case-31 禍身と知紅の策略

「随分とご立腹……いや、自分を責めているようだね、カミナ」

「アカーシャか。無論である。我をあれほどにまで手古摺らせたとはいえ、一介の人間風情にこうも好き勝手を許すとは、神たる自らを恥じずにはいられまい」


 アカーシャ、と呼ばれたのは伊織いおりの身体に宿った怪化し禍身の名であろう。傀儡を通さず彼と向き合うのは、蒼い瞳と雪のような白銀の髪を持つ美女――カミナ本来の姿だ。

 名前を知ることで神さえ縛るカミナが、彼の名を口にしながらなんのアクションも起こさないのは、彼らが互いを対等な存在として認め合っているためだろうか。


呉内知紅くれないちあきを甘く見すぎたね。だから言っただろう、彼には気をつけるべきだと。まったく……人を支配するのが神であれども、神を殺すのもまた人なんだよ?」

「至極痛感である。加え、あの小娘……神薙ぎの少女まで抱え込んでいるともなれば、次は一筋縄では行くまい。ともすれば、此度は絶好の機会をひとつ逃したことになる。口惜しい」

「ただ力が強いだけの神薙ぎと違って、彼は「人」における最上位の霊能者だよ。禍身を討つ力こそ低いけれど、それ以外の能力と謀略策略の巡りに関しては、君もこれでわかったはずだ」

「無論である。人の身で小賢しい、と嘲笑うだけなら容易いが、そうした侮りがこれまで幾つもの神の足を掬ってきた。故に次があれば三度目は無い。必ずこの手でくびり殺してくれよう」


 憤りの中に確かな覚悟と決意を込めるカミナに対して、アカーシャは飄々とした笑みを浮かべるばかりで、その感情はどこか薄らいで見えづらい。

 そんなアカーシャに少しばかりの不満を洩らすかのごとく、カミナは彼の宿る小さな体を抱え上げると、その蒼い瞳を顔がぶつかるほどに近付けた。


「不服である。自分の伴侶がこうして自責の声を洩らしているのだ。夫であれば慰めの言葉を掛けるのが当然ではないのか」

「いやぁ、君のそのあれこれ考えすぎて自己嫌悪の沼に沈んでいく姿を見るのもしばらくぶりだからね。僕は君が何をしていても愛おしさしか感じられなくて、残念だけれど君の求める言葉はかけてあげられないよ」

「……悪趣味な」

「そう言って恥じらう君も素敵だよ」


 そう、実は怪化し禍身ことアカーシャと、御名禍身ことカミナは世にも珍しい夫婦禍身めおとがみであった。

 アカーシャが自分の力を取り戻し、伊織を呑み込んで早々に皆神山襲撃計画を立てたのも、そこに封印された妻を奪還するのが第一目標であり、それと並行してカミナ復活時に自分を伊織の肉体から解放し得る力を持つ知紅を支配下に置こうとしたのだろう。結果として第一目標は達成したものの、知紅の支配は極めて一時的なもので、自分を伊織から切り離すという目的を達成するには至らなかった。



「しかし……こうなってしまうと次の策を立てなければならないね。彼が手中に収まればそれが一番楽だったかもしれないけれど……僕もさすがに『呉内知紅くれないちあき』が本名じゃないとは思っていなかったから」

「憤慨である。だが仮にも一時的にとはいえ我が支配を受けたということは、相応に長い時間をあの名と共にしたのであろう。名とは認識のしるべ。名を支配することとはに等しい。たとえ偽の名前であれど、周囲からどれだけその名で認識されているかが問題なのだ」

「……つまり?」

「自明である。真名まながわからぬのであれば、偽りをまことに換えればよいだけのこと。鍵となるのは神薙ぎの少女である。あれの持つ想いと力はあの紛つ者を「呉内知紅くれないちあき」と縛るに足るであろう」


