case-38 地獄の汚泥
「ゼッタイ少人数で来るからじゃん?」
「とりまその門? ってヤツを作るには呪いとかでヤバめの霊とかをごちゃごちゃーってしなきゃで、そのために誰かが必要なんしょ? でも大人数で来られるとジャマされるかもじゃん? 空き教室とかだと5、6人くらいでタムロしてるヤツもちょいちょい居るし、そも来るかどーかもビミョいから、休み時間なら誰かしらゼッタイ来てくれて、なおかつ多くて2、3人までってんならトイレがイチバンかなって」
まるでそれが自明であるように。最初から用意されていた答えを読み上げるように。彼女はまるで「むしろそれ以外にある?」とでも言うような表情で、普段自分よりも聡明な二人を見つめていた。
しかし、その「当たり前の思考」をついつい見失うというのが専門職である。専門職というものは、その分野に精通するからこそ物事を「面倒な方から片付けたい」という無意識的な傾向がある。そのため、ついつい難しく考えすぎてしまって、根本的で常識的な思考を見落とすことが時たまあってしまうのだ。弘法も筆を失くし、河童が陸で干からび、猿も木に登れないことがあるように。
「……呪術や心霊に思考を偏らせすぎるとこういう足元の思考ができないという好例を見た気がする」
「ほら見てください。凄いでしょう、わたしの親友ですよ。あげませんからね」
まるで自分のことのように誇らしげな態度で胸を張る
残された珠緒はまだ少しその場に残り、いつもの様子で――けれど親友である彼女にだけわかる不安げな視線を向けてくる金恵の隣に立つ
「……空羽くん」
「はい?」
それは、普段の優しく穏やかな彼女のそれとはかけ離れた、凛と力強い意志を込めた視線。
その視線を受けて、不意を衝かれ気の抜けた返事を返した空羽にもひとつの芯が入ったように背筋が伸びた。
「わたしはこれから、さっきの人と一緒に今回の元凶に会って、事態の解決を図ります。けれど……正直、危険な相手です。必ずここに戻れるという保証もありません。というか、さっきの戦いを大勢の生徒たちに見られてしまった時点で、近くわたしはこの学校を去ることになるでしょう。だから、帰ってこられるにせよそうでないにせよ、あなたに……あなただけにはこの願いを託さなければなりません」
「願い……?」
これは呪いだ。これを口にすれば、彼の性格を考えれば……これは呪いだ。
けれど、それが呪いとわかってなお「
「わたしの親友を、どうかよろしくお願いします」
そう告げて、珠緒も知紅を追うようにその場を後にした。
駆け出す姿が徐々に青白い光を帯びて、その手には光の槍を持って。
「みんなに好かれる女子高生」だった彼女が――「神薙ぎの少女」となっていくのを、二人はただただ見送った。
◆
「遅れてすまない。準備の方は?」
「協会連盟の
「
「秋山占術事務所の
怪化し禍身の『門』は「呪詛をつなぎとして大量の悪霊といくつかの禍身を「境界」へと封じ込めることで蟲毒化させ、呪詛を受けた者を門の維持装置とする」というものだ。
そのため必要なものは大まかに3種。悪霊、禍身、生贄である。無論、本物のように人を生贄にするわけにはいかない。そもそも、呪詛を向けることすら倫理的にアウト。
そこで知紅が思い立ったものこそ、自ら武器として使う
知紅は万が一にも珠緒に影響が出ないよう
「知紅さん、今のって……!」
「以前、お前が母禍身と地縛禍身が融合した九尾の禍身を祓ったことがあるだろう。あの時に回収し、時間を見つけてはオレが浄化にあたっていたケガレバコだ。さすがに
173体の悪霊と7体の禍身、それを維持する呪いまみれの生贄も用意した。あとは――、
「素材を混ぜるためのミキサーにはお前たちお得意の「人形」の「呪具」を用いている。これだけお膳立てしたんだ、成し遂げろよ――禅生、小栗」
そう言って、知紅の合図と同時にその場の全員が耳栓、あるいは耳を隠すように手をあてた。
「承知しました」
「任せてください」
まるで本物を扱うかのように、グラウンドの土の上に毛布を置いて寝かせられた
「
「なお地に堕つ玉、
「爆ぜ散るその玉、赤々と潰れ、また幾重となり足踏まれる」
「終ぞ地は緩み、どろりと溶けゆく昏き底の底、留めどもなく」
「いつしかその地はすべてが等しく深淵と果てる、斯くあれかし」
「その望みさえもまたケガレの地へと沈み往くものと知らぬままに」
重ね呪歌か、と口にはしないまま知紅は理解した。
対象の魂を罵り嘲る歌を一定のテンポを守りながら口遊むシンプルながら難易度の高い強力な呪詛の一種である。
先手となる者が、まずはおよそ24音~32音で1フレーズを作り、後手はそれに従う形で続きのフレーズを作る。これをおよそ3~4往復する内に完成させる。
ただし、このフレーズには決して直接的な害意や敵意を込めた言葉を使ってはならない。この呪詛は元来、公共の場で特定の人物を呪い殺すための呪詛であるため、あくまで「歌である」という体で完成させ、なおかつこれが「呪詛である」と無関係な者に知られてはならないからだ。今回も重ね呪歌を唱える2人以外には、知紅を含め誰もその歌詞を知ることが無いよう耳栓をしていた。
そして――その効果は覿面と呼んで差し支えなかった。禅生と小栗による呪歌の影響か、
「全員構えろ。どうやら出迎えの挨拶があるらしい」
門をグラウンドに設置した直後、
全員が身構える中、209センチの巨体を持つ知紅さえ軽々と潜れそうなその「門」を、まるで子供用のアスレチックを潜る巨漢のごとく狭苦しそうに身を捩りながら現れたのは、巨大な赤黒いゲル状の何か。
スライム、と呼ぶにはあまりに禍々しくドロドロとした質感は、見る者すべてに等しく露骨な嫌悪感を与えていた。
「なんだこれは……!」
「ふざけた見た目に反して、これほどの邪気を持つとは……よほど力の強い存在が堕ちたらしい!」
「だが、こんな半液状の高位霊など何がある?」
初見の禍身と遭遇した時、真っ先にしなければならないことは「名付け」だ。力の強い禍身はその身を隠す必要性の低さから、一般人の中にもそれを認知できる者が多い。しかしそれはあくまで「視える」だけだ。現世と幽世を好き勝手に行き来する禍身は、それが
故に――禍身の名付けは慎重かつ迅速に行わなくてはならないが、目の前に佇む赤黒い
――ただの一人を除いて。
「御神酒の禍身……
知紅は膨大な知識によって培われた洞察力と、長年の経験からなる判断力で、すぐさま
「御神酒にケガレを混ぜるとは……なんと罰当たりな!」
「道理で。邪気の強さもそうだが、お神酒の神性がそのまま邪気になっているからこそ、これほど純度の高いものになっているのか……!」
お神酒。神に捧げ、神の霊力をいただくための酒。故に酒そのものが神の力の一端であるとも捉えられ、なおかつ生き物と違い欲や煩悩を持たないことで極めて純粋な
だが、透明度の高い水に一滴のインクを垂らせば色のある水よりも目立つように……ケガレによって汚染された御神酒はその神性を一転、極めて膨大で純度の高い邪気を孕んだ地獄の汚泥と化したのだ。
「構えろ珠緒。まずはこいつを退けなければ話にならん」
「わかってます」
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