第3章

case-23 疑信

 妖化あやか禍身がみとの邂逅からしばらくの時を経て、珠緒たまお金恵かなえ受験生さんねんせいとなった。

 ここ数か月、知紅ちあきと顔を合わせる頻度が目に見えて減った。LINNEで連絡はとれているし、電話をすれば応えてくれる。だが、既に最後に顔を合わせてから7か月半。LINNEの頻度も、いつだか「三日以内に返事が返ってこなかったら、オレは死んだと思え」と言っていた三日に一度ラインギリギリくらいになっている。

 以前、半年まともに会うことも叶わなかった時でさえ、祝い事や行事といった節目にはチャットや通話だけでなく映像付きのメッセージで顔を見せていたというのに、先々月の始業式。三年生に進級した際には毎年のように祝ってくれた知紅が、初めてその日の内に連絡を寄越さなかった。

 ここまで来れば、彼の性格と性分を重々把握している珠緒でなくとも今の彼の状況が「異常」なのだということは容易に理解できる。

 そこで、珠緒は知紅が長らく返っていない彼の自宅に「不在中の掃除」という名目で入り込むことした。合鍵は紅莉あかりに「掃除しにいくから」と嘘でも本音でもない言葉だいきんを支払えば「ほどほどにね」というお釣りと一緒に手渡された。バレている、と心の中で冷や汗を流す。


「これ……もうどれだけ帰ってきてないんですか……?」


 知紅の家に着いてすぐ、珠緒はその様子の変化にすぐ気付いた。

 玄関の盛り塩が真っ黒に染まっている。数か月分では説明がつかないほどに溜まった埃。壁には人の顔にも見えるような染みが幾つも。電気をつけても室内が薄暗く感じる。大量の湿気を封じ込めたような重苦しさが続く。数分その場に佇めば電気がチカチカと点滅を繰り返す。おかしい。明らかに、常軌を逸した夥しい量の悪霊たちがこの有り触れたアパートの一室にぎゅうぎゅう詰めにして封じ込められている。悪霊同士を使った蟲毒かと疑うが、知紅はそういった呪詛を兎角嫌っているし、少なくともそれを珠緒が入り込むかもしれない自宅で実践しようと考えることは有り得ない。

 それは彼女を想ってのことでもあるし、仮に悪霊の蟲毒を本気で作ろうとするのなら、並の浮遊霊なら近付くだけで強制成仏させるほどの神性な霊気を纏う神薙ぎがこの部屋に入るのは不都合であるはずだからだ。事実、この部屋に閉じ込められていた無数の悪霊は、彼女がこの部屋に入った時点でその数を明らかに減らした。

 ならば、まずは掃除よりも除霊を先んじなければと、珠緒は玄関のものを含め全ての盛り塩を新しいものに替え、リビングのソファに正座する。


「開けよ、黄泉の路へと続くとびら――」


 



「ひとまず、『掃除』はこのくらいでしょうか」


 悪霊の強制成仏と、単純な浮遊霊に対してお経を手向ける浄霊。後者は神も霊も薙ぎ祓う神薙ぎには無用の長物ではあるが、そうなると一切の区別なく『強制成仏』という手段をとってしまうため、知紅が「覚えておいて損はないだろう」と教えてくれていた手順とお経が、どういう因果か不在にしている彼の家で役立った。

 本来の意味でもしっかりと掃除を終え、ようやく彼女が気にしていたものに本腰を入れた。ここ数カ月の彼のスケジュールについてだ。

 まず真っ先に確認したのはカレンダー。彼が急に忙しくなったのが、去年の10月半ば頃から。さすがに去年のカレンダーは廃棄されてしまっているものの、彼の家には月ごとにページを破るタイプのものと、ページをめくって新しい月のページに替えるタイプのものがあった。これ幸いと小さい方のカレンダーを今年の一月まで遡って確認するものの、それは彼の仕事用のテーブルに置ける程度に小さいからかスケジュールを書くスペースもなく、いくつかの日付に「×」が書いてある他にはなんの情報も得られない。


「この×印のついた日付……毎月16日? あ、11月だけ×じゃなくて○になってますね。11月16日、って……兄さんの命日?」


 珠緒には3つ歳の離れた兄が居た。居た、と過去形であるからには、既に会えなくなって久しい時を経ている。

 10年前――神薙ぎを禍身への生贄として村を存続させてきた詠路よみじ兄妹の故郷「神憑村」は、生贄となるべく神薙ぎを封じる牢獄「神薙牢」に封じた珠緒がとある人物の手引きによってその場を逃げ去ったことで、怒り狂う禍身らと共にその姿を消した。今、あの場所に行っても見つけられるのは黒ずんだ土砂と鬱蒼とした木々くらいだろう。

