case-21 真の禍身

「おっ? 今日は神薙ぎの嬢ちゃんナシか」

「毎回なぜか首を突っ込んでくるだけで、本来こうあるべきだからな?」

「まぁそうなんだけど、最近けっこう多かったからさ」


 その日、知紅ちあき滝原たきはらは地元からやや離れた「神隠しの廃病院」と呼ばれる心霊スポットに足を運んでいた。

 そこは地元だけでなく全国のホラー好きから「ガチ」と御墨の付けられた場所であり、興味本位で入り込んだ愚か者のリストに容赦なく『行方不明』の烙印を焼き入れてきた。無論、それだけの被害が出れば警察や名のある霊能力者がそれらの捜索に当たるのだが――それらに対しても甚大な被害を及ぼしたここは、いつしか警察内でさえ「捜査不可」の禁足地となったのである。

 しかし、禍身祓いとして無数の禍身と向き合い続けてきた二人には、なるほどこの廃病院が如何に他の心霊スポットとかけ離れた脅威性を放っているかを感じ取っていた。


「気配を隠そうともしてねーな……」

「知恵のある禍身は餌を獲るために気配を隠すが、力のある禍身は餌を獲るために小手先の技術を必要としない。こいつは間違いなく後者だろうな」

「しゅるるるるるるゥゥォァ!」


 その全長はおよそ3.5メートル程度。髑髏しゃれこうべ模様の頭胸部にぎょろりとした8つの眼。腹部には苦悶の表情を浮かべる無数の顔が張り付き、左右四対の8つの長い脚は剛毛を湛えてはいるが間違いなく人間のそれを結合させた禍々しい容貌をしている。土蜘蛛――否、おそらくは益虫として敬われ信仰を得たアシダカグモが禍身と堕ちた姿なのだろう。


(いくら知恵よりも力を優先した節足類の禍身とはいえ、人々から信仰を受けながら長い時を経て神に至りかけていた存在が、まともな言語を発しないというのは妙だな……)

「来るぞ!」

「わかっている」


 リングから伸びたペンデュラムを人体模型に接続し、巨体に見合わぬ素早さで接近する蜘蛛禍身。

 咄嗟に身構える知紅に対し、祈祷を込めた清めの岩塩を連結させた『清め塩の数珠』を両腕に巻き付けた滝原は迎え討つように前に出た。


「しゃらっ!」

 

 滝原の拳を顔面に受け、思わず怯む蜘蛛禍身。その隙を逃すまいと、珠緒たまおを模した人体模型――『珠緒形代タマオドール』の鋭い蹴りがその巨体を大きく揺らす。

 しかし相手は禍身。激昂に声を荒げながら、言葉にならない絶叫を雄叫びながら、今の僅かな攻防で知紅と滝原の力量を学んだのか、即座に距離を開けると「しゅるるるるるゥア!」と消魂けたたましい威嚇音をあげる。まさしく魂をけずるかのような音量と悍ましさを放つそれに二人が顔を顰める。

 神が畏れしんこうを力と換えるように、禍身は怖れきょうふを力に換える。単に絶叫、慟哭といっても人知を逸した此の世ならざる気配を蓄えたそれは、相手が霊能に秀でていればいるほど――この蜘蛛禍身の