case-24 頼れる人に頼ること

 次の休日、珠緒たまお金恵かなえのバイト先のファミレスで彼女の定時を見計らって、そこで食事をとりながら近況を相談することにした。

 知紅にせよ伊織にせよ、どちらにしても自分の身の回りで起きているに過ぎない問題に彼女を巻き込むのは如何なものかと躊躇ったが、少なくとも禍身に関わる相談ができる友人は彼女を差し置いて他にいるはずもなく、自分だけでは良くない思考がドン詰まりまで突っ走りかねないと判断して、恥を忍んだ。

 相談された側の金恵としては、普段は勉学・運動・人気・霊能となんでも一人前以上にこなしてしまう珠緒が真っ先に自分を頼ったという事実に妙な優越感と感慨を得ながらも、彼女の悩みに真摯に向き合った。ようは、彼女の想い人が理由はなんであれ大好きだった兄を調査していることに、言い知れぬ不信感を持ってしまったということ。

 金恵は少し考えて、それをどう言語化するかに悩んだ。珠緒の人間性は、たまに悪意なく毒を吐くことはあれども人が出来ているというか、学生にしては随分と精神的に大人びている。

 しかし、どんな人間であっても大切な人を疑われるというのは心地のよいものではない。彼女の不信感は当然の反応であり、何も責められるべきものではない。だが同時に、彼女にそうした思いをさせないために知紅がそれをひた隠しにして、この数か月ほとんど休むことなく動き回っているのであれば、両者どちらが悪いという話でもない。


(いやまぁ掃除と称してチアキさんを勝手に調べまわったたまチャンはちょっとワルいかもしんないけど)


 ともあれ、金恵としては反応に困った。ここのところ、彼女の情報網アミにこれといった怪異や幽霊に関する噂や都市伝説のようなものは掛かっていない。

 禍身祓いという仕事については、友人知人からのクチコミでは一切なにも情報がなかったものの、ウェブ上のSNSや匿名掲示板では一部それらしい話があり、それを追って禍身の話を知ることもできたが、少なくとも知紅はそういったものを発信する側としては利用していないようで、彼の活躍が表立って知られている様子はない。以前、金恵が聞いた話では呉内知紅くれないちあきをという禍身祓いは「ベテラン禍身祓いの中でも上澄みのエリート」と聞いていたため、何かひとつくらい有名な話が転がっていないかと期待したものの、さすがにそこまで簡単ではなかった。

 つまりは、知紅の現状を当事者以外で最も把握できているのは、今こうして自分に相談を持ち掛けている珠緒の方である。少なくとも三日に一回は連絡を取り合っている。

 問題は、今の珠緒がそんな彼からの近況報告をどのように受け止めているのか。真実と事実をひっくるめて疑って掛かっていないか、だろう。


「とりあえず、LINNEでの知紅さんとのやり取り見せてみ」

「どうぞ」


 金恵が手を差し出すと、珠緒はなんの疑いも持たずにLINNEアプリを開いてスマホを手渡す。

 今の時代、SNSやメッセージアプリは個人情報の宝庫。指先ひとつで知紅だけでなく交友関係すべてのログを盗み見てあらゆる悪事を働ける時代に、珠緒はなんの警戒心もなくそれを金恵に預けた。知紅によれば、金恵の情報収集能力は人並みならざるものがあるらしい。その交友関係は現実においてもインターネット上でも広範囲に渡り、また人当たりの良さや明るい性格のおかげで初対面の相手の警戒心を解きやすい。そのため、知紅は時として禍身祓いとしてのネットワークだけでは不十分な時に、彼女の情報を有償で買い取っているほどだった。

 そんな相手に対して、スマホをぽんと預ける珠緒の警戒心の薄さは、決して疑り深い性格ではない金恵からしても、少々の危うさを感じずにはいられなかった。


「たまチャン、こういうの渡すのはもうちょっと警戒しよ。せめて手渡すんじゃなくてテーブルに置いて一緒に見るとかさ」

「え? はい、いつもはそうしてますけど?」

「……ん? え、でも今これ……」

「金恵さんがわたしのスマホを悪いことに使うわけないじゃないですか」


 互いにぽかんと呆けた表情を向け合うと、少し間を置いて笑いが込み上げてきた。


「なんですか、もう! わたしが金恵さんを疑うとでも思ってたんですか?」

「今まさに半分くらいチアキさん疑って相談もちかけてきてるくせに、あーしのことは信じちゃうの?」

「それはそれ、これはこれです! 疑う人とタイミングはちゃんと分けてますので!」


 だったら、せめてもう少しくらいチアキさんのことも信じてあげたらいいんじゃないの、と口を衝いて出かけた言葉を、金恵はごくりと呑み込んだ。

 それができるくらいなら、普段は相手の都合を優先して絶対に自分を押し付けたりしない珠緒が、今こうして自分の仕事終わりを見計らって押しかけるようなことをしていないはずだとわかっているからだ。逆に言えば、普段しないことをしなければならないくらいに、今の珠緒は誰を信じて誰を疑うかということに精神を削らされている。

