case-30 水面下の暗躍

「まずは順を追って話そうか」


 そんな言葉を皮切りに、知紅ちあきはこれまでの経緯を語り始めた。

 始まりは8か月前。彼が『怪化あやかし禍身』と接触したことから、全てが狂い始めたという。


「怪化し禍身、って……?」


 聞き慣れない名前に、金恵かなえが首を傾げた。

 そんな彼女の問いに、知紅は少しだけ珠緒たまおに視線を向けた後、躊躇いながらもを口にした。


「……10年前、300の禍身を引き連れて山奥の小さな村を襲撃した禍身の名前だ」

「――――ッ!」


 珠緒が目を見開く。


「怪化し禍身。ケガレを操り、あらゆる正常と清浄を狂わせる力を持つ。ヤツのケガレを受けて禍身と堕ちてしまえば、二度と逆らうことのできない傀儡となる。だから10年前、ある人物がヤツのケガレの全てを呑み込むことで、自らの魂に怪化し禍身を封じ、そしてその力を以て300の禍身を鎮めた」

「そんな、じゃあ……じゃあ、その禍身の依り代になってるのは……!」

「その人物の名は、詠路伊織よみじいおり。……珠緒の、兄だ」


 車内が一気に静まり返ったのも無理からぬこと。珠緒にとって、兄の存在は特別だ。ある意味では知紅以上に。

 珠緒が神薙牢に連れ去られたあの日、必死で珠緒を守ろうと普段の穏やかさをかなぐり捨てて村の大人たちに食ってかかった時、神薙牢に入れられてから、来る日も来る日も神薙牢の外から声をかけ、衣服や食事を運ぶ侍女以外の誰ひとりも近付けないようにしてくれたこと。そして村が禍身に襲われたあの日、その命を果たして自分を知紅に預けてくれたこと。

 村のしきたりに隷属し自分を禍身に売ろうとした親と違い、必死に自分を繋ぎ留めようとしてくれた兄が――あの日あの村を襲った禍身の総大将に身体を奪われ、その尊厳を踏みにじられている。悲しみ、怒り、憎しみ、絶望……様々な感情が胸の内をぐるぐると廻って、珠緒の心を黒く染め上げていく。


「怪化し禍身と御名禍身の力は名前を縛るか、ケガレを植え付けるか。手段は異なるが他者を支配する力を持つ点で同じ性質の禍身と言える。加えて『支配』という性質上、奴らは禍身に珍しく「徒党を組む」ということに躊躇いが無い。あくまで自分と同格の存在に限られるが……オレの予想が間違っていなければ、今回の一連の動きには御名禍身の奪取を目論んだ怪化し禍身の暗躍があるはずだ」


 支配する力とは、言い換えてしまえば「服従する者」がいる前提の力である。そのため支配の力を有する彼らは基本的に単独で行動することが少ない。群れるよりも単独で行動しようとする禍身にしては珍しい性質であるが、それは同時に彼らの知能の高さの証明でもあった。ひとりよりもふたり、ふたりよりたくさんで行動する方ができることが多い。特に個々が自発的に繋がる「仲間」はその結束力次第で1+1が「2」以上にも以下にもなるが、彼らの持つ「支配」は1+1を何があっても必ず「2」にするという点で優れていた。


「8か月前、オレは怪化し禍身と接触した。どうやらあの時点で、ヤツの狙いのひとつが御名禍身にあったんだろう。さすがにそこまではオレもわからなかったが、少なくとも怪化し禍身が伊織の名前を知ろうとしていることに気付き、それを回避することには成功した。が、その時すでにヤツは協会連合に楔を打ち込んでいた」

「協会連合に、怪化し禍身の手先がいたってことですか?」

「まぁ、有り体に言ってしまえばそうだな」


 通常、ケガレの影響を受けやすいのは肉体という鎧に守られていない精神体……つまりは霊魂。

 だが本来「神に至る直前の霊魂」がケガレを持つことで禍身と堕ちるものを、怪化し禍身の持つケガレは「神に至った者」すら堕とす……まさしく神を冒す猛毒。

 相手が実体を持たない精神体であるのなら霊も神も確実に堕とし、自らの意のままに支配する。そしてそれが及ぼす副次的な効果として、一部の禍身祓いを行動不能に陥れる。なぜなら禍身祓いの中には、様々な手段を以て神仏の力の一部を借りて禍身を祓う「神仏派」がいるが、彼らに力を与える神仏にとって怪化し禍身はまさしく天敵。故に、それらの禍身祓いは神仏側が怪化し禍身を避けるよう警告を与えるに留めており、多くの状況において行使する力を貸してはくれなくなるのだ。


「おそらく神仏派の中に、怪化し禍身に支配された神を奉っている者がいたんだろう。あの後、バカのように殺人的な過密スケジュールによってオレは行動不能になってしまった」

「でも、そんなに強い禍身がどうしてそんなに知紅さんを警戒してたん?」

「おそらく、本来の狙いはオレではなく珠緒だ。怪化し禍身が今の状態になったのは最近のことかもしれないが、元々は10年前に禍身への供物として捧げられた神薙ぎ――つまり珠緒を喰い殺すために村を襲ったわけだからな。禍身を討ち斃し、神をも薙ぎ祓う。故に「神」に最も近い禍身となってなお、珠緒の存在は怪化し禍身にとって脅威なんだ」


