case-35 犬禍身

 知紅ちあきの到着によって心に余裕が生まれた珠緒たまおは再び目の前の首なしと相対。

 神薙ぎという、存在そのものが天敵となる存在を前にしながら、しかし首なしが恐れたのはそんな彼女の後ろに立ちながら、冷徹なほどに冷静な視線を送る知紅であった。


「首のない獣型の禍身……いや、首から上が呪詛になっていて見えないようになったのか。一般人にも視えるようなヤツだ、そこに存在しているならオレたちに見えない理由が無い。つまり、見えない部分は存在しないのではなく『呪詛』という概念になっているということ。ならばお前の名前を探り当てるのは簡単だ」


 ――犬禍身いぬがみ


 餓えた獣を頭部だけ出して生き埋めにし、届くか届かないかというところに餌を置き、飢餓の末に発狂したところを「恨むなら○○だれそれを恨め」と教えて首を落とす。そうして呪うべき相手に恨みを向けさせ呪殺するというのが、犬神と呼ばれる呪法だ。

 神に至るべき存在が寸前で穢れ堕ちることによって至る『禍身』の性質上、この犬神という存在はあまりにもだと言えるだろう。そもそも、呪法のひとつであるとはいえ「神」の名を冠して恐怖や憎悪という禍々しくも確かな信仰を受け続けたそれは、数ある呪法の中でも特別な地位にある。何より大きいのは、そのネームバリューだ。オカルトを少しでも齧った者なら、犬神を知らない者はいない。それが具体的にどのようなものかは知らずとも「犬神」という名前を知り、「犬神」というものが恐ろしいものだと理解し、「犬神」というものに恐怖を抱けば、それだけで犬神への信仰であり奉納となるのだから。

 

「犬禍身……。なるほど、だから首が……」

「手ごわい相手だが、勝てない相手ではない。オレがお前に合わせる、まずは好きに動け」

「はいッ!」


 神断かんだちを突き立てるべく駆け出した珠緒の動きが、それを見守る誰から見ても明らかに変わった。

 ひとつの挙動に続く挙動の間にあったジャッジの時間が抜けたのだろう。思考の手間を全て後衛となる知紅に預けたことで、あらゆる動きに迷いがなくなりキレを増した。

 その変化たるや、これまで拮抗を保ち続けた犬禍身の動きさえも捉え、抜き去り、あとは決定打のタイミングを計るばかりとなっていた。


「グルルルァッ!」

「受け止めて神罰かんばちで動きを止めつつ距離をとれ」


 脇腹を抉らんと払うように振るわれる、犬と呼ぶにはあまりにも巨大な剛腕と、その先端に煌めく鋭い爪。しかし珠緒は神断を大地に突き立てることでそれを難なく受け止めると、両手を合わせて雷光を注ぐ。神薙ぎの膨大にして絶大な霊力を込められたこのいかずちは、頭のない犬禍身にさえその威光を確かに放ち、瞬くような僅かな刻であれども確かな隙を見せた。


「――ここだ」

「開けよ、黄泉の路へと続くとびら。明けよ、君の路をも照らすひかり。憐れな禍身を黄泉へと還す、我が神薙ぎの唄よ響け!」

 

 ようやく全身に痺れるような緊張を解き放った時、既に犬禍身の退路はなく――抵抗の術さえもワイヤーペンデュラムによって奪われていた。


「『神鳴一閃かみなり・にそういらず』」


 まるで雷光が閃くが如く。まるで雷鳴が轟くが如く。

 その手に輝きを増すそれは神薙ぎと共にいかずちとなりて禍身を討ち祓う。

 

「――――……」

「憐れとは思いますが、かけてあげられる情けはありません。おさらばです」


 霞のように消え逝く犬禍身に手を合わせ、まといを解いて知紅へと駆け寄る。


「ありがとうございました、ちあ――」

「それは後でな。まずは身を清めておこう」


 ここに座れ、と言われ指差されたのは、グラウンドの上に気休めのように置かれた彼の上着。

 しかし珠緒はそれに「はい」と短く応えて、上着の上に正座をしながら背筋を伸ばした。


「乞い申す、乞い申す。我が意を悉く知り致し、我が意を悉く酌み致し、遠く尊き御君に届き給え。御君も愛しき神薙ぎの身を清め、我らが愛しき神薙ぎの魂を清め給え。乞い申す、乞い申す」


