case-32 噂の火種


 あれから――御名禍身みなかみとの交戦から一日開けて、二日ぶりの登校となった珠緒たまおはいつものように校門をくぐり、いつものように下駄箱で靴を替え、いつものように教室に向かい……明からに「いつも通り」でない視線を感じていた。学年や学級の違いに関係なく、教師にも生徒にも挨拶をすれば返ってくる。それは彼女の人徳によるものだろう。だが、それがどこかぎこちない。遠巻きに、何かを確かめるような、値踏みされるかのような嫌な視線。だが珠緒は今までこの学校で向けられたことのないこの視線の意味を、半ば知っていた。しかしだからこそ、なぜこの学校でこの視線を向けられているのかということに、困惑を抱かずにはいられなかった。


「ほら、あれが例の……」

「え、でも珠緒さんがそんな……」

「だけど実際……」


 聞こえないように言っているつもりだろう。多くの同級生たちは出来る限りいつも通りをいるようで、この視線にも気付きながら変わらない態度で接してくれている。けれども、やはりギャラリーの声が聞こえていないわけではないはずだ。珠緒は少し迷いながらも、ひとまず現状を把握しなければどうにもならないだろうと挨拶を兼ねて喋りかけてきたクラスメイトの一人に耳うちした。

 

「わたし、みなさんに何かご迷惑を?」


 そのクラスメイトは一瞬びくりと体を強張らせながら、少し迷うように考える仕草をした後、「あのね」と耳うちを返した。


「昨日、詠路よみじさんが休んでる間に変な噂が立ったの」

「噂……?」

「夜にちょっと怖そうな大人の男の人と歩いてたとか、ファミレスでスーツ姿の男の人に声をかけてたとか、夜の公園で暴れてたとか、そういう感じの……」

(あ、あぁー……なるほど、端から見ればそれは確かにそう見えますね……)

 

 噂自体は、すべて事実だ。もちろん、一方向から見た偏った面ではあるが、紛れもない事実。

 しかし珠緒が頭を抱えたのは、その事実に隠された真実をどう伝えるか、ということ。「夜に怖そうな男と出歩いている」これは間違いなく知紅ちあきのことだろう。彼の強面と大柄な体躯は学生から見れば十分に恐ろしく映る。だがこれについては養母である紅莉あかりの兄、つまり伯父であることをそのまま伝えてしまえばいい。が、問題は後の二つだ。

 ひとつが事実だとわかれば、連続的に残るふたつも事実として受け入れられるだろう。が、ファミレスで声をかけたというのは「視界の怪異」の時の彼。知紅や金恵かなえもいたとはいえ、少なくともあれは偶発的な、しかも一度きりの出会いだ。彼が怪異の被害を受けていたビジネスマンだということはわかっても、どこの会社に勤める誰なのかは今をもってわからない。あるいは、知紅は名刺くらいは受け取ったかもしれないが、特に相手に興味もなかった珠緒はいよいよ何もわからない。そんな相手に公共の場で話していた、というのがこんな風に伝わってしまうとは思いもしなかった。

 そして何より言い訳が効かないのが「公園で暴れていた」という噂だ。これはおそらく「母禍身」との交戦だろう。これだけは、どうしても説明ができない。禍身というものが一般的に認識されていないことは、「強力な悪霊」とでも言い換えてしまえばいいだろう。だがそもそも悪霊を退治した、というだけでも「危ない人」という印象を避けられないのに、「暴れていた」という情報のところを「悪霊と戦った」と伝えれば、それが「悪霊に憑かれて暴れていた側」であれ「悪霊をアグレッシブな攻撃で対峙した側」であれ「危ない人」を二段飛びして「やばい人」が確定してしまう。

 

 珠緒は選択を迫られた。ひとつを肯定するということは全てを肯定することに等しい。しかし、これらの事実を嘘に捻じ曲げることもまた難しい。彼女の出した答えは――。


「わたしの伯父は強面ですし、仲もいいのでよく一緒にコンビニとかファミレスにも行きますね。あと、伯父が色んな武道の有段者なので公園で稽古をつけてもらうこともありますから、それを見られたのでは?」


 ――全ての噂に共通している知紅を隠れ蓑にある程度の虚構を織り交ぜて疑われるであろう行動に一貫性を持たせる、であった。

 夜に一緒に出歩いている男は間違いなく知紅で、ファミレスで一緒に居た中に知紅も居た。が、少なくともその時に用があったのは知紅ではなかったし、知紅は空手と剣道の有段者だがそれ以外は手をつけていないし、稽古はつけられたが自宅であって公園ではない。そうやって嘘と本当を上手に混ぜて話に一貫性を与えることで、「嘘でも本当でもない話」というものは信憑性を得られる。

