case-46 区切り

「兄さぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!!」


 伸ばした手が掴んだものは、無数の禍つ手に絡めとられていて、兄を捉えたその手には、自然と激情ひかりが宿ったという。

 

『なッ……んだとぉ……っ! 我が身に内包したケガレの大半を注ぎこんだつながりを、断つ……だとぉッ!?』


 伊織いおりを奪われたことで、アカーシャの余裕は一気に剝がされた。その口ぶりも、伊織の影響を受けていた頃と違い、明らかな荒々しさが露呈している。

 あれがあいつの本性か、と知紅ちあきが洩らすのを横で聞きながら、珠緒たまおは引き摺り出した六面体結晶を神断かんだちで叩き割り、その中に眠る兄を抱きしめた。

 10年。妹である自分を300の禍身から守り抜き、あの人の道を違えた村と運命を共にしたと思っていた。だが実際は死ぬよりも惨い生を留めていた。だからそれを知った時、珠緒は覚悟していたのだ。

 兄を助けたいという気持ちの裏で、どうすることもできなければ、せめて怪化あやか禍身がみに注がれたケガレだけでも薙ぎ祓い、兄の魂だけでも浄土に還そうと。


 だが――知紅が言ったのだ。

 かつての対処に当たった時に判明した、珠緒に宿る「求めるものを掴み取る」霊力性質。あれの応用で、怪化し禍身から伊織を掠め取れるかもしれない、と。

 それはなんの確証もない賭けにすぎなかった。あくまで「理論上はできるかもしれない」という域に留まっていた。アカーシャがデミス・エグゼ・マキナとなるまでは。

 巨大な正六面体の中に内包された小さな正六面体。肉体の内部から支配していた頃のアカーシャではなく、アカーシャの内部に伊織を引きずり込んだことで、両者の「内外」が逆転し、珠緒の「引っ張り出す」条件を満たし、なおかつ外部からの狙いがつけやすくなったことで一気に成功率が上昇した。つまり、アカーシャはデミス・エグゼ・マキナとなったことで神を越えるほどの「力」こそ得られたかもしれないが、それによって明確なウィークポイントを露呈させたのである。


「兄さん! 伊織兄さんッ!」

「滝原班、珠緒と彼を連れて後ろに下がり集団結界で防衛に徹しろ。滝原、前に出られるな?」

「トーゼンだろ。10年ぶりの兄妹の再会だ、あれに横槍を許すようなら男が廃る」


 必死に声をかけ続ける珠緒だが、伊織はまだ意識を取り戻さない。最悪のケースが脳裏を巡る珠緒だったが、彼女を連れて後退したメンバーによって呼吸をしていることがわかった。

 10年前とまったく同じ姿をしている兄の身体は、長身といえ女性である珠緒が軽々と抱えられるほどに小さい。神薙ぎとして鍛えたから、というのもあるが、おそらくそうでない金恵も同じようにできるだろう。

 10年分の成長を遮られ、兄の身体は今何歳なのだろうと珠緒は彼の手を祈るように握った。きっと眠り続けた心は10年前のまま、あの優しく頼りになる兄のままなのだろう。そう思えば、体だけが成長するよりはよかったのかもしれない。そう考えてしまうことに、言葉にできない苛立ちのようなものが立ち込める。成長が望まれない子供などあってはならない。17歳の妹を持つ兄は、体こそ9歳の頃のままだが……だからこそ望まれる成長みらいがあるのだ。それを10年間も遮り続けた禍つ者アカーシャに滾る怒り。そして、そんな成長みらいなき10年間に安堵を覚えた自分に対する怒り。浄土を焦土と変えかねないほどに燃え盛る怒りが、彼女の手に青白く輝く神薙ぎに赤い稲光を纏わせた。

 

「兄さん……すぐ戻ります。だから見ててください。わたしが……偽神まがつものを薙ぎ祓う姿を!」


 古代神薙ぎの力を持つ伊織を失い、内包するケガレで強引にデミス・エグゼ・マキナとしての形を保つアカーシャと、それに寄り添うカミナ。

 しかし、自らを律するためにその内側を「無数の」ケガレで埋め尽くしたことが、彼にとって最大の弱点となることに気付いているのは――知紅と珠緒だけであった。

 