 祈りの言葉と共に珠緒の全身へ塩をかけ、時折その背を強く叩き、そしてそれを幾度か繰り返した果てに盃へと注いだ透明なそれを彼女の口に含ませた。

「飲むなよ」と小さく告げる彼に珠緒は小さく頷くと、今度は彼女の頭を撫でるように手を添え、今度はそこから微動だにしないまま祈りの言葉を繰り返した。


「よし、ここに吐け」

「ん」


 まだ校舎からの視線が途絶えていないからか、知紅は彼女の口元をハンカチで隠しながら、小さな壺のようなものに口に含んだものを吐き出させた。

 彼女が口にしていたのは、以前『蛇禍身』の事件で訪れた山に赴き、山神に捧げるお神酒とは別に、山神の清めの力を祈祷を込めて戴いた浄化に関して言えば極上の品。

 その効果は――。


「やはり入り込んでいたか」

「わたし、ホントにお神酒を頂いたんですよね?」


 壺の中に溜められたそれは、もはや液体と呼ぶにはあまりにも粘度のある、たとえるのならタールのようなものであった。

 犬禍身の本質は呪詛。呪いによって魂を穢し、呪いによって生を冒すことが本領。故に、知紅は犬禍身と対峙した時点で「祓う」ことよりも「祓った後」の対処が重要だと察していた。

 幸い、今回は呪詛を向けられた直後に対処できたこと、山神の協力があったこと、何より呪われたのがオカルトキラーである珠緒であったことが幸いしてなんの悪影響もなかったが、これが並みの禍身祓いであったなら実質的に相討ちとなっていただろう。


「そうだな。山神の力を込められて禍身祓いオレが祈祷して神薙ぎおまえの霊力で即浄化してなお、このケガレっぷりだ」

「すみません、口を漱ぎたいんでもう一杯もらえませんか?」

「そんなことにこのお神酒を使えるか。もう水でいいだろ」


 ほら、と水筒を渡された珠緒は、今度はグラウンドに植えられた桜の木の陰で口の中のものを吐き出すと、再び彼の元に戻って今後の対応を訊ねた。

 

「まだ校舎内に幾つか淀んだ気配を感じる。特に3階に極めて邪な力場がある。こればかりは即座に対処しなければならない」

「わかりました。先生たちへの説明はどうしますか?」

「そんなものは後だ。まずは全校生徒を校舎から出す必要があるな。放送室……いや、古鐘こがねを頼ろう。彼女はどこだ?」

「2階の一年教室です。さっき、金恵さんの想い人である晴山君が犬禍身からみんなを守るために負傷してしまって……」


 なら急ぐぞ、という知紅に急かされて、珠緒も彼と共に校舎へと走り出した。

 知紅によれば、今回の事件には禍身祓い協会連合による全面的なバックアップが約束されており、先んじて到着した知紅以外にも有力な禍身祓いたちがこの学校へと向かっているとのこと。犬禍身も十二分に国際脅威と呼んで然るべき強力な禍身であるが、今回は単独でも国際脅威と判じられる怪化あやか禍身がみ御名禍身みなかみが手を組み、人類に対して明確な敵意を持って霊害を及ぼすとわかっている以上、今この学校こそが彼らの狙いであると仮定できる今、協会連合はこの学校を決戦の地に選んだのである。


「君! 校内は許可のない部外者は立ち入り禁――」

「言ってる場合か。さっきのアレを見ただろう。許可ならもうしばらくすれば届く、悪いが通してもらうぞ」

「そういうわけには……!」

「校舎の3階で既に何人か被害が出ているな。救急車を呼ぶのはいいが、到着したとしてもあのままでは助からないだろう。今、アレに対抗できるやつがこの学校に何人いる?」

 

