case-40 向こう側

「破綻?」

「ああ。まぁ、少し準備に時間を要するがな」


 そう言って、知紅ちあきは結界外部から内部の状況を本部へと連絡する調査班の一人に声をかけた。

 正直、今の状況では珠緒たまおは手札のひとつにもならないと判断した彼は、早々に彼女を後退させると結界班や浄化班を用いて神酒禍身みきがみを経文や祝詞で拘束する方向へとシフト。その間に対策を講じることにした。

 確かに、アルコールの半液体という無敵にも等しい防御能力を持つ神酒禍身であるが、そのためにこの禍身は通常の霊たちと違い、まったく霊界のチャンネルに逃げようとしない。その無敵の防御にものを言わせて、ただ移動するだけでそこにあったありとあらゆるものを呑み込む。故にこの禍身は常に現世側のチャンネルに留まり続けている。そこに必ず付け入る隙があると知紅は考えていた。そして、相手が無敵の半液体であるからこそ、そこが相手を破綻させる最大の要因であるとも。


「了解。すぐに手配します」

「必要ならオレのバイクを使え。鍵は挿したままにしてある」

「わかりました」


 視線は神酒禍身に向けたまま、彼は指示を出しつつも観察に徹していた。珠緒の神薙ぎの力は、神を討ち斃すため神成りの力である雷を根幹とする。そのため雷の威力云々はともかく、そもそも電気が通らない相手には実体・霊体に関係なく霊力としての効果も発揮しない。逆に霊はプラズマの一種だと唱える者もいる。実際のところがどうかはともかく、霊や神というものはその存在の極めて大きな部分を外部から定義されている。簡単に言ってしまえば、生きている者が「霊や神とはこういうものだ」と考えれば、それが彼らを定義付ける一端となるのだ。つまり、単なるオカルト的存在にすぎなかった古代霊とは異なり、現代の霊たちは「霊とはプラズマの一種なのではないか」と考える者が増えてきたことで昔よりも遥かに電気が通りやすくなっているのだ。――相手がアルコールのようなものでなければ、だが。


「何をするつもりですか?」

「言っただろう、ヤツを『破綻』させると」


 知紅としては、できれば自分も結界班と浄化班の負担を減らすため彼らの手伝いをしたいところだが、今回の作戦はあくまであの「門」を越えるためのもの。門の向こうには伝承級の禍身が2体も構えているとわかっていて、切り札である珠緒と知紅を消耗させるわけにはいかない、というのが協会連合の判断であった。そのため今の知紅は神酒禍身に対して「回避」以外の自衛手段を持たない珠緒の護衛という建前で、神酒禍身の観察・分析。作戦の立案・指揮。禍身祓いたちのコンディションの把握という、彼の本領でありながら状況的に最も不本意なポジションを強いられた。


「ヤツは現世側のチャンネルに留まっているくせに物理的な干渉をほぼ無効化してしまう上、電気が通らないから神薙ぎの力も通じない。だが――それはヤツが『アルコールの半液体』という特性を常時全て発揮し続けている状態……目に見えるひとつでありながら、目に見えない『無数の定義』がアレの正体だ。しかし、ならばヤツが『アルコールの性質を発揮できず半液体でもなくなったら』どうなる?」

「定義が破綻し、存在を維持できなくなる……と? ですが、そんなこと簡単には……」

「いいや、簡単に出来るんだ。ヤツが現世のチャンネルに留まり続けている以上は……現世の『常識』がヤツを貫く槍となる」


 直後、彼らを覆う影。その大きさからして、何かが真上に存在すると察した珠緒が視線を上げると――そこには一機のヘリが滞空していた。


「全員、神酒禍身を結界中心部に誘導! 誘導完了後、即座に結界内壁ギリギリまで退避!」


 知紅の号令に従い、結界班・浄化班は神酒禍身の拘束をそのままに自分たちが少しずつ移動することでそれを結界中心部へと誘導し始めた。


「いいか、これから神酒禍身の封印処理を行う。ヤツが中心部に差し掛かったら、全員があの場を離れる。ヤツの拘束は解かれ、暴れ始めるだろう。だがここまでの戦闘で神酒禍身の機動力はナメクジ級だということは判明済み。だからすぐには回避できないはずだ」

「回避できないって……何から?」

「これから、あのヘリがある物資を投下する。お前はそれを神断で貫け。できるだけ神酒禍身の頭上近くでだ」

「でもあたし、あんまり小さい的だと当てられないかもしれませんよ」

「なら神酒禍身の頭上……20センチくらいのところを狙え。タイミングはオレが合図する」

 