 

「そうなんだ! え、その伯父さんの写真とかってある?」

「はい、ではLINNEで送りますね」


 どうぞ、と言いながらLINNEに画像を添付する。ここでスマホの画面だけ見せるよりも、目の前のちょっとおしゃべりな彼女に知紅の存在を認知させれば、珠緒の言い分に信頼性を与え、なおかつ自分が動かなくても彼女が周りに言いふらして噂が自然消滅するであろうという狙いがあった。


「うわ、確かにちょっと怖そうな雰囲気あるけど、怖くない人って聞いてから見ればそこそこワイルド系のイケオジじゃん!」

「ふふ、では伯父にもそう伝えておきますね」

 

 ――実際は、珠緒からすると知紅の写真は自分だけが独占したいという思いもあってこの噂の出所となった人物には一言物申したい気持ちもあったが、同時におそらくそれが叶わないであろうということも彼女は察していた。


(さて……登校早々ひと悶着ありましたが、こちらはひとまず収束に向かわせられるでしょう。が……学校を取り囲むこの瘴気、紛れもなくあの禍身たちの仕業と考えて間違いありません。となると……これはあくまでわたしを孤立させようとする策のひとつに過ぎないはず。今後、学校でも油断はできないと考えた方がよいでしょうね……)


 知紅の話によれば、怪化あやかし禍身と御名禍身たちは今後、自分ではなく珠緒に対してなんらかのアクションを起こしてくるはずだと言っていた。手段までは特定できないものの、珠緒が知紅に対する依存を高めれば高めるほどに、神薙ぎの力が「呉内知紅くれないともあき」を「呉内知紅くれないちあき」として縛っていく。それがあちらの狙いだと。

 だがまさかこうも素早く行動を起こしてくるとは、珠緒だけでなく知紅にとっても想定外であったはずだ。


(でもこれであちらの狙いがうっすらわかりました。おそらく、わたしを孤立させることで知紅さんへの依存を高めるつもりだったのでしょう。今回の噂はあくまでこちらに与える影響を測るための小手調べ……。こちらも心を強く構えておかなければなりませんね)

「HEYカノジョー! 一緒に一現サボタージュしなーい?」

「しません。金恵さんだってするつもりないじゃないですか。あとおはようございます」

「おはおは。まぁそうなんだけどー、「HEYカノジョー」のくだりが言いたかったんだけど特に何に誘うか思いつかなかったみたいな?」


 ごはんまだ早いしトイレもまだへーきだし、と続けながら登校したばかりとは思えないテンションで声をかけてきた金恵に苦笑いを返す。

 そんな彼女の笑みに何を思ったのか、それまで喋っていたクラスメイトは「レアショットもらいー!」とスマホのカメラに収めたそれを二人に見せた。


「詠路さん、普段からけっこうにこにこしてるけど今の苦笑いめっちゃナチュラルでよかったから撮っちゃった!」

「苦笑いがいいんですか……?」

「あー、たまチャン作り笑いが上手すぎてナチュラル笑顔と作り笑いの違いわかりにくいから確かにビギナーにはこっちのほうがいいかも」

「待って待って金恵はどういう立場なん?」

「たまチャンに関してはプロなんで!」


 どやっ! という擬音が聞こえそうなほど見事なウィンクをキメる彼女を指さして、クラスメイトが「こいつこんなこと言ってますけど」な視線を珠緒に向ける。


「わたしも金恵さんのプロなのでお互い様ですよ」


 しれっと言いきる堂々とした態度に、意外にも金恵が動揺していた。そしてその動揺を珠緒は見逃さなかった。


「待ってください、なんで同じこと言い返されて動揺してるんですか。まさかまた「自分はたまチャンのプロだけどたまチャンは自分のことそうでもないだろうな」みたいなこと考えてたんじゃないでしょうね? わたし言いましたよね、わたし金恵さんが思ってるよりずっと金恵さんのこと最高のお友達だと思ってるってちゃんと言いましたよね? また小一時間くらい膝を突き合わせてお話した方がよろしいですか?」

「待って待ってごめんって! ダイジョブだってちゃんと伝わってるって! ただちょっと不意打ちだったから嬉しさと気恥ずかしさが来ただけだって!」

「二人とも仲いいとは思ってたんだけどだったんだね……?」

「「あ、ではないです」」


 変な噂の火消しをしていたら危うく新しい火種を作りそうになっていた。

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