case-33 禍身の訪れ

「さて出欠とるぞー。相原ー……なんだ初っ端から欠席かー?」

「いや、相原ならさっきまでいましたよ」

「相原くんならさっき急に体調が悪くなったとかで保健室いきましたー」

「そうか。まぁあいつならサボりってことはないだろ。次、秋川ー」

「はーい」


 一限目は現国。教科書の隣に置いたノートを開いて、珠緒たまおは教室をぐるりと見渡した。

 いつも出欠のスタートを切る、声の大きな彼が居ないというのは、このクラスの士気というか意気というものを、ほんのちょっと損なわせていたようだった。

 相原と呼ばれたそのクラスメートは、このクラスの学級委員長を務めていて、少し注意力散漫なところがあってトラブルも運ぶが、生真面目でみんなから好かれる好青年だからだ。


「北森ー。……なんだ、あいつも体調不良か?」

「北森なら授業前になってトイレ走ってたんで、もうすぐ来ると思いますけど」

「ならあと五分だけ保留にしといてやるか。次、小泉ー」


 自分の名前が呼ばれるのはだいぶ後になることはわかっているので、珠緒はまた周囲をちら、と見た。

 北森というのは、先ほどの彼とは正反対に大人しくあまり目立つ方ではないが、おそるおそると自分の意見はしっかり述べる気遣いの丁寧な少年で、全体的に人付き合いの好きなこのクラスでは常に誰かしらに引っ張られて連れまわされていた。彼もまた、勝手に授業を抜けるような人物ではない。現国担当の教師も、それがわかっていて出欠の確認に猶予を与える程度には。

 しかし――「あ」から始まってまだ「き」の時点で二人。珠緒はもう一度、しっかりと教室全体の数を確かめた。


「というか……おいおい、今日この教室スカスカじゃないか。これで病欠とかなら学級閉鎖だぞ」


 教卓からクラス全体を一望できる教師の口から、そんな言葉が洩れた。

 クラスの半数とまではいかないが、およそ四分一しぶいち……10人程度の生徒を欠いていることに、ここでようやく珠緒は気付く。

 

「空席が……9つか。相原と北森以外の7人について誰かわかるやついるか?」

「高橋さんはHRまで居たよね?」

「居た。具合悪いわけでもなさそうだったけど……そういえば山本くんは?」

「山本はなんか頭痛いから保健室で休んでくるって言ってた。あと西野は……まぁあいつはサボりだろ」

「え? でも西野さんHRまでは居たし、教科書とノートもちゃんと出してるし、トイレとかじゃないの? ていうか誰か早見さん知らない?」

「早見ならさっき廊下で見たけど、なんか顔色悪そうだったな。保健室じゃね?」


 現国担当の教師が不在の生徒をひとまとめに確認しようと、クラスの全員に問いかけると、一気に教室が騒がしくなっていった。

 少なくとも、保健室に行くと言っていた者、あるいは居ることがわかっているのは、相原・山本・根岸の3名。体調が悪いと言っていた、あるいは明らかに悪そうだと言われたのが早見・篠田の2名。授業の直前にトイレに向かったと言われたのが北森。原因も居場所も不明なのが高橋・西野・三谷の3名。

 計9名の内、普段からサボり癖のある西野を除いて、授業態度に差はあれども授業そのものを抜けようとするような人物は居ないのが、教師の危機感を駆り立てた。

 

「……担任の先生にも確認をとってくるから、みんな教室を出ず静かに待つように。すぐ戻るからな」

 

 教師が教室のドアを閉じるた直後、彼の「静かに」という注意も意味を為さず、クラス全体が一気に騒がしくなった。


「マジで学級閉鎖かな?」

「てゆーか学級閉鎖って何人くらい居ないとなるん?」

「知らん知らん。てか保健室行きが3人もいる時点でヤバいって」


 学級閉鎖、という現国教師の言葉に反応する者。


「相原マジで大丈夫かアイツ」

「二限体育だし、俺ら山本の見舞いに行くけどお前らも行く?」

「あ、私も根岸ちゃんの様子見に行きたいから一緒に行っていい?」

「大勢で保健室押しかけるのもアレだし、それぞれ一人か二人くらいに絞った方がよくね?」

 

 保健室に居る生徒たちを案じて見舞いを考える者。


「つーか北森おせーな。なんかヤバそうだし誰かトイレ見に行ってやれよ」

「じゃあオレ行ってくるわ」

「あ、じゃあ女子トイレはあたし行くわ。西野さんいるかもしれないし」


 トイレから戻らない北森と、居場所不明の西野を探すためにトイレに向かう者。


「早見さんも保健室かな?」

「男子が顔色悪いとこ見たっぽいし、そうかも」

「ねぇさっき篠田くんの調子悪そうって言ってたの誰ー? どこで見たー?」

「おれおれ。朝練終わりに体育館からこっち来てんの見た」


 体調不良組の所在を確かめようとする者。


「高橋に連絡とれる奴いる? なんかみんなヤバそうだし、あいつどっかでぶっ倒れてねーか心配なんだけど」

「いまLINNE送ったけど、あいつ既読遅いからな……」

「送れるだけマシだろ。三谷なんか連絡とれるの幼馴染の相原とカノジョの西野だけだぞ」

「そこだけトラブルが渋滞起こして共倒れになってんのヤバいな」

「西野だけなら授業バックレたってだけで解決なんだけど三谷がそれについてくイメージが湧かないのがマジのヤバさに拍車かけてんだよな」

 

 行方も体調もわからない者に連絡をとろうとする者。


 皆が皆、それぞれに友人やクラスを案じていた。

 そして――そんなクラスの混乱を余所に、珠緒は思案を巡らせていた。


(これは……怪化あやか禍身がみ御名禍身みなかみの仕業? 単純に不運が重なっただけ、という可能性もゼロではないでしょうけれど、さすがに重なりすぎです)


 特に珠緒が怪しんだのは、ここに居ないクラスメートたちの症状についてだ。

 現状、症状が明らかになっているのは「頭が痛い」といって保健室に向かった山本と、授業の直前にトイレへ向かった北森。

 頭痛と腹痛あるいは吐き気が同時に症状として出る病気はいくつかある。しかし、それらが同じクラスの生徒で、同じタイミングで起きるというのは、少々違和感がある。

 他の生徒たちも同じ症状なのか、あるいはまったく違うのかによっても話は変わるが、少なくとも山本と北森に校外で個人的な交流があるという話は聞かない。他の生徒にも連れまわされるくらいには可愛がられるタイプの北森と違い、山本はどちらかというと自発的に一人になっているタイプで、人付き合いは悪くないがプライベートに他人を入り込ませる人物ではなかったように思う。なので山本と北森がなんらかの理由で同じものを食べて食中毒を起こしただとか、同じ場所にいてウィルス感染したとか、状況的に「そうなるだろう」というケースがそもそも発生しないだろうというのが、この二人なのだ。

 

「ねぇたまチャン、これってさ……」

金恵かなえさん。……はい、おそらく。なんらかの流行り病という可能性も、ゼロではありませんが」


 それほど近い席でもないのに、わざわざ珠緒の机まで移動してきた金恵が、何かを確かめるように声をかけてきた。

 そんな彼女の言い淀むような口ぶりに、全てを言い終えるより先に珠緒が頷く。「そっか……」と複雑な表情を見せる金恵に、「ひとまず席に戻った方が、先生が来た時に怒られずに済みますよ」と返そうとした時のことだった。



 ――きゃあああああっ!

 ――おいっ! どうした、おいっ! なぁだれか! だれか来てくれーっ!



 教室の外――二年生の教室が並ぶ三階のトイレの方から、女子の悲鳴と助けを求める男子の声が廊下に響いた。

 声を聞いて、何人かの生徒たちがトイレへと走り出した。珠緒は少し悩みながらも、金恵から「行こう」と手を引かれて駆け出す。


(まさか、もうこんな強硬手段に出るなんて……!)


 二人がトイレの前に駆け付けた時、既に他のクラスの生徒も含めた人だかりのようなものがトイレの外に出来ていた。

 おそらく、彼らの悲鳴を聞いた他のクラスの教師たちが中にいるのだろう。「何があった」「声かけ止めるな!」「呼吸はあるが声かけ反応なし」「保険医の春野さんは?」「今うちのクラスの生徒が呼びに行きました」「AEDもってこい!」「救急車はどうしましょうか」「迷ってる場合か早く呼べ!」と、男女それぞれのトイレの中からおよそ3、4人程度の大人の声が人だかりから少し離れた二人のところまで聞こえている。


「あれは……みんなの不安やパニックに惹かれて無数の霊が集まって来ています……!」

「でもたまチャンなら、近付くだけでそこそこの霊は逃げてくはずじゃ……」

「本来ならそのはずですが、明らかにこちらの霊力に怯えた様子がないというか……逆にこちらを煽るように近付く霊までいる始末です」


 が見えない金恵からすると何が起きているのかさっぱりわからないが、珠緒の視点で見ると視線の先のトイレはそれはもう「ひどい」有様であった。

 少なくとも、あの中にまだ生きている人間が入っているという時点で背筋に薄ら寒いものを感じるくらい、そこは「異常」と呼ぶに相応しい状態になっている。

 まず、トイレと廊下の仕切りを境に、その向こうに広がっているトイレの様子が真っ黒に塗りつぶされていて何も見えない。暗い、とかではない。テレビで喩えるのなら、映像が暗くなって見えづらいとかではなく、そもそも電源が切れているかのように真っ黒になっている。まるで、その境界を越えた向こうには何もない世界が広がっているとでもいうかのように。


「金恵さん。ここから少し離れて、知紅ちあきさんに連絡してもらえますか。わたしだけでは判断がつきません」

「わかった。たまチャンは?」

「まずは近付いて、抑えてる霊力を少し解放して霊たちを威嚇してみます」


 さすがに、学校ここで神薙ぎの力を振るうわけにはいかないというのは、珠緒も金恵も共通認識であった。

 金恵が教室に戻っていくのを確認した珠緒は、ゆっくりとトイレに近付いていき、周囲を改めて観察する。周囲に漂う浮遊霊は既にここに居る人だかりの数よりも多いだろう。

 ひとまずはこの不安とパニックを落ち着けつつ、人だかりの数を減らして霊たちを散らさなければならない。


 ぱんぱん、と珠緒が手を叩くと、その場の何人かが彼女に視線を向けた。

 

「みなさん、まずは先生たちに処置を任せて、教室に戻りましょう。心配なのはわかりますが、ここに留まっていても出入りの邪魔になってしまいますし。何かお手伝いができる人は、先生に必要かどうか聞いて、必要とされるなら残ればよろしい。人だかりで出入りを妨げて、状況をより切迫させるのがみなさんの望みではありませんでしょう?」

 

 ね? と小首を傾げてみれば、その場の全員がまるで我に返ったように冷静さを取り戻し、各々の教室へと戻っていく。

 古来――神道において手を叩くということは神への祈りであると同時に、邪気を祓う意味があったという。神薙ぎの霊力を込めて叩いた手はこの場の霊たちを威圧すると同時に、それらによって恐怖とパニックを増大されていた生徒たちが途端に落ち着きを見せたのもまた、この音によるものだろう。

 だが……その場の者たちが教室へと戻った直後であった。


「…………ッ!」


 珠緒の視界が赤く染まっていく。

 禍身に反応して赤く発光する彼女の瞳は、彼女自身の視界を赤く染める。つまりは――、


「来た……ッ!」


 この学校に――『禍身』が現れた。

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