 そして、その珠緒に最も近い禍身祓い。つまり禍身として居るだけで接触できる機会がある知紅を通じて、珠緒へとアクセスしようとしていた。

 だが、その狙いを知った知紅によって、その目論見は崩れることになった。


「それがわかった以上、オレは珠緒に接触する機会をできるだけ減らした。加えて、家と通学路と学校、あと古鐘こがねの家とバイト先。オレの知る限りで珠緒が普段から行き来するであろう場所に結界を張り、結界を維持するための霊力を珠緒から確保することで、その存在を隠し続けた」


 珠緒の彼女の霊力を少しでも浪費させてその存在感を薄くし、それを結界の維持コストに充てる。

 相手は結界の範囲のどこかに珠緒がいることはわかるが、神薙ぎの霊力で維持された結界は並みの相手を寄せ付けないし、よしんば入り込んだとしても範囲が広い上に全域が強力かつ膨大な霊力に満たされていて供給源である彼女を探ることすらままならない。実のところ、珠緒は未だに神薙ぎとして未熟だ。自分の力を行使するという面では間違いなく優秀だが、コントロールするという面ではそうではない。そのため普段の珠緒は自分の膨大な霊力を垂れ流したまま生活しており、その質と量が強すぎて浮遊霊が彼女を避けていくほどだ。


「今回は珠緒の霊力コントロールの杜撰さと、並外れた霊力量を利用させてもらった」

「知らない内に知らない装置の維持装置にさせられた挙句まだ何かやらされてたんですか?」

「結界維持に回してもまだ消費が追い付かない「洩れ霊力」を利用するため、結界内で発生した霊力を閉じ込める仕様に後から変更した。そうすることでお前の霊力が結界内に蔓延して、たいがいの悪霊は結界に弾く……ところまでは予想通りだったが、何回目かのメンテナンスに来た時、結界内に入り込んだ禍身が一瞬で浄化されたのはさすがに目を疑ったぞ」

「え、そんなにわたし霊力お洩らししてるんですか……?」

「普通なら霊は霊力を洩らしてる人間を見かけたら「いいエサを見つけた」くらいに思うはずだと言えばわかるか?」

「つまりたまチャンのパゥワーがヤバすぎて「あんな洪水みたいな炊き立てほかほかご飯に近付いたら呑み込まれて死ぬかも、こわ……」みたいに思われてるってこと?」

「メルヘンなのに致死性の高い喩えやめません?」


 しかし正鵠を得ている、という予想だにしない知紅の頷きに珠緒の意気が消沈する。


「ともあれ、その結界のおかげか怪化し禍身は早々に狙いをお前からオレに絞って計画を進めていった。オレを疲弊させ、御名禍身の依り代として自らの軍門に引き入れ、最終的に珠緒と相討ちにまで持ち込めれば十全とでもいうつもりだったんだろう。だが、それはオレも予想していたことだった。ヤツの狙いがオレと珠緒で、オレを介することでしか珠緒を攻略できない状況に持っていけば、ヤツは必ずオレを懐に入れようとする。その一瞬にカウンターを入れるため、オレも対策を張っていた」


 まず、名前を知られないこと。これは怪化し禍身が伊織の名前を知ろうとしていたことで、知紅自身もそれが危険なことだと理解していた。

 次に、名前を知ろうとする理由の調査。本来なら名前など関係なく、怪化し禍身は対象に「ケガレ」を与えることでその支配権を得る。ということは、少なくとも自分の手で知紅を得るつもりではなく、彼に与した第三者がいる、あるいはその第三者を得るために何かしらの暗躍をしていると考えられた。しかし基本的に禍身が徒党を組みたがらないというのは上記の通り。そこで、怪化し禍身と同等――つまり伝承級・神話級の超霊害的存在に範囲を絞って、「名前を知る」ということが何かのトリガーとなる禍身の存在を探った。

 そうして浮き出てきた存在が御名禍身であった。だがこれを知った直後、任務中に滝原が負傷。一時的な離脱を強いられてしまう。


「互いに過密スケジュールをこなし続けて心身ともに消耗が激しく、オレのサポートが十全でなかったこともあるだろうが、その時に対処していた禍身は明らかに滝原を集中的に狙っていた。あれはおそらく、その禍身を操る怪化し禍身がオレのバディを削いで『彼女』を差し込むための計画的犯行だったんだろう」

「彼女……水凪海波みなぎみなみか」

「ああ。負傷した滝原に替わってオレのバディとなった彼女は、その正体を隠しもせずオレに接触してきた」

「正体……?」


 この時、知紅以外の誰もが水凪海波とは怪化し禍身によって支配されただけの禍身祓いだと考えていた。

 しかし、実際に彼女と対面した時の知紅は、一瞬で彼女の『存在』の違和感に気付いた。なぜなら――。


「彼女こそ、さっきまでオレを支配していた御名禍身の一部。怪化し禍身の暗躍によって僅かに緩んだ封印の隙間から漏れ出た「神もどき」そのものだった」

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