 なるほど、とアカーシャは小さく笑みを洩らした。

 つまり、彼の本名がわからないなら『呉内知紅くれないちあき』を本名扱いして支配してしまおうということだ。

 本来、本名が他のものに挿げ代わることなど在り得ない。しかしはそれは、多くの人間が「本名を本名として常用するから」である。何かしらの理由で本名とは違う名前を扱うとしても、それを本名以上に常用化する者は少ない。そして常用しなければ、あくまで周囲の人間からはその人物を本名で認識する。故に名前とは「認識の標」なのだ。

 だが知紅の場合、禍身祓いとして自らの名前を隠すために日常的に「呉内知紅くれないちあき」で通している。今現在、彼の本名を知る者は「呉内知紅くれないちあき」を知る者よりも少ない。つまり、彼を表す「認識の標」は既に傾きかけているということ。だからこそ一時的とはいえカミナによる支配を受けてしまった。


「手順は容易である。どうやら、神薙ぎの少女はあくまであれを「呉内知紅くれないちあき」として認識しているらしい。加え、あれに憎からぬ情を寄せているように見受けられた。故にそれを利用する。名が認識の標であるのなら、認識とは思いの眼差し。元より神薙ぎの持つ力は絶大。さらに年頃の少女が想い人へ向ける思いの眼差しがか弱くあるはずもない」

「神薙ぎの少女が彼を「呉内知紅くれないちあき」として想うほど、彼はその名に縛られていくということか」

「然様である。そして偽りの名に雁字搦めにされたところを、我が支配によって二重に縛る」

「となれば、次の一手は――」





「今回、オレの名前を中途半端に縛ったことで、あちらはオレの本名を縛るよりも「今の名前」を本名扱いして縛る方向に舵を切ってくるだろう」

「そんなにもお前に固執する理由があちらにあるのか?」

「もしも怪化し禍身の狙いが御名禍身の解放なら、この予想は空振るだろう。しかし、御名禍身の解放後、ヤツはオレを怪化し禍身のところへ連行しようとしていた。本当ならその真の狙いを掴んでから脱走を試みるつもりだったが、お前たちが来たことで束縛を解くのが容易になったため今回はそちらを優先したわけだ」


 つまり、御名禍身の解放という第一目標は許す形となったが、御名禍身が知紅を連れて怪化し禍身と合流して成し遂げようとしていた「何か」は掴めないながら回避できたわけだ。

 しかし、確証こそなくとも予想だけならいくらでもできる、というのは知紅の談。そしてそのいくつかの予想の中で、彼の直感が導き出した答えは――。


「以前、オレと滝原たきはらが怪化し禍身と接触した際にヤツはオレの口から伊織の名前を引き出そうとしていた。おそらく、御名禍身によって伊織の名前を縛るためだろう。しかし、そもそも彼の肉体は怪化し禍身によって既に掌握されているはず。なぜ名前を縛る必要があるのか……なんとなく予想がつかないか?」

「もしかして、まだ完璧にパクられてない?」

「なるほど。これまで怪化し禍身が詠路伊織よみじいおりの中で力を溜めていたように……」

「伊織は純粋な神薙ぎではないが、彼自身が霊能者として飛びぬけた才能を持っていたことに加え、古代神薙ぎの修練法を調べて後天的に「仮初めの神薙ぎ」となり300もの禍身と相対し、それらを全て怪化し禍身と共に呑み込みながら10年間その意思を保ち続けた。怪化し禍身にとっても、彼の存在は極めて脅威性が高いと言えるはずだ」

 

 今日までまともに考えたことはなかったが、これまで知紅と共にいくつかの禍身と相対してきた珠緒たまおは、改めて禍身のおそろしさと、それらの悉くから自分を守り抜いた兄に驚愕していた。少なくとも、並の禍身祓いは「禍身を祓う」ことを生業としながらも一体の禍身を相手取るにも命懸けであるし、ベテランであっても一体は確実であれど複数となると同じようになるだろう。神薙ぎとして心霊オカルトに特効性能を持つ珠緒でさえ、複数の禍身を相手にするには相応のリスクと消耗が伴う。それを――300体。しかもその中には群れの長となる神話級超霊害的存在『怪化し禍身』も含まれていたとなると、いよいよ詠路伊織の「心霊殺し」ぶりが際立つ。


