case-41 不意打ち
「くさいッ!?」
「まぁ、見た感じこの世界そのものがケガレ溜まりみたいな状態だからな」
「鼻が曲がりそうです……。というか吐きそう」
「一介の禍身祓いにすぎないオレでさえそれなりにキツいからな。神薙ぎの
門を越え、ついに二体の禍身の本拠地である異界――『
普段の珠緒が見ている景色のような――周囲のあらゆる色が『赤』に塗りつぶされた和風の屋敷が目の前にどんと佇む。幽世と現世のチャンネルのどちらにも属さない独自の異界であるここは、怪化し禍身が内包する大量のケガレ……おそらくこの赤い空気そのものがそうなのだろう。それが結界の如く『
なんの霊能も持たない一般人でさえ、不快感を感じるレベルのケガレの
「わたし、この異臭を耐えながら戦わないとダメな感じですか……?」
「らしいな。消臭剤を持ってきたほうがよかったかもしれん」
「……もし消臭剤でこの匂いが緩和されたら、逆説的に消臭剤でケガレを浄化できることになりませんか?」
「まぁ、一考の余地はあるだろうな」
「もしくは消臭した上で別の匂いとかつける芳香剤とかもあれば浄化どころか
「芳香剤が原因でこの異界が現世のチャンネルに定着されたら大量の禍身を一網打尽にできるだろうが……さすがに理由がシュールすぎないか?」
とはいえ、ケガレが科学的にどのような成分で出来ているかを確かめたことは無い。もしケガレとケガレが持つ匂い成分に密接な関係があるとすれば、消臭剤によって浄化できるという考えは間違ってはいないだろう。が、さすがにそれを進言するには一手遅い。とはいえこの場に訪れなければなかった発想でもあり、どちらにせよ結果論だ、と知紅はその話題をここで打ち切った。
周囲に他の禍身祓いたちの気配はない。おそらく、二人に続いて各部隊も『門』に突入しているだろうというのはわかるが――それでも、この巨大な屋敷は周囲に一切の気配を漂わせてはいなかった。
「とにかく、既にここは敵地。罠であろうが突入しないままでは合流もままならん。珠緒、
「神罰で空気を浄化って……どうやるんです?」
「オレたちが呼吸できている以上、ある程度の大気組成は現世のそれと同じと考えていい。なら、もしお前の言う通りこの匂い成分とケガレに密接な関係があるとすれば、雷の性質を持つ神罰でその匂い成分を電気分解することが可能なはずだ」
「知紅さんってオカルトを科学でねじ伏せるの好きですよね」
やや呆れの混ざった声色ながらも、珠緒は
いつものように、ただ雷撃を落とすのではなく大気中に漂うケガレを電気分解するという工程が挟まる以上、絶妙な出力調整を要するからだ。
「開けよ、黄泉の路へと続くとびら。明けよ、君の路をも照らすひかり。憐れな禍身を黄泉へと還す、我が神薙ぎの唄よ響け!」
――
神断から放たれた夥しい稲妻を伴う放電は、大気に混ざり込んだ大量の
とはいえ、命令に従っただけの珠緒以上に、これを指示した知紅の呆け具合は、彼から人よりも気を許されているという自覚のある珠緒をもってして、なかなか見られないほどの気の抜け方をしていた。
「んふ、ふふふっ……! な、なんでやれって言った本人が一番びっくりしてるんですか……っ!」
「いや……これまで長いこと禍身祓いをしてきたが、こんなに科学が直撃する霊現象は初めてだったからな……」
その後しばらく笑っていた珠緒だったが、ようやく落ち着いた頃になって屋敷の門の向こうから無数の気配がこちらに向かってきているのがわかった。
知紅は既にワイヤーペンデュラムを構えていて、珠緒も慌てて神断を自らの手中に再展開する。
「……数、だいたい20くらいですかね?」
「だろうな。30もない……
「簡単に言いますけど、今はわたしたち二人だけですよ? さすがにこの数、増援なしでは……」
「なに、祓えないなら祓えないなりにやりようはある。幸いにもここは現世とも幽世とも区別のつかない異界だ。向こうもチャンネル移動では逃げられまい」
そう言って知紅が口にした作戦は――珠緒の苦笑いを誘った。
「ききききききっ!」
「えへ、へへへへはっ! えへへへへぇぇァ!」
「きぃやあああはははははああぁぁ!」
押し寄せる禍身の群れ。チャンネル移動では逃げられないということは、こちらが定義付ける必要もなくこの禍身たちは紛れもなく
それはつまり、普段ならば必要な「名付け」のための様子見・時間稼ぎを要することなく討滅のプロセスに入れるということ。故に、知紅の出した作戦は極めてシンプル。
「
押し寄せる禍身の動きを雷撃によって制止。そして全体の流れを堰き止めた一瞬を衝いて――。
「
――無数に分裂した神断が全ての禍身を一切の洩れなく貫いていく。
そう、知紅の作戦は極めてシンプル。単純に相手の初動を潰して全体を一斉に制圧する。野生動物の習性を利用した罠を人間が開発し、それを使い続けた果てに野生動物側も初めて見る
だが――今回ばかりはそれが裏目に出た。
禍身祓いは初動が遅い。そんな禍身たちにとっての常識が、自分たちが今いる場所の特性によって崩れていたことに気付けなかったのだろう。
人への対策として、名付けをされなければチャンネル移動がある。悪霊の対策として、名付けがある。霊能者への対策として、名付けにくくするよう自分を偽る。禍身への対策として、逸早く相手の名付けを行う技術と観察眼を培う。禍身祓いへの対策として、観察している間に速攻戦を仕掛ける。このような互いの『学習』と『対策』の歴史があって――それを利用したのが知紅だった。
名付けられるとまずい、という禍身側の危惧は正しい。だが同時に、その裏にある「名付けられるまでの観察の時間は相手側に一切の対策がない状態なのだ」という無暗な安堵があった。だが――今は状況が違う。知紅でなくとも、今ここに来ている全ての禍身祓いたちは、禍身の
「今までは「チャンネル移動」という回避手段があったから必ずあちらに先攻をとられていた。だから禍身側は名付けられるまではこちらの妨害がない状態で自分たちの望む展開を広げられた。あるいはこちらの名付けが遅れればそのまま妨害を受けずに押し切ることもできた。が……だからこそ奴らは自分たちが先攻をとれなかった場合の対処法を知らない。まして、こっちは逃げ場さえなければ一撃で禍身を葬る神薙ぎがついている。正直、この程度のやつらであれば珠緒だけで制圧できる」
「知紅さんってシミュレーションゲーム得意そうですよね。今度プチモンしてみません?」
「プチっとモンスターか……小学校以来だが、この事件が終わったら珠緒と一緒にやるのもいいかもしれないな」
「教えます教えます! まぁわたしもぬいぐるみとか持ってるだけでゲームやったことないですけど……」
そう言って互いの緊張を解し合うような会話をしていた時だった。
油断はなかった。会話の内容こそ朗らかなものだったが、二人は常に周囲を警戒していた。――はずだった。
「――珠緒ッ!」
屋敷に入り、周囲の警戒をしつつ中庭に差し掛かる頃――二人の視線の最奥となる一室。その障子戸の向こうに薄っすら煌めく青色の閃光は、彼女を庇いワイヤーペンデュラムを幾重に束ねた小規模多重結界を突き破り、彼の右腕を撃ち飛ばした。
「……知紅さん……?」
蹲ってなおも彼女を庇うように抱え込み、残る片腕の多重結界で続く閃光をいなし続ける彼に、珠緒は叫ぶように声をあげる。
「知紅さんッ!」
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