 金恵は「じゃあ見るね」と断って、知紅とのチャットログを確認した。


「……たまチャン、直近のやりとり言ってみて」

「え? えーっと……確か「明日は次の現場にいく。次はもう少し早く連絡を入れたい」でしたね。とはいえ、たぶん連絡はまた明後日だと思うんですけど」

「そっかぁ、並の悪霊とかを近付けないくらい幽霊に強いのってこういう弊害あるんだ……」

「どうかしましたか?」


 金恵はまたも選ぶ言葉に悩む様子でうーん、と少し考えて。


「これ、あーしは読めないよ」

「……読めない、とは?」


 珠緒は不思議そうに首を傾げて、金恵の真意を測る。

 彼女の手にあるスマホに手を伸ばして画面を見直してみるが、やはり知紅から来ていたメッセージは今しがた自分が口にしたものと一字たりとも間違ってはいない。

 いったい、何がどう「読めない」というのか。珠緒は彼女の言葉の続きを黙して待った。


「それ、先月の16日から文字化けしたメッセージしか届いてないよ」

「えっ……?」


 そんなバカな、と三度みたびスマホの画面を見る。文字化けはしていない。きちんと文章になっている。

 だが、金恵はこんな時に意味のない嘘をつくような人物でないことも、珠緒は重々に承知している。だとすれば何故――と考えて、珠緒はふと気付く。

 修練を積んだ霊能力者は、望まず見えてしまう「見えてはならないもの」を見ないようにするため、自らの霊力を常人並みまで抑え込むことで意図的に「見ない」ようにするという。しかし神薙ぎである珠緒は、いくら修練を積んでも自らの霊力を制御する術は得られない。あくまで神薙ぎはオカルト殺し。神や霊を討つためには無類の力を発揮するが、日常生活における霊能力の利益・弊害への制御はどうすることもできない。だからこそ知紅は「神薙ぎの修行」と「霊能力の修行」は同時進行こそすれ同義としては扱わなかった。

 つまりは、金恵の言う通りこのチャットログが文字化けしているとすれば、おそらくそれは悪霊や禍身による認識阻害。しかし……。

 

「たぶん、神薙ぎパゥワーが強すぎて文字化けジャミングが効かなかったんだね。だから文章を普通に読めたし、異常ヤバみに気付けなかった」


 さー、と全身の血の気が引いていった。

 同時に、今このタイミングが早いか遅いかはともかく、良くも悪くも「普通の人間」である金恵に相談したのは間違ってはいなかったと確信した。

 神薙ぎオカルトキラーである珠緒は、その力の強大さ故にあらゆる神や霊の『妨害』を受け付けない。認識阻害もまた妨害のひとつ。だからこそその妨害を貫通しブチぬいて真実のみを見つめてしまっていた。しかし、真実を見ることによって異常じじつを見過ごしていた彼女は、慎重さと引き換えに対応のスピードを失っていた。

 まずい、という言葉が言葉にならないまま心と思考に駆け巡る。


「急いだほうがいいかも。たまチャン、チアキさんのお友達とか、禍身祓いのお仕事仲間さんで連絡つく人いない? その人にお兄さんの様子を見てもらってきた方がいいよ」

「連絡先がわかる人だと滝原たきはらさん……だけど、たぶん知紅さんに同行してると思う。他には……あっ、呪具師の北崎きたざきさん! でも、あの人すごい出不精だし……」

「ならその人から他の人を紹介してもらえばいいよ」


 人材探しは人から人へ枝分かれしていく縁を小まめに辿るのが一番の近道だから、と言う金恵に「知紅さんが情報収集に頼るのも納得です」と息を洩らす。

 しかし、ともなれば今の自分が知紅のためにできることは少ない。ひとまず北崎に「知紅さんのことでお話があるので週末に会えませんか」とメールを送って、視線を金恵に戻す。


「チアキさんが今どこにいて何をしてるのかはわかんないし、頼れる人が限られてるのはわかるけど、あーしらも学校ある上になんだかんだ受験生だしさ。特にたまチャンは成績も授業態度もいいんだから、あんまサボりとかしない方がいいよ。マジでヤバい感じならともかく、今は頼りになる人に頼って大丈夫だと思う」

「……わかりました。ありがとうございます、金恵さん。わたし一人だと、こんな風に柔軟に考えられなくて……」

「アハッ! あーしも自分が当事者ならどうだったかな? 少なくとも今は、あーしよりたまチャンの方が大変そーだし。よくあるっしょ、自分より慌ててる人を見たら割と冷静になっちゃうやつ。あれだよ、たぶんね」


 だとしても。

 それでも、今の珠緒にとって金恵の言葉や対応の柔らかさは大きな助けになったし、少しだけ羨ましくすらあった。

 頼れる人に頼れと言う金恵こそが、珠緒にとって最も頼れる人だったと、いつ気付いてもらえるだろうか。

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