「たまチャンのお兄ちゃんってヤバい人だったんだね」

「い、言い返したいんですけど、この話の流れだと言い返しづらいですね……!」

「少なくとも怪化し禍身単独なら完封してたかもしれないという時点で十二分にヤバいだろう」

「もし禍身祓いになっていたら呉内の名前が霞むレベルで協会のエースになっていたことは想像に難くないだろうな」


 その妹である珠緒が歴代の『神薙ぎ』でもと評するに値するほどの力と性質を持つこともまた、彼らが紛れもなく兄妹だと裏付けているのかもしれない。


「話を戻そう。つまりは、怪化し禍身は自分の中で未だ息を潜めている伊織を自分から切り離そうとしているわけだ。そのために取れる手段は2つ。ひとつはオレから伊織の名前を引き出し、御名禍身の力で引き剥がす方法だ」

「ですが、兄さんの身体を使っている以上、怪化し禍身も兄さんの名前くらいは知っているはずでは?」

「知ってはいるかもしれないが、認識が弱いんだ」


 認識が弱い? と珠緒が同じ言葉を返す。


「名前というものは認識の指標みたいなもので、誰かがその人と名前を繋ぐことで「認識」し、その名前に意味が生まれる。オレの本名は知紅ともあきだが、知紅ちあきとして認識された年月がそれなりに長かったせいで御名禍身に縛られたように。認識の少ない名前は、縛ってもすぐにほどけてしまうんだ」

「確かに、兄さんの安否が不明のまま死亡扱いとなった頃には、わたしを残して村とそこにいた人たちは全滅してしまったと聞きました。なるほど、だから……」

「……そういえば今更かもしんないんだけど、たまチャンのお兄さんのイオリさんってさ、もしかして長めの黒髪を襟元あたりで縛ってて、なんか物腰が柔らかいっていうか、ちょっと儚げで存在感が薄い感じの小柄な子だったりする?」

「「……えっ」」


 珠緒と知紅の視線が金恵かなえへと集中する。


「ほら、前に視界の怪異だっけ? あれ探してた時にアドバイスくれた子が居たって言ったじゃん? あの子が確かイオリくんって名前だった気がするんだよね。今にして思うと雰囲気もなんとなくたまチャンに似てたよーな気も、しないでもない……?」

「めっっっちゃ前にニアミスしてたじゃないですか!!」

「……いや、確かにあの時その人物について詳しく効かなかったオレも悪いが、だが……! だが……!!」

「ゴメンって! あの時は目の前のことでみんないっぱいいっぱいだったんだしドンマイちゃんじゃん!」


 一通り騒いだ後、落ち着きを取り戻した知紅がようやく逸れていた話題を元に戻した。

 ようは、現時点で伊織の名前と存在を繋げて認識できている人物はあまりにも少なすぎて、御名禍身の支配そのものは受けるが支配が弱すぎるため、それよりも強い力で縛ることができ、なおかつ禍身も神も容赦なく薙ぎ祓う「神薙ぎたまお」を封じる一手として知紅を狙う可能性が高いということ。そして、その手段として「呉内知紅くれないともあき」を縛るよりも、「呉内知紅くれないちあき」としての認識を強めて縛る方向で動くだろうということ。


「そうなると、こちらのウィークポイントはひとつだ」


 本人以外の全員が、その人物に視線を向けた。


「珠緒。神薙ぎとして名前への影響を与えやすく、なおかつオレを普段から「呉内知紅くれないちあき」として強く認識しているお前が、あちらの狙いだ」

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