんのことだよね。」

読み終わると立ち上がって伸びをし、ベランダへ向かった。

「それはどうかな」

そう言って誤魔化すから慌てて後を追う。

「そうだよ!あみちゃんと出会ってからだけど、男の影なんてなかったし。それに、あみちゃんが飲みすぎてベロベロになったときに教えてくれたよ、素敵な人がいたって。また会えたら、って。洋さんのことだよ」

否定しないで。最後の最後であなたのこと思い出して、愛おしく思いながら書き記した彼女の気持ちをどうか、貴方だけは否定しないで。

「…わかってる、でもどうしても謝られたこと受け止められなくて。謝るのは俺なのに」

悲しそうに笑った。オレンジジュースみたいな夕陽が頬に反射してきらりと光ったので泣いているのかと思ったけど笑っていた。

「どうして謝るの?」

「どうして…そうだね。向き合えなかったからかな。あみの気持ちを分かっていながらも何も言わなかった、なんなら俺がいるなら死ぬのやめようって思ってくれるのかもしれないとかそんなこと考えてた。それだったら、いいなぁって」

1羽のカラスが、橙色の空を泳ぎながらカアカア鳴いている。仲間を探しているのだろうか、それともはぐれてしまった子を呼んでいるのだろうか。心做しか寂しそうに見える。

「死んで欲しくないってただのエゴだよね、本当に好きなら彼女の気持ち尊重してあげるべきなんだ。でも俺にはそんなこと出来なかったよ、怖くなって逃げ出したんだ。だから、逃げてごめんねって言わなくちゃってずっと、」

そしたら、もう。

そう小さな声がするりと零れた。これは後悔の音色だ、そう気づいてふと手元に視線を落とすとベランダの柵を掴んだ手にぎゅっと力が篭もっていた。

それを見た瞬間、頭よりも先に体が動いて洋さんの足にしがみついていた。

「ダメ!絶対ダメ!そんなことあみちゃん望んでない、ダメだよ!いいじゃんエゴでも、大切な人に生きてて欲しいって思って何が悪いの?一緒にいたいって、あわよくばしわしわになって腰が曲がろうとも一緒に生きていたいって思って何が悪いのさ!いいじゃんいまからそう伝えたって、あみちゃんなら聞いてるよ、なにカッコつけて湿気た顔して語ってんのさ。今からでも大好きだとか愛してるだとか言えばいいじゃんか!死ぬな!死ぬな!!」

これまでにないほど体に力を入れてぎゅうっと足を抱きしめる。

「お、ちょっとやめろってユキちゃん、まって。離せって、いたたた」

「やだ!離すもんか!絶対離さない!」

この人もいってしまう、反射的にそう思ってがっしり掴んだ手を振り解こうと洋さんが強めに掴んでも私は絶対に離さなかった。


ああ、あみちゃん。私ね、本当はこうしたかった。あなたのそのちいさな体が粉々になってしまうくらい抱きしめて、ここにいてって言いたかった。


私のこの強い思いが伝わったのか今度はグーで頭をぽかんと叩かれる、そんな力じゃ私は負けない何回でも叩いてみろ!そう唸ると、おい、と聞き覚えのある低い声が頭から降ってきた。

「何してんだよお前」

「ちょーどいい時に帰ってきた、どうにかしてよ」

そう肩で呼吸をする洋さんの向かいには頭を冷やすと言って出ていった美風が立っていた。

「何してんだよ、迷惑だろ」

あ、怖い声。顔も怒ってる、さっき私の頭を叩いたであろう拳は震えている。

それを見て急に体の熱があがる。頭がどくどくして顔が歪んだ。心底腹が立った、なんで怒ってんの?怒りたいのは私の方なのに。

「なにしてんのはそっちでしょ、急に出ていったりなんかして。美風、いつも話し合わずに出ていくよね、そんなに私の事嫌い?」

「そういう話してないだろ、ベランダで大声出して、手伝いに来てくれた洋にまで迷惑かけて何やってんだって聞いてるんだけど。いつまでも子供じゃないんだからさ、大声出すの辞めたら」

「あのーちょっと、おふたりさん落ち着こうか。」

仲裁に入る洋さんの言葉に耳も貸さず大声をあげ続ける。

「は?そんなの時と場合にもよるでしょ。何も知らないくせに上から物言うのやめてくれる、それずっと前から嫌だった」

「お前がいつまで経っても駄々こねるからだろ!その子供みたいな癖、俺も嫌だったね。ていうか何も知らないってなに?俺にはおもちゃ買って欲しくて必死にしがみついて泣いてるお子ちゃまにしかみえないけど!」

いつもだったら美風が引き下がってまあまあ、となだめ役をしてくれるのが今日はヒートアップして初めて言い合いの喧嘩をしている。

「はあ!?洋さんが飛び降りようとしたから必死にとめてんの!そんなことより美風も手伝ってよそろそろ限界なんだけど!」

そう叫んだ瞬間、洋さんが豪快にわはは!と吹き出した。

「ちょっとタンマ。俺飛び降りちゃうとこだったの?」

「え?違うの?」

待って、それは違うよユキちゃんと腹を抱えて笑い出す。

なにそれ、気が抜けてペタンとおしりを床にくっつけると安堵して笑いが込み上げてきた。

「もー何してんのお前ら、アパートの下まで声聞こえてきたから走ってきたのに。」

しゃがみこんだ美風まで笑うもんだから、面白くなってきてさらに笑いが吹き出る。

そしたら急に涙が出てきた、たまらなく面白かったはずなのに涙がぼろぼろ止まらない。

そんな様子を見た美風がわたしを強く抱きしめ、肩に顔を埋める。その肩がじんわり暖かく濡れて汗か涙か分からないけど、私も必死に抱きしめた。

洋さんも目にいっぱい涙を貯めながら私たちのことを何も言わず抱きしめる。

暑くて苦しくて、なんて心地がいいのだろう。

「あみちゃん、ありがとう」

精一杯叫んだ、これがあみちゃんのいるところに届けばいい。


拝啓 親愛なるあみちゃん。

お元気ですか、私はとても元気です。そちらでの暮らしはどうですか?笑って幸せに暮らせていれば私も幸せです。

でも少しでも恋しくなったら、いつでも帰ってきていいんだよ。みんなで待ってるから。その時はまたオムライス作ってあげるね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る