case-36 使命

『校内の全生徒に連絡します。校内で危険物が確認されました。みなさんは避難経路に従い、迅速かつ落ち着いて避難してください』

「みんなこっちー! 避難経路こっちだよー! 慌てず騒がず周囲をちゃんと見ながらグラウンドに向かってー! 先生たちの点呼が済んだら仲良ピ同士でも安全確認してねー!」


 空羽あきはの処置を終えた直後、政府文科省から教育委員を通じての実質的な直接入電により、増援の禍身祓いたちが到着。同時に教師陣に対し禍身祓いの業務に対する妨害行為を自粛する旨が通達されたことで、教師・生徒の避難が開始。先輩後輩に対しても友好的かつ発言力のある金恵かなえを口頭による避難誘導に据え、護衛として珠緒たまおと空羽を配置。生徒会による避難放送には放送室の内外に教師と禍身祓いによる護衛をつけ、とにかく「少人数での禍身との接敵」を回避しなければならなかった。

 禍身は人間の恐怖や不安に引き寄せられる性質を持つため、先ほどの犬禍身いぬがみを見たことでパニックを引き起こした生徒も少なくなく、これらの不安を嗅ぎつけられてしまうと現時点で把握している禍身とは異なる禍身が余所から誘き寄せられてしまう可能性があるからだ。しかし人間というものは「群れ」を作ることで不安を薄れさせる生き物だ。時にそれが良くも悪くも働くが、この危機的状況において「群れ」を作ったところで「安心感」は得られたとしても「慢心」にまで気が大きくなることは、よほどの愚か者でなければ在り得ない。幸いにして、この学校では軽薄な態度をとる者はそこそこに居たものの、先ほどのアレを見てなおも慢心できるほど頭をやっている者はいなかった。


「こちら結界班。校舎内外を遮断する結界の準備、および学校敷地内外を遮断する結界の準備、完了しました。避難完了後、いつでも起動可能です」

「わかった。ではこちらの指示があるまで持ち場に戻って待機」


 増援到着後、政府文科省へと緊急事態報告を行った禍身祓い協会連盟から現場での指揮を命じられた知紅ちあきは即座に対応。

 単独やペアでの行動から、複数の人員・部隊を動かすための思考に切り替え、必要事項と優先順位の選定を行った。


 まずは各々の役割を3つの班に分けた。

 全班の状況を逸早く正確に把握し、その情報を連絡・共有するための調査班。

 そして禍身の脱走・増援を阻止するため現場内外を霊的に遮断する結界を展開・維持するための結界班。

 最後に犬禍身をはじめ、おそらくまだ校内に潜んでいるであろう禍身によるケガレを浄化し、事態収束後の霊害を予防するための浄化班。

 そして、これらの班に属さないものを敢えて数名作った。このどこにも属さない班が、各々の判断で敷地内の調査・浄化を行い、禍身を発見した場合は集結、対応に当たるのである。


「調査班戻りました。1階は異常なし、犬禍身による霊力汚染の浄化も生徒たちの避難完了までに終えられるものかと思われます」

「思われます、では困る。何がなんでも終わらせるようにしろ」

「失礼しました。1階浄化班にもそのように伝えます。2階の汚染状況はおそらく校舎内で最も深刻であり、1階の浄化が完了した際にはそちらの班を増援に向かわせます」

「3階はどうなってる。奥のトイレにとりわけ危険な状態の生徒と教師がいるだろう。先ほどから気配が動かないままだが、調査報告が遅いぞ」

「それが、3階奥のトイレがケガレの源泉のような状態で、内部から生命反応はありますが悪質な霊たちが隙間なく押し込められた蟲毒のような状態になっており、無策に突入もできず浄化が遅れています」


 未だ若いメンバーも多いとはいえ、そもそも禍身祓いが短命の職業である。一年生き延びればベテランという中、協会連盟からの説明によればこの現場で対処に当たっているのは最低でも禍身祓い歴5年のエリートのみ。知紅ほど多彩でないにせよ浄化班は特に熟達した者を割り振ったはず。そんな彼らが手を拱いていると聞き、知紅の頬に焦りの一滴が伝う。


「オレが向かう。調査班は通信がいつ遮断されてもいいよう連絡を密にしろ。各班にも点呼を怠らないよう通達、常に互いの居場所を確認し、一人でも行方のわからない者が出れば報告するように」

「了解しました」

 

 人にもそれぞれの性格があるように、禍身にもある程度の共通の傾向はあれども全てが同じ性質であることは有り得ない。

 先ほどの犬禍身のほか、まだこの校舎内にはいくつかの禍身が巣食っているとみて間違いないだけの瘴気が漂っており、1階の浄化もこのまま全ての禍身を発見・対処できず撤退ということになればひと月と持たず全教師全生徒がなんらかの霊害によって『全滅』という結果に至るだろう、ということは知紅でなくともこの場に訪れた禍身祓い全員が思っていることだ。

 そも、犬禍身などという「ケガレ」という一点に絞ればおそらく国内最上位の禍身が出現し、討伐に至ったとはいえ自らの消滅をトリガーとして膨大なケガレを「呪い」として発動した今、校舎内はありとあらゆる場所にあらゆる種類の「呪い」がちりばめられており、今この校舎で最も「無事」と言える一階でさえ禍身祓いの視界を通せば壁や掲示物の色がわからないくらいに大量の「呪い」がこびりついている。

 呪いだけでも、これだけ手間をかけているのだ。現状「複数の禍身がまだいる」ということしかわかっていない以上、その禍身がこちらにどのようなアクションを起こして接触を図ってくるかは未知数。

 そのため、情報の共有以上に「対処に当たる禍身祓いたちの状況把握」の重要性は極めて高かった。


(ここに居る禍身祓いはベテラン揃い……一人で禍身1体を対処できる者もそれなりに居る。が、それは逆に言えば一人でも欠いてしまえばこちらの負担は禍身1体分増えることになる。それだけは避けなければ……!)