 禍身祓いでもない――まして霊能者として本職でさえないような人物がひとりふたり居たところで、あの力場を封じなければ被害者の生徒は間違いなく日を跨ぐ前に死に至るだろう。

 そう説明してもまだ制止を止めない教師たちに、これ以上の問答に意味はないと判断した知紅は珠緒を伴って強引にその場を抜けた。

 霊能云々の世界に居るから活用の場は少ないものの、筋骨隆々の209センチは伊達ではない。特に払いのけるような動作がなくとも、珠緒を腕に抱いたままただ歩くだけで衣服を掴んだ教師たちはまるで制止の意味を果たすことなく引き摺られ、廊下の先の階段を上がるごとにひとり、またひとりとその手を離していく。


「まずは2階で金恵と合流だ。場所は?」

「この廊下を真っ直ぐ行って、一番奥の教室から手前に2番目です」


 ずんずんと進む知紅の図体あるいは人相のせいか、廊下を埋め尽くす人波は自然と彼の往く道を作る。


「たまチャン!」

「金恵さん!」


 教室に着き、珠緒の姿を確認した金恵はすぐに喜色を見せながら彼女の名を呼んだ。

 同時に、彼女の膝を借りて眠る少年を見て、知紅は先ほどと同じように清めを行う。すると彼は口に含んだお神酒を即座に吐き出し、その意識を取り戻した。


「ごふっ!? げほっげほっ、辛っ!? えっ何なに!?」

「目を覚ましたか。すまないが、もう一度これを口に含んでしばらく大人しくしていてくれるか?」


 目を覚ますなり、目つきも雰囲気もおそろしい大男に「どう見ても酒」というような透明の液体を口に含めと言われて空羽あきはは当然のように困惑するものの、自分を後ろから抱きしめている金恵が「大丈夫大丈夫、この人この見た目でちゃんといい人だから!」とフォローになっているかどうか怪しいフォローを入れたことで、どうにかそれに従った。

 そうしてお清めは一通りの手順を終えたものの、知紅からすれば彼は本来とっくに手遅れになっていてもおかしくないはずだった。

 彼の行いは勇敢であったものの、犬禍身に接触を許し、明確な敵意を向けられ、珠緒がグラウンドに突き落とすまでそれらは続いた。そして珠緒が犬禍身を討ったことで、呪いのトリガーも引かれていたはず。なのに何故、この少年は意識を取り戻すことができたのか。知紅はしばらく考えて、ひとつの結論を出した。


「……神薙ぎの原石か」

「かんなぎ……?」


 神薙ぎは本来、神憑村に60年周期で生まれるとされる神の寵児であり神の天敵。

 そのため同年代に神薙ぎが2人以上生まれることはないというのが、オカルト界での通説であった。しかし――、


「神薙ぎの才能はあるが、殻を破れていない。おそらく近い歳の神薙ぎとして珠緒が生まれたせいだろう。なるほど、神薙ぎが60年周期でしか生まれないというのはこういうことか」

「どういうことですか?」

「ようは、神薙ぎの才能を持つ者自体はそう珍しくないということだ。この才能を持つ者を100個の卵に喩えるなら、それらの卵全てはほぼ同じタイミングで孵るが、99個のの卵は死産であり『神薙ぎ』という雛が生まれるのはたった1つ。だから彼のように「神薙ぎの力が燻ぶったままの子供」が極めて近い年代に生まれてしまう」

 

 だがそれでも神薙ぎの力は絶大。力という形で発揮できないだけで、並の悪霊に憑かれることもなければ、ある程度の呪詛なら何もしないまま呪詛返しができるほど。


「力の放出ができない分、成り損ないの神薙ぎは自分の内側に入り込んだ霊害に強い。だから犬禍身の呪詛の影響を今に至るまで食い止め続けていたんだろう」

「なんかよくわかんないけど空羽すごいぢゃん!」

「わ、わーい?」


 知紅は言葉にしないものの金恵を「神薙ぎホイホイ」と命名しつつ、ひとまず本題を進めた。

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