 彼が何をしようとしているのか、珠緒には未だに理解できなかった。しかし、それでも珠緒は頷くことに躊躇しなかった。

 知紅の目論見がどのようなものであったとしても、少なくとも目的は神酒禍身の撃破あるいは封印。彼が内容を話さないのも、これが失敗した時に周囲の士気を下げないためだろう。

 あくまでこれは手段のひとつであり、通じれば撃破・封印の手立て。失敗しても次の手段を講じるための指標と言えばまだ士気は維持できる。故に、珠緒は敢えてそれ以上のことは言わずに従った。

 神断を投擲する構えで待機し、彼の合図を待つ。


「神酒禍身、結界中央部到達!」

「全員撤退! 物資投下!」


 知紅の叫ぶような指示に従い、全員が神酒禍身周辺から離脱。全速力で結界内壁部まで撤退。それと同時に、珠緒の視界にも銀色に光る箱のようなものが目に入る。


「今だ」

「――神刺かんざしッ!!」


 知紅の合図に従って放たれた神断は、まるで導かれるようにその銀色の箱を貫き、そして――夥しい白煙を伴い、箱の内容物が神酒禍身へと降りかかる。


「爆発したってことは、あれ火薬……いえ、この冷気は……!」

「アルコールは気化しやすく高温による処理は危険性が高い上にどこに行ったかもわからないため温度低下で液体に戻る可能性もあり不確定要素が多い。だが瞬間冷却で固体にしてしまえば「液体」としての性質はもちろん、アルコールとしての性質の一部も損なわれるだろう。少なくとも一定以上の温度を必要とする性質はどうしようもない」

「じゃあ、あの一斗缶の中身って……」

「ああ、液体窒素だ。あんまり高い位置でやるとオレたちにも被害が出るから、ヤツの頭上ギリギリでやる必要があったが……それでもこれほどの冷気が漂ってくるあたり、少々見込みが甘かったか?」


 一斗缶――18リットルの液体窒素を頭上20センチから浴びた神酒禍身はまともに反応することさえできないまま全身が凍結。

 液体ではなく固体となったことで「御神酒」としての定義が破綻した神酒禍身は一万一千一の定義から一個体へと成り下がり、数名の禍身祓いたちによって砕かれ、いくつかの破片と分かれたそれらは協会連盟の冷凍庫へと輸送、封印処理を施された。

 

「まぁいい。これで『門』は無事に通れるようになったわけだ。増援が来る様子もない。各自、編成部隊の点呼を行え。突入後、必ずしも全部隊が同じ場所に出られる保証もないが……少なくともこの「門」があちらに通じている以上は、もし離れた場所に分断されてもこの『門』を目指すことで合流できるはずだ」


 彼は各部隊に今後の作戦を伝え、『門』の向こう側に待ち受ける懸念をいくつか提示した。

 門を越えた先が必ずしも一定の場所でない可能性があること。門の向こうに敵が待ち伏せしている可能性があること。門の向こうの地理を自分たちはなにひとつ知らないこと。他にもいくつか。

 だが、それでも彼は「それらを乗り越えて必ず合流しろ」と強い口調で言った。


「相手は怪化あやかし禍身と御名禍身みなかみ……いくらオレと珠緒でも、二人だけでこの2つを同時に相手取れば万が一にも勝ち目は無いだろう」


 ここまで学校の浄化や門の再現、神酒禍身の対応などの寄り道を強いられたが、根本かつ最終的な目標はこの2つの禍身の撃破か封印。

 だがこの2つはどちらも伝承級霊害的存在。特に怪化し禍身に至っては神話級――禍身の王と言って差し支えない力を持つ極めて強力な個体。どちらか片方だけでも、神薙ぎなしという条件がつけばこの場の全員がかりでも鎧袖一触、あるいは袖に触れることも叶わぬまま葬られるだろう。故に――今回の作戦において神薙ぎという「切り札ジョーカー」は必要不可欠であると同時に、彼女を最大限活かすことのできる知紅の判断力・対応力・指揮能力は欠かすことができない「切り札エース」であった。


「皆の協力が不可欠だ。……頼むぞ」


 その切り札たちが、自分たちの力を信じ求めている。その事実は、各部隊の士気を否応なく高めた。


「…………」

「……はい」

 

 知紅は珠緒へと視線を直すと何も言わないまま頷き、彼女の手を取って「門」の向こうへと姿を消した。

 それに続くように、各部隊も点呼を済ませて突入。学校側には門を維持する禅生ぜんしょうと小栗、そして数名の調査班と結界班を残すだけ。

 まるで霧のように姿を消していく彼らを見て、今もまだ「事件」は続いているのだと、それを見ていた教員や生徒たちも身を震わせる。


「無事に帰ってきてね、たまチャン……」

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