case-39 一万一千一

 神薙ぎとは元来――禍身を討ち斃し、神をも薙ぎ倒す存在ではない。

 正しくは「神を薙ぎ祓い、討ち斃す」存在であり、禍身や悪霊といった存在と相対するのは、その力を応用した副産物に過ぎない。

 故に、神薙ぎの力が最もその力を発揮するのは、相手が神、あるいはそれに類すか準ずる存在である場合だ。

 禍身は、一部の例を除いて「徳を積んだ霊的存在が神格を得て神霊となり、その神霊が正真正銘の『神』へと昇華するほんのわずかな期間にケガレを受けることで堕とされた存在」だ。

 つまり神から最も遠い存在でありながら、同時に神に最も近付いた存在でもあり、それゆえに「神殺し」である神薙ぎの力が部分的に作用する。

 悪霊や浮遊霊といった、実体という鎧を持たない霊的存在に対しては、神薙ぎとしての力が「強力な霊力」という形で一部付与されることによって単純に力負けするというだけで、特効性はない。

 

 では――神ではなく「神の力の一端」に対しては?


 禍身が「根源的かつ部分的な神」であることによって神薙ぎの力が一部作用してしまうように、神の力の一端である『御神酒』が禍身へと堕ちた場合、神薙ぎはどのように作用するのか。

 もし作用したとして、それが何に反応したのか。御神酒であることか、禍身であることか、あるいは不浄の力であるケガレを神聖な力である神薙ぎのそれが赦さなかったのか。

 そして、その作用する力の強さと、どのような形で発揮するのかという作用形態の確認。それがこの『神酒禍身』を差し向けたアカーシャの狙いであった。


「ようやく、少しずつではあるけれど『神薙ぎ』というものがわかってきたよ……。この身体の主導権が徐々にこちらへ傾いている影響もあるかな。宿主の記憶も部分的にだけど把握できるようになった」


 カミナが既に動き始めた今、既にこの場には彼一人しかいないとはわかっていても、それを聞く者がいないとしても、彼はただ一人でそれを呟いていた。

 彼の肉体の主である詠路伊織よみじいおりの知る「古代神薙ぎ」の力。現代にまで受け継がれる「神薙ぎ」のそれとは時代の変遷によって部分的不一致を抱えているものの、根源となる部分は同じ。

 究極的に異なる部分として、完全な「神殺し」としての霊力を覚醒させることで、あらゆる神に対し一騎当千の効力を発揮する現代の神薙ぎに対し、源流となる「古代神薙ぎ」はその力と技法を生み出した時代。つまり、その原理と定義を当たり前に把握している時代の産物である。そのため、偶発的かつ先天的に神薙ぎの霊力を覚醒する必要はなく、一定のプロセスを経て適切な修練を積むことによって、本来のそれほどでないにせよ神殺しを果たすに相応しい力を後天的に得ることが可能だということ。


 もしも相手が珠緒たまおでなければ。彼自身も高く評価する知紅ちあきと同等の霊能者が徒党を組んで襲い来るとするのなら、アカーシャはこれほどまでに恐怖しなかっただろう。

 あるいは、珠緒が単独でここに殴りこんできたのなら、ある程度の雑兵を引き連れて、アカーシャを討たんと正面から神薙ぎの力をぶつけてくるのなら、アカーシャはここまで怯える必要もなかっただろう。

 しかし――相手は珠緒という一騎当千の神殺しであり、同時に知紅という万夫不当の禍身殺しを引き連れてきていた。つまり、彼らを討たんとするなら一万一千人力では足りないということだ。

 

「とはいえ、たかだか一万一千人力。君たちが今そうして相対しているのは一万一千一人力のパワーを持つ神酒禍身。そうそう簡単に討てるなどと考えないでほしいな」

 




「この禍身……やりづらいですね」

「見た目は汚泥か血液のようだが、元を正せば御神酒だからな。アルコールは電気を通さない。霊力を雷という形に換えて神殺しを果たす神薙ぎの力とは相性が悪いだろう」

「呑気に分析してますけど、知紅さんも等身大わたしフィギュアが『門』の維持装置になってて大幅に戦力が落ちてるじゃないですか。大丈夫なんですか?」

「まったく大丈夫ではない。ワイヤーペンデュラムで拘束しようにも半液ゲル状だからろくに捕えることもできん」


 神酒禍身は紛れもなく強敵であった。神の力の一端であり、禍身であるという以上に――『アルコールであり、半液ゲル状である』ということが珠緒と知紅を苦戦させる最大の要因であった。

 神薙ぎが放つ雷撃は、純粋な雷であると同時に純粋な霊力である。言い換えれば、雷の形をした霊力でもあり、霊力の性質を持つ雷でもあるということだ。

 この「雷であり霊力である」という性質は、多くの場合において非常にフレキシブルな切り札となる。実体を持たない相手には「霊力」としてぶつけ、実体を持つ相手には「雷」として焼き切ることができるからだ。しかしそれ故に――神酒禍身は天敵であった。


