そんな暇があるなら殴り合え

鍵崎佐吉

頂上決戦

 だだっ広い草原の真ん中で二人の男女が睨み合っている。片方は黒衣を身にまとった若い女。艶やかな長髪を風になびかせ、その目はまっすぐ前を見据えている。もう片方は異国風の装束をまとった長身の男。不敵な笑みを浮かべわずかに空を見上げている。その様子を数人の人々が遠巻きに眺めている。


「さあ、始めようか。大魔導士アイラさんよ」

「望むところよ、暗黒術師ジャック。あんたはここで私が倒す」


 二人の間に緊迫した空気が流れ、周囲の人は固唾をのんでその様子を見守る。沈黙を破ったのは女の方だった。


「無心の残像、恍惚の乱舞、蒼天仰ぎて凪に囚われる! 踊る獣骨を鞭打つ道化師、その左眼に杭を打ち付けよ——」


 するとそれを聞いた観衆の中の一人が早口でまくし立てる。


「あ、あれは対比詠唱!? ということはアイラのやつ、古代魔法を使う気なのか!?」


 しかしその直後、男もまた素早く呪文を口走る。


「死せる大ムカデの五十二本目の足を紅い鉄格子は食い千切った。街灯の微睡を妨げるように隻眼の鯨が断末魔を上げる。泥濘から薫る悠久の産声よ、預言者を嘲笑う交錯した月よ、今ひと時の愉悦を忘れて廻る金糸雀と夢を語れ——」


 今度はまた別の誰かが声を上げた。


「ば、馬鹿な!? この速さで対句詠唱をやってのけるなんて、あいつは化物か!?」


 だが男が唱え終わる前に、畳みかけるように女が別の呪文を唱え始める。


「夕闇に沈む二対の烏、仮初の歯車は蹄鉄を砕く! 嫉視、境界、伽藍、明滅、真空の檻を解き放つ鉛の人形よ! その臓物を凍土に捧げ、葬列の果てに錆びついた運命を刻む! 刹那の鎖に縛られし獣は血に塗れた眼を踏み潰した——」


「これは二重詠唱!? ということはさっきの詠唱はブラフ……! アイラめ、最初からこれを狙ってやがったのか!」


「いや、待て! ジャックの詠唱はまだ終わっていないぞ!」


「なんだと!?」


「慟哭する鏡写しの巨塔、収斂する腐りかけの螺旋、光輪喰らいて天に駆ければ墓の下で背教者が嗤う。罅割れた天蓋から差す悔恨の糸、深淵から湧き上がる怨嗟の誘惑、虚空を泳ぐ終焉の葉は五つ数えて翻った——」


「う、嘘だろ……。たった一瞬でこのレベルの追加詠唱を……!? このままじゃアイラは……!」


「崩れよ、雷光の示した聖堂! 昏き森を発ち、絶望の峡谷を超え、煤けた瓦礫は夜と戯れる! 並行する白銀の賛歌、逆転した偽りの蝶番、羨望の隙間で名も無き蟲が王の薬指を唆す——」


「あ、ありえねぇ!? これは反復詠唱……まだ奥の手を隠し持ってたってのか!?」


「迷信を狩る人喰いの螽斯。跳躍し、懺悔し、罪を産み落とせ。朽ちた宿り木は大地を苛み、星々は世迷言を垂れ流す。断崖の城塞、無音の独白、盲目の回転木馬、燻ぶる紫煙は頭蓋をこじ開け狂気の雨が降り注ぐ——」


「並列詠唱だと!? 信じられねぇ……! この勝負、いったいどうなっちまうんだ……!?」


 互いに一歩も譲らず、草原には二人の詠唱が延々と響き渡る。しかし終わりの時は唐突に訪れた。険しい表情をしていた男が不意に膝から崩れ落ち、そのまま動かなくなってしまったのだ。常人の目には二人がただ呪文を唱えていたようにしか見えず、何が起こったのか理解できない。女の方も辛うじて立ってはいるが息も絶え絶えという感じでとても会話はできそうにない。

 観衆の中の幾人かが恐る恐る男に近づき、そっとその様子をうかがった。どうも死んでいるわけではないようだ。しばらくして誰かがぼそりとつぶやいた。


「こりゃ酸欠だな」

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そんな暇があるなら殴り合え 鍵崎佐吉 @gizagiza

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