 非常時にも備えつつ、そもそも非常時を作らないよう人員と状況を把握し、動かさなければならない知紅の精神的負担は誰の目から見ても明らかだった。

 しかし、それでも彼の指揮能力の高さ、状況を瞬時に把握して対応する機転は誰もが口を挿めないほどに高すぎた。

 消耗する精神と体力をどうにか誤魔化して3階の現場に辿り着くと、知紅はその目にしたものを前に「最悪だ」と舌打ち交じりに普段の寡黙を破った。


呉内くれないリーダー!」

「状況を説明しろ」

「は、はい! といっても見ての通りですが、男女トイレそれぞれが悪霊と呪詛のたまり場というか、ケガレ溜まりに……」

「ケガレ溜まり? バカを言うな。あれはそんな生易しいものじゃない」

「えっ……?」


 見てわからないのか、と知紅は冷や汗と共に洩らした。

 確かに始まりはおそらく悪霊や呪詛が集まってできたケガレ溜まりだったのかもしれない。しかし今となってはもう別物に変化してしまっていることに、知紅以外の誰もが気付いていなかった。


「ケガレ溜まりが由来となっていることは間違いない。だがあまりにも濃密なケガレ溜まりの影響で現世のチャンネルが霊界のそれに繋がってしまっている」

「……ッ!? それでは、まさか……!」

「なるほど。どこに隠れていたのかと思えば、こうも堂々と……」


 おそらく、ここを門として複数の禍身を派遣しているのだろう。中に取り残された犠牲者と、その生徒を助けるため中に入ってしまった教師はおそらく「トイレ」の中だ。だがこの「門」はトイレと廊下の境界線となる部分にケガレ溜まりを集中させることで「チャンネル」を混線させ、現世と霊界を繋いでしまっている。そのためトイレ内部の被害者と教師はこちらの様子を見ることはできているだろうが出ることが出来ず、こちらはあの「門」を通じて霊界に繋がってしまっているのでトイレ内への突入・救助が出来ないでいる。だが――それだけではないだろうと、知紅の禍身祓いとしての直感が警鐘を鳴らしていた。


「内部の被害者を救助し、禍身の増援を断つにはこの「門」を閉ざしてしまうのが手っ取り早いだろうが……少なくともオレたちがここに集められたのは妖化あやか禍身がみ御名禍身みなかみが暫定的にここに居ると仮定できる状況だからだ。この門を閉ざしてヤツらの居場所を特定できなくなってしまえば本末転倒……外部からの救助は試みたか?」

「はい。梯子を用いて窓からの救出を試みましたが、そちらは窓を開けた瞬間に大量の呪詛が放出される有り様で……内部への侵入はおろか、窓の解放状態を維持することさえ危険であると判断し、即座に閉められたそうです」

「まぁそうだろうな。なるほど……つまりあの神話級の禍身どもは「被害者の命」と「作戦の成功」を天秤にかけさせようというわけだ」


 悪辣な、とは言わなかった。禍身に倫理や道徳云々を説くことの無意味さは言うまでもないし、作戦の立案と指揮を得意とする知紅からすれば、戦術的には極めて堅実で有効的だと理解できてしまうからだ。

 被害者の命と、作戦の成功。今ここで助けられる命と、長期的に見てたくさんの霊害を防げる作戦。単純計算で「助けられる数」を考えればどちらを選ぶべきか、どちらか合理的かは言うまでもない。

 しかし――人の命が絡んだ時、どんな人間でも合理性だけでは物事を選択することはできなくなる。それをあの神話級の禍身たちは熟知しているのだ。


「呉内リーダー」

「どうした」

「既に現場内に取り残された被害者たちに施された呪詛は彼らの潜在的な霊力で抵抗できる状態ではなく、我々の浄化が間に合うのは残り幾許の時もありません。彼らの命を救おうとするのであれば、今ここで指示をいただく必要があります」


 自分たちの使命はこの門の向こうに潜んでいるであろう2つの禍身を討ち、この国の目に見えない平和をもたらすこと。

 だが……そのために目の前に苦しむ命を見捨てるのであれば、それは禍身祓い以前に、この日の本の国を愛し護り抜いた先人たちから脈々と受け継がれた誇りある魂に悖る行為であることも疑いようがない。

 使命とは、誰かに指図されるべきものではない。使命には「納得」が必要なのだ。それのためであれば自らの「命」を「使」ってもいいというがあって初めて、使命という「覚悟の道筋」が見えてくるのだ。故に――今の知紅が見据える「使命」とは単なる「作戦の成功」に限ったものではない。


「……オレが門の解析を行う。この門を構築する呪詛と、悪霊の質と数を把握する。そして解析の完了後、逆計算で門を解除する。直後、浄化班が突入、内部の者たちに浄化措置を行い病院へ搬送。別動隊が現場そのものを浄化する」

「しかし、それでは霊界に逃げ込んだ禍身たちは……!」

「言っただろう。門を閉じるのではなく「解析」する。救助完了後、再度この場所でオレが呪詛を放ち、周囲の悪霊をここに閉じ込めて門をする。成功するかどうかは解析してみなければわからないが……目の前の命を救い、作戦を成功させるためにはこれしかない」


 それは――知紅でなくとも思いつくことはできたかもしれない作戦だろう。しかし同時に、知紅が居なければ成り立たない机上の空論でもあった。

 だが今、この場に彼は居た。その荒唐無稽と言っても差し支えないような『難題』が決して『不可能』と呼ばれない理由が、ここに居たのである。


「作戦に異論がないのなら――実行する」

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