 神薙牢の奥で知紅と出会い、俯く顔を上げ、無気力な足を再起させ、行き場なく伸ばした手は……ごつごつと厚く力強い彼の手が握り返してくれた。

 しかし、身体以上に精神が衰弱していた彼女の意識は、牢を出た先の病院で再び目を覚ました時にようやく明確となり、神憑村の末路と兄の最期を知ったのは、知紅からの口伝であった。


『君のお兄さんは……身命を果たして君をあそこから逃がす時間を作ってくれた。天涯孤独の身となった君が今、それをどう受け止めるのも君の自由だ。絶望することも、嘆くことも君に許された当然の権利だ。だが少なくとも君が今ここに居るのはお兄さんの決死の覚悟の結果だということを忘れないでくれ。彼は……君に、大切な妹に生きてほしいから命を懸けたんだ』

 

 幼くして神薙ぎとしての才能を見出され、村のため生贄になることを強いられた珠緒は、両親の心中がどのようなものであれ、結果として家族に売られるに近しい形で牢に入れられた。

 牢では衣食住に困ることはなかったが、自由は一切なかった。狭く薄暗い座敷牢は、食事や着替えを持ち込む女中が一日に数度訪れるだけで、会話もままならなかった。そんな彼女の心を保たせてくれていたのが――兄、詠路伊織よみじいおりであった。伊織は珠緒のことを本当に可愛がってくれていた。彼女が牢に入れられる日、普段はとても温厚な兄が、妹を連れて行こうとする村の男たちと、自分を抑え込もうとする父親を殴り飛ばし、必死に庇おうとしてくれていた光景を今でも思い出す。

 今思えば、大の大人が八人がかりでもってようやく抑え込んだ兄の力は、普通の10歳児のそれを明らかに逸していて、知紅が「君のお兄さんは身命を果たして君をあそこから逃がす時間を作ってくれた』というのも、おそらくは自分と同じ神薙ぎだったのではないか、とも珠緒は考えていた。実際は神薙ぎとして生まれたのではなく、彼女が神薙ぎであることが発覚してから生贄の身代わりになろうと修練を積んだ結果であり、そしてそれが禍身の襲来に間に合わなかったからこそ、彼は牢を守り続ける古代神薙ぎの防人となったわけであるが……今のところ彼女がそれを知る術はない。


「じゃあ、これは月命日のお墓参り……?」


 呟くものの、それが正解でないことはわかっていた。

 月命日の墓参りが目的なら、彼は間違いなく珠緒に声をかけただろう。しかし伊織の命日と月命日がまったく関係ないとも思いにくい。一人で行かなければならない理由があるはず。加えて今の彼の多忙ぶりからして毎月この日に休みをとれるとも思えない。


(几帳面な知紅さんが、カレンダーを交換すると同時に12月まで一気に予定を入れている時点で、この「16日の予定」がブレることはあり得ないはずです。つまり、少なくとも知紅さんにとってこの予定は「仕事」に関係してると考えるべきでしょう。単に16日というだけならまだしも、11月には○で指定されていることからして、兄さんにも何か関係のある事件……となると古代の神薙ぎか、神憑村を襲った禍身に関わること、でしょうか)


 おそらくは遠くズレた答えではないはず。しかし、どこか何かから目を逸らしているような感覚に、珠緒はもう一度その思考を繰り返す。


(16日。兄さんの命日。知紅さんの仕事。古代の神薙ぎ。神憑村を襲った禍身)


 何度も、何度も、それを繰り返した。

 そして――自分の思考のズレに気付く。


(16日は兄さんの月命日で、11月は兄さんの命日。だから兄さんの命日に関わるはず。知紅さんの仕事は禍身祓い。だから禍身に関係してるはず。兄さんと禍身の関係で一番大きいのは神憑き村。ここまではおかしくないはずです。少なくとも、わたしの中では。けれど……)


 古代の神薙ぎ。

 なぜ、自分は『詠路伊織』ではなく「古代の神薙ぎ」へと思考をシフトさせたのか。

 それに気づいた瞬間、彼女は言い知れぬ悪寒のようなものを感じた。


「兄さんが、知紅さんの調査対象になってる……?」


 そう。彼女は最初、知紅が禍身祓いであるということから、調査対象は自然と「禍身」であるとみていた。

 だからこそ16日、兄の月命日、古代神薙ぎの3つが「禍身」に結びつかず理由を探していた。だがそれは同時に、これらを矛盾なく繋ぐ存在から目を背ける意味もあったのだ。

 詠路伊織。10年前の11月16日。故郷である神憑村で古代神薙ぎの力を振るい、無数の禍身を相手にして相討った大好きな兄が――同じくらい大好きな人に何かを疑われている。


「…………」


 兄か。

 想い人か。

 

 疑い信ずるべきなのは、どちらか。

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