「珠緒」

「わかってます」


 アカーシャに向けて伸ばした。それを見て、アカーシャはすぐさまその意図に気付いたが、時すでに遅し。

 伸ばした手をぎゅっと握った瞬間、その正六面体にみっちりと詰め込まれていたはずの無数のケガレがひとつの塊となって、彼女の手を引く動作につられへと引き摺り出される。

 そう――神をも超越したデミス・エグゼ・マキナとなったアカーシャにとって、『神薙ぎ』こそ脅威としては「せいぜい」程度に留まるとしても、『詠路珠緒よみじたまお』はまさしくと称すに相応しい相性最悪の極大脅威であったのである。

 

「引っ張り出し、引き寄せ、ひとまとめにする。それがわたしの霊力性質。だから『無限』にも等しい数を強みにしているあなたでは、あらゆる数を『1』へと換えるわたしに勝てない」

「この私が……こんな……小娘に……ッ!」

「アカーシャッ!」


 自らを名前を縛り続けることで99ピースレベル11ケガレバコの呪詛ごと自分を律しているカミナと異なり、99ピースレベル11ケガレバコの力を古代神薙ぎである伊織の力で制御し、それを奪われるとケガレバコに宿る呪詛以上のケガレで覆い尽くすことで制御していたアカーシャは、そのどちらにおいても「内包して制御する」という形をとる以上、内から外へ引き摺り出すという珠緒の霊力性質はここでもアカーシャにとって都合が悪かった。

 神薙ぎだから、ではない。

 詠路珠緒は――究極的なまでにアカーシャ殺しだったのである。


「既にあなたはケガレバコの呪詛を制御できる術を失った……これまで無数の高潔な魂をケガレによって禍身に堕とし続けた報いを、今度はあなた自身が作ったケガレバコで受けるんです。因果応報とはまさに、ですね」

「バカな……ッ! こんな……こんなことが、あるものか……ッ! ケガレを支配し統べるこの私が……自ら生んだケガレに蝕まれるなど……無限の力を持つこの私が、虚無に呑まれるなどォ……ッ! ならん! ならんならんならん! このようなことがあっては……あってはァァァァァッ!!」

「アカーシャ! アカーシャァァァァッ!」

 

 引き寄せた「1塊ひとかたまり」のケガレを握り潰すと、アカーシャの正六面体がまるで潰れたスチール缶のように内側に向かってひしゃげていき、そしてついには虚空へとその姿を消した。


「さて……知紅さん、あとは頼みました」

「ああ、すぐに済む」


 アカーシャを失ったことで、カミナに残された勝利はなかった。

 

「『カミナ、自分の名を縛る支配を解けじゆうになれ』」


 自由。

 言葉の美しさに騙されそうになるほど、知紅の声色は穏やかだった。


 しかし、直後に幽家カクレガ全土に響くカミナの絶叫。

 ケガレバコの呪詛を自らの存在を縛ることで律し続けていたカミナは、その支配を解くことによってケガレバコへの抵抗手段を失い、アカーシャと同じくその存在を虚無へと喰われていく。

 砂時計にも似た曲線美を誇るその姿がぐしゃり、ぐしゃり、と音をたててひしゃげていく様を見届けた一行は、その後もしばらくその場に留まり、珠緒の雷撃で空間を浄化。禍身祓い組によるお清めを終えて、屋敷を出た。屋敷の門の向こうでは、同じく突入した残りのチームが彼らを迎えた。どうやらデミス・エグゼ・マキナ戦直後から屋敷の内外を断絶されていたようで、直前の神罰かんばち神刺かんざしに加え、デミス・エグゼ・マキナの顕現によって場所を特定し駆けつけた彼らだったものの、救援に向かえなかったことを悔いているようだった。


「いや、みなよく頑張ってくれた。各々、負傷者や脱落者が出てしまったことは心苦しいが……君らが屋敷外部の禍身の対処にあたってくれたことで、オレたちも目の前の脅威に集中できた。この結果を持ち帰れたのは間違いなく殉職した彼らも含めた全員の力によるものだ。現世に戻り殉職者らを弔ったのち、此度の皆の健闘に対し労いの場を用意しよう」

 

 そう締めくくる知紅の背後で、兄の小さな体を背負った珠緒は静かに微笑む。

 禍身祓いにとっても、神薙ぎである自分にとっても、禍身に支配され続けた兄にとっても。


 ひとつの区切りがついた瞬間なのだ。

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