Last case ありがとう

 デミス・エグゼ・マキナとの戦いから半年。

 戦いを終えた直後、神断かんだちまといによる疲労で全身が悲鳴をあげ、しばらくは立ち上がるにも苦労したがどうにか快復。しかし神薙ぎとしての力を全校生徒に見られたことで、彼女は2年生半ばで自主退学。多くの生徒や教師から引き止められたが、自分の存在が周囲に与える悪影響は想像に容易いと断った。

 霊能者と神薙ぎは、厳密には定義を異とする存在だ。神薙ぎはあくまで『神を討つ力』の応用で霊的存在に対処できるというだけで、膨大な霊力はあれども霊能力を扱うわけではない。だが、それを何も知らない一般人に説いたところで、両者が異常存在であることには違いない。人は大多数が定義した「普通」から外れた存在を忌む。ならば、彼女は紛れもなく異物として疎まれるだろう。何より、もう少しすれば受験生。そんな環境の中で、受験勉強にまで精神を擦り減らしてまっとうでいられるという自信も彼女にはなかった。


 学校を辞めてからすぐ、彼女は母・紅莉あかりの友人が経営するカフェで働き始めた。

 同時に家も出て、カフェ近くのアパートを借りながらの生活はそれなり以上に大変で、学校では「噂の人」がカフェで働いているという話が流れているらしく一時期は随分と忙しかったが、それもだいぶ落ち着いてきている。親友・金恵かなえとは今でも連絡をとっていて、二日に一度くらいの頻度でカフェに来ているものの、最近になってようやく関係が進展した空羽あきはとの惚気話には辟易を隠せない。

 

 知紅ちあきとは、またしばらく会えない日々が続いた。

 戦いの後、倒れた珠緒たまおを病院に運び、駆け付けた紅莉に事情を詳らかにしたところ、一か月の接触禁止を言い渡されたらしいが、実際に会えたのは一か月どころか三か月後だった。彼曰く、いっそこのまま住まいを遠方に移して会わないつもりでいたが、今度は入院時以上に激怒した紅莉から全力のビンタとお叱りを受けて会いにきたらしい。もっとも、多忙であることも嘘ではないようで、あの戦いの影響か界隈では名が売れてしまったらしく本当に休みがとれないと嘆いていて、実際その後も3、4回程度しか顔を見ていない。

 

 そして――。


「ようやく退院かぁ。今日という日をどれだけ待ちわびたことか……毎日どうもありがとうね、珠緒」


 兄・詠路伊織よみじいおりは半年間に及ぶ入院の末、今日ようやく退院を迎えた。この日のためにカフェのオーナーには前以て休みを頂戴していて、彼女としても「待ちわびた」日となった。

 最初は兄を周囲にどう説明するべきか悩んでいた彼女だったが、そのあたりは知紅が手回しを済ませていたらしく、紅莉は「生き別れの兄」と受け入れられていて、市役所にも彼女の兄として戸籍復帰の届け出が出されていた。見た目が随分と幼いことについては、安否不明時に植物状態で栄養が足りず見た目の成長と記憶が当時のまま止まっていると説明されていて、おそらく知紅だけでなく禍身祓い協会連合による手回しもあるのだろう。社会的には水面下と言って差し支えないほどに目立たない存在の集団ではあるが、霊的存在に対処できる唯一の機関として、その存在は国にも認知されている。あの戦いで学校に大量の禍身祓いを派遣した件からしても、お役所仕事に多少の無理を言える程度の権力があることは知っていた。

 

「どういたしまして。ひとまずは今のお家に戻って、落ち着いてお話でもしましょうか。入院中にも話しましたけど、この10年でずいぶんと色んなものが変わりましたから」

「だね。それに、神憑かみつき村と比べるとここは随分と都会で……僕の知らないものばっかりだ。ちょっとだけ、浦島太郎の気分だよ」


 10年。

 失うことすらできずに停滞し続けていた時間は、あまりにも長かった。

 病院を出てしばらく、二人は無言のまま歩き続けた。重苦しさもあった。気まずさもあった。何をしゃべればいいかわからないというのも、あった。

 だがそれ以上に――その沈黙こそがこの兄妹の絆を雄弁に語っていた。


 合わない歩幅に気を付けながら歩いていると、不意に伊織の小さな手が珠緒の袖を引いた。

 長身の珠緒が兄のことを意識しようとすると、自然と目線そのものが下がってしまうようで、気付けば前から来ていた人物とぶつかるところだったようだ。

 幸いとすべきか否かはともかく、相手は手にしたスマートフォンに意識が向いているのかぶつかりそうになったことにさえ気付いていないようだった。


(こんなに小さくても、兄さんは昔っからずっと、わたしを守ってくれてたんだ……)


 わかっていた、そんなことは。

 10年前からずっとわかっていたことだ。


 自分が神薙ぎとして禍身の供物として牢に入れられてから、あの忌まわしい事件が起きるまでの数か月。兄はずっと牢の外から珠緒に声をかけていた。

 顔を見なくても、兄の声が聞こえるだけで牢の中の寂しさが晴れるようだった。だから――兄が自らの命を犠牲に300の禍身の群れから自分を守ったのだと聞いた時、珠緒の心の安寧は一気に崩れた。

 あの村で。あの家で。あの環境で。兄だけが珠緒にとってただ一人の味方で、ヒーローだった。そして――10年経って10年を得られなかった兄は今、その時のまま変わらず彼女にとってのヒーローだ。

 だから、言わなくてはいけない。いや、言いたくて仕方がない。

 

「伊織兄さん」

「うん? どうしたの、珠緒。歩き疲れちゃった? ちょっと休むかい?」

「あははっ、今はもうわたしの方が兄さんより大きくて体力もあるんですよ? そうじゃなくて、ですね……」

 

 あの日、言えなかったことを――。

 

「ありがとう、兄さん」

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