「実体の鎧を身に着けている以上、霊力として神断や神罰をぶつけても効果は薄い。しかし雷としてぶつけようとすればアルコールが邪魔をする。さて……どう対処したものか」

「機動性が著しく低いのが救いといえば救いですね。移動速度だけで言えばほぼナメクジです。攻撃速度はそこそこですが、それも避けられないほどではありませんし」


 神酒禍身が生徒や教員の方へと向かわないよう幾重にも封じ込めの結界を張り、その上で十数名の禍身祓いと共に結界内で対峙することを強いられた知紅たちであったが、二人が神酒禍身との攻防の中で冷静に相手の特性を分析していくほど、この赤黒く変質した「酒」が極めて厄介な存在であることを否応なく理解していく。

 最初こそ神酒禍身の持つ極めて純度の高い邪気や、その穢れきった魂に驚いていた禍身祓いたちであったが、戦えば戦うほどに、それとは関係ない部分でこの禍身の「強み」が明らかになっていた。

 正直、単に純度が高く強力かつ膨大な邪気を持っているだけなら、神薙ぎである珠緒と歴戦の勇士である知紅がこうも苦戦を強いられるとはその場の誰もが思わなかっただろう。それほどに、対禍身という状況においてこの二人は反則級の切り札なのだ。しかし、今回こうして目の前に立ちふさがるのは「酒」の禍身である。アルコールの、半液状の、禍身なのである。


 火は人類文明の発展を促すと同時に、噴火という形で無数の命を奪う。

 風は人類と地域に寄り添いながら、台風や竜巻という形で無数の器物を破壊する。

 土は人類を含めたありとあらゆるものの基盤となり、地震という形でそれらを崩壊へと導く。


 だが――これら全ての災害は「水」にとって取るに足らない。


 水はあまねく全てに命をもたらし、そして同時にあまねく全ての命を奪い、器物を破壊し、基盤を崩壊させ、文明を滅ぼし、地域を呑み込み、ありとあらゆるものを虚無へと沈めるだろう。

 そのため水の……液体の性質は「暴食」である。神酒禍身は「捉えられない実体」という液体の利点を最大限活用しつつ、自らに触れるあらゆるものを呑み込み、それを「無」へと換えていることに、今この場で知紅だけが気付いていた。


「長期戦は避けなければならない。こいつ、自分が居た場所の全てを呑み込んで移動している……正直、この多重結界がこの禍身に対してどれだけ有効かも怪しいところだ」

「どういうことで……うわっ!?」

「こいつ、おそらく単純に御神酒が堕ちた存在ではない。自分を構成するありとあらゆる「性質」の部分に特化させられた個体だ」


 性質の特化。

 ここまでしつこいほど幾度と「神の力の一端」である。「酒」であるため「アルコール」である。「半液状」であり「液体」であると繰り返したように、この神酒禍身は『禍身としての部分』はオマケであり、あくまで『御神酒が堕ちた存在である』というところを突き詰めてそれを強みとしている個体だということ。

 

「神の力の一端だから神薙ぎによる特効を受けはするだろう。だがこいつは同時に酒でもある。アルコールだから電気が通らない。半液状だから実体への実質的に無効化される。液体だから万物を呑み込み、それを無に帰すことができる。つまり、こいつは「酒」というものを構成する様々な概念を区分けし、それを全て「霊害」として発揮する災害のようなものと言っていいだろう」


 それを聞いた全員が、そうしてようやく理解する。

 今、自分たちが対峙しているのは神酒禍身であって神酒禍身ではない。

 目の前のそれは、御神酒というものを構成する無数の概念の集合体。一にして全容不明の無数。全容不明の無数であり一。それがこの神酒禍身の正体だったのだ。


「こいつを構成する概念……酒でありアルコール水溶液であり液体である。おそらく日本製・日本産の日本酒である。米と麹と水、あるいはそこに醸造アルコールを加えて造られた清酒である。致酔性があり気化性が高い。アルコールの概念を拡大解釈するならエタノールやメタノールの概念も含むか……? なら前者は糖質とでんぷん、後者は石炭や天然ガスの性質も持つということか……?」

「もしかして、この禍身を一体倒そうとするとその無数の構成概念全てをひとつひとつ潰さないとダメですか?」

「だろうな」

「さすがに付き合ってられませんよ!」


 何か手はないんですか、と神酒禍身の伸ばす半液ゲル状の触手と液弾を神断で防ぎながら泣きを洩らすと、知紅はわずかな逡巡の後に声を上げた。


「なら、破綻してもらおう」

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