case-22 希望への道筋

 才能と努力――理想を100とした時、才能は元々ある土台の数値であり、努力とは後付けで得られる数値である。というのが、知紅ちあきの持論だ。

 最初から才能が100ある者なら、努力なく理想に至るだろう。だが努力する者もまた、たとえ才能がからきしであっても100の道のりをかければ理想に至るのだ。そして、世の中そんなに極端な人間などいない。知紅にとって、世が「天才」と称する者はみな凡そ才能で80以上を埋めている者であって、最初から100というのは稀も稀。逆に、多くの「凡人」たちも10や20程度の才を持ち合わせている。

 そして、その持論を元にした時――才能だけで理想100を超越するであろう人物を見たのは、後にも先にもただ一人であった。

 

 詠路伊織よみじいおり

 神薙ぎの少女、詠路珠緒よみじたまおの実兄にして……神薙ぎの才なく神薙ぎの力を得た空前絶後の天才霊能者であった。


『君の妹は必ず救い出す。だから君も一緒に来い』

『できることなら、僕もそうしたいよ……』


 あの灼熱の中で交わした僅かな約束が、知紅の記憶を紅蓮に塗りつぶす。

 あの日、あの時……あの少年は知紅が妹を連れ出すまでの時間を稼ぐため、夥しい数の禍身を相手に単騎にて殿を務めた。そしてその結果がどのようなものであったかは、想像に難くない。

 知紅が彼の妹を連れ出し、忌まわしい神薙牢ろうごくから連れ出した時、既に彼の姿はどこにもなく、牢の前を彩る深紅の影が経緯の全てを物語っていた。


(オレは、どうすればいい……ッ!)


 考えれば考えるほどに、残酷な選択肢だけが増えるばかりで、臨んだ結末に繋がるものは何ひとつとして見つからない。

 彼は――詠路伊織は、あの時あの村を襲った無数の禍身を統べる者……『妖化し禍身』によってその肉体を依り代へと変えられ、そしてその精神を奪うためあの場に居た全ての禍身を一身に注がれたのだろう。その数……妖化し禍身の言葉によれば300。たった1体の禍身でも、それを退治するための専門職である禍身祓いが命懸けで対処しなければならない中、伊織はその身ひとつで妖化し禍身を含めた300以上の禍身を10年間も抑え込んでいたという。

 だがそれは、決して彼が単なる天才霊能者であったからではない。彼は神薙ぎという身に余る力を得て牢に封じられた妹を憂い、自らもまた妹の大役の半分を担おうとしていた。


 古来――神薙ぎとは現代のように類稀な才ではなく、霊能者のありふれた時代においては誰もがその力を振るうべく体系化された「技術」であったのである。

 故に、彼はそんな曖昧模糊あやふやな技術を現代に蘇らせた。天才的とはいえ――神薙ぎという現代において「才」の一言に片付けられるものを、それよりもありふれた「才」である霊能力を以て「技術」としたのである。故に――彼が300を上回る禍身に向けて振るっていたのは紛れもなく神薙ぎの力……『古代神薙ぎ』の力であったのだ。

 しかし、如何に神薙ぎの力を振るえど相手は禍身。神に至りかけたもの。神に近付くもケガレに堕ちたもの。まがつものども。

 あの村を囲う山をひとつ越えふたつ越え、さらにその向こうまで続く禍身の群れに、彼は命を落とした。命を落として――それでもなお、自らの亡骸を弄ぶ禍身どもを逆に呑み込み、それらを統べる『真なる禍身』……即ち妖化し禍身をも封じ込めていた。全てはたったひとりの妹のために。


 100を超える才能と、それをも上回る努力。もはや数字では表しきれないような「理想」すらも置き去りにする圧倒的な「実力」が、詠路伊織にはあった。


(彼を救うには、最低でも彼の肉体を保ったまま妖化し禍身を祓わなければならない。しかし、相手は伝承級超霊害的存在……彼の身に宿った禍身だけでも300以上の禍身をまるで雑兵の如く手駒としている。加えて、彼の肉体を使っているということは全てでないにせよ『古代神薙ぎの力』の一部を使えると想定すべきだろう。どう考えても、オレひとりの命を引き換えに得られる勝利など無い……!)


 では、誰を選ぶ? 誰の手を取る? 誰と共に戦う?


 

 誰を――『犠牲にする』?


