第2話

 入るなり、中肉中背の中年男性を紹介された。四角い眼鏡と短く濃い顎髭が特徴的で、ウェイターを想起させる白と黒の制服をきっちり着こなしている。固い人柄に思えたが、口を開いてみると違った。

「よお、“対岸”から来たって? 初めてなんで至らぬとこがあるかもしれんが、できる限りの世話はさせてもらいますぜ。久々の泊まり客だ、腕が鳴る」

 久々と聞いて、また不安が鎌首をもたげる。

「腕が鳴る、とは?」

 エイチが質問すると、ゴッジスが答えた。

「ナタリオンさんは料理もされるんです。味は私が保証しますよ」

「ゴッジスさん、あんたはあんたの仕事があろうに。帰った帰った」

 身振り手振りをまじえてゴッジスを追い払うと、ナタリオンは張り切った様子でカウンターの向こうに回った。

「とりあえず、宿帳の記入を済ませないとな。どちらか一人が代表して、ここに書いてもらいたいんだが、“対岸”の人ってのは字は大丈夫だっけか?」

「ええ、日常的な読み書きなら」

 エイチがペンを手に取る。前払いをしたいからと宿泊料について聞くと、妥当な額を提示された。手持ちで充分払える。

「えーっと、領収書はどこへやったか」

 しゃがんで用紙を探すナタリオン。アイバンはカウンターに身を乗り出すようにして、尋ねた。

「人捜しをしています。この村でならどこで聞けばいいか、心当たりはないですか」

「人捜し? 噂話でいいなら、やっぱ酒場かな。そうさな、エヴァンリッジ亭とか。開くのは陽が落ちてからだが」

「そこも訪ねてみます。明るい内に行けるところは?」

 ナタリオンは領収書を切り、エイチに手渡した。

「食堂が一軒だけあるが、客は入っているのやら。行ってみるかい?」

 どんな機会でも逃せない。アイバンは頷いた。

 と、今度はエイチが尋ねる。

「ナタリオンさん、あなた自身はどうだろう? 旅人は少ないとは言え、宿には色々な人が泊まるものだ」

「そりゃまあ商売が成り立つ程度には、人は来る。ただな、大方はこの村の連中で夜、温泉に浸かるのが目当て。泊まり客となると、たまに来る国のお役人ばかりさ」

「国の役人ね」

 国全体の出来事も把握していておかしくない。無論、どんな種類の役人かにもよるし、本当に国の中央から派遣された役人かどうかも重要だが。

「言っては悪いが、このような地方に国の役人が来るとは、何ごと? 化石燃料か稀少鉱物が採れる見込みでも?」

「まさか! ここいらは自然だけが取り柄さね。緑と温泉のおかげか、長寿者が多いんだよ」

「長寿とは百歳ぐらい?」

「そう、百歳以上。百歳を超えると、国から祝いがある。――話は、荷を部屋に運びながらでいいかな」

「そうだね。頼む」

 荷物を両手で持つと、部屋へ向かうナタリオン。エイチ達はあとに続いた。長い廊下と階段を進みつつ、話の続きを。

「役人はそのために来る。長寿者に会って祝いを述べ、記念品だの何だのを渡して終わりだから、大した仕事じゃないはずだ。が、泊まりの必要がないときでも、たいていは泊まってくれる。任期はせいぜい二年で、しょっちゅう入れ替わるが、固定客みたいなもんだ。こっちももてなしに力が入ろうってもんよ。でも、いつまで続くやら」

「国からの役人が最近泊まったのはいつですか」

 アイバンは半ば相手の話を遮り、質問を差し込んだ。役人が何か噂話を残して行ったかもしれない。

「うーん? 一年前だったかな。いや、そんなに経ってないか、十ヶ月ぐらいだ」

「十ヶ月、ですか……」

 古すぎる。ジュンがこちらの世界に強制的に“召還”されて、まだひと月ほどだ。

 アイバンが落ち込むのをぐっと堪える間に、部屋に着いた。中に入り、荷物を適当な場所に置いてもらう。二人部屋を頼んだのに、四人は充分寛げそうな広さがあった。

「お出掛けなさるようだが、晩飯はどうするね?」

 去り際にナタリオンが聞いてきた。アイバンとエイチは顔を見合わせ、目で相談する。じきにエイチが結論を出した。

「折角だから、自慢の料理を味わいたいね。ただ、いつ戻ってくるかは定かでないので、準備は遅めにしてほしい」

「かまやしない。八時でどうだ?」

 その線で頼んだ。


 荷解きし、必要な物を携えると、アイバンとエイチは宿を出た。目指すは食堂だ。ナタリオンから詳細な道順を改めて聞いたから、苦もなく辿り着けた。店名は日本語で「川と山の食堂」を意味するそうだから、川山食堂と呼ぼう。

 古いがこぎれいな店構えで、明るい。客は疎らだったがそれでも五、六人の男性客がいる。三十人で超満員になりそうな店で、この時間帯、五分の一が埋れば上々だろう。店員は料理人が一人、ウェイトレスが一人のようだ。夫婦かもしれない。

 ウェイトレスに冷たい飲み物のおすすめを尋ね、オーダーを決める。ほとんど待つことなく、氷入りのジュースがグラスで来た。

 下がろうとするウェイトレスを呼び止め、人捜しをしている旨を伝えた。

「“対岸”の娘さんねえ。ずっと昔に、“対岸”の人が来たって話を聞いたけれど、最近でしょう?」

 ウェイトレスはお盆を縦にして両手で持ち、抱えるような格好をした。長話になってもかまわないようだ。

「ええ」

「最近はないわねえ。ねえ、あんた。聞いたことある?」

 厨房へと振り返り、奥で椅子にでんと座る料理人の男に問う。

「私が噂話でおまえに勝てるはずない。分かってるだろうに」

 素っ気ない返事だが、関心はあるらしく、厨房から出て来た。川山食堂の主の名は、ビスタッチと言った。

「どんなお嬢さんなんだい?」

「年齢は僕と同じ、見た目も歳相応だと思います」

 言葉で説明を始めたアイバンに、エイチは「写真を」と小声で促す。

「あ、これが彼女の写真です」

 大事にしてきた写真を懐から取り出す。先々で見せる内に角が丸くなってきた。これ以上すり切れぬよう、持ち歩く間は袋に入れている。

「おや、可愛らしげな」

「どれ。――まあ、ほんとに。いい笑顔。何かこう、いるだけで周りを幸せにする感じ」

 ウェイトレスが声高に誉めるものだから、アイバンは頬を赤くした。

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