 

 できるわけがない。戦いに犠牲は付き物だというのは理解している。戦いの規模によるとはいえ、少なくとも禍身を祓おうとするなら大なり小なり犠牲は出る。

 だが……戦えば犠牲が出るということと、犠牲を前提に戦うことは違う。犠牲を前提にした作戦などあってはならない。そんなものは作戦ですらない。ただの自暴自棄だ。中身のない自暴自棄に他人を巻き込んでいるだけだ。

 自分の――呉内知紅くれないちあきの役目は、すべきことはなんだ? 珠緒形代タマオドールを得て、禍身と戦い禍身を祓う力を得たとはいえ、自分の役目がでないことは理解している。わかっている。だからこそ……滝原たきはらはあの時、それを果たせていない自分の手を引いて駆け出したのだということも。


 知紅は巡り廻る思考の回転を加速させていく。

 

(対策は必須だ。相手はもはや単なる伝承級超例外的存在という枠にさえ留まらない。古代神薙ぎの力を持つ稀代の天才霊能者を依り代にした真なる禍身。それは即ち……)



 ――神話級超霊害的実体存在。


 

「……滝原」

「やっと頭まともになったか?」

「おかげでな。ところで……さっきの禍身について、話しておくべきことがある」

「うわ、めちゃくちゃ聞きたくねー……けど、そういうわけにもいかなさそうだな」


 



『神話級超霊害的実体存在、だと?』


 その夜、知紅は今回の顛末を『禍身祓い協会連合』の総長に報告していた。

 上からの命令を受けて現場の情報を集めるのがコミュニケーションに長けた滝原の役目なら、現場の情報を上に報告するのが事実と推測を切り分けて認識・伝達できる知紅の役目だ。

 今回、伊織の姿で現れた妖化し禍身は、単独としては『伝承級超霊害的存在』の域に収まるものであったものの、伊織の肉体を得たことで総合的に『神話級』へと至っていることは自明であり、知紅はそれを予測や推測を脱した事実としてそれを伝えた。


「古代神薙ぎの力を持つ肉体を奪い、300以上もの禍身を「紛い物レプリカ」と称して手駒とする存在……あれとまともに対峙するとなれば、すべての禍身祓いを招集した総力戦になることは明々にして白々。人知を超える超常の戦争……神話級と称して過言ではない、とオレは判断した」

『神薙ぎの肉体を奪った禍身の軍勢の王、というわけか……』

「現状、我々はひとつの禍身の処置にも複数で挑まなければならない。加え、そもそも禍身祓いの数も少ない。全国から集めても、雑兵の禍身を全て対処することもままならない」

『よしんば雑兵を全て駆逐できたとして、その後ろに構える王を討つ手が無い』


 知紅がこの恐ろしくも悍ましき事実を隠匿することなく総長へと告げたのは、将来的に禍身祓いと妖化し禍身との衝突は避けられないと判断したからだ。今、こちらから向こうに仕掛けなくとも、向こうはいずれ禍身祓いを含んだあらゆる人類に霊害を及ぼす『国崩し』の筆頭となるだろう。少なくとも、現時点でもそれだけの力を持っていることは明らかなのだ。今、この国がその霊害を受けていないのはあくまでも自らの精神いのちを賭して妖化し禍身の力を削いでいる伊織によるところが大きい。

 だがその力は徐々に弱まっているのは間違いない。だからこそアレは知紅の前に現れたのだ。伊織と同じく神薙ぎの力を持つ少女に近付く情報を最も多く握る知紅に。

 だからこそ、伊織の力で封じきれなくなるよりも先に、妖化し禍身に対抗する術を持たなくてはならない。そこで少しでも「数」を得るために、知紅はこの事実を禍身祓い協会連合の総長に打ち明けたのだ。少なくとも、滝原が言うよりはそうした提案を右から左に流されない程度の信用は得ているという自負もある、というのもあるにはあるが。


『だが、今の段階でそれを知れたのは勿怪もっけの幸い。協会連合所属の禍身祓い各位には日付が変わる前には必ず通達すると約束しよう』

「こんなことを頼んでおいてなんだが、外部協力者の採用には慎重に慎重を重ねてもらいたい」

『無論そのつもりだ。我々禍身祓い協会連合は超常の力をもって超常の存在から人々を守るべく手を取り合っている。連合の都合でそうでない人々を巻き込むなど本末転倒も甚だしい』

 

 禍身祓いとしての高潔な精神は、この総長もまた――否、この禍身祓い協会連合を統括する総長だからこそ、人一倍に基本理念それを深く深くその胸に刻んでいた。


『とはいえ、今回ばかりは綺麗事だけでどうにかなる相手でないこともまた事実。外部協力者の厳選・意思確認には慎重に慎重を重ねるが……それでも数が数だ。理解してほしい』

「弁えている」


 今はまだ見えない希望への道筋。

 だがその希望を目指して共に歩む者が一人でも増えてくれるのなら、きっと今は見えないその先に至る者も現れるだろう。

 だから、今は……その光の先に至る者が現れるその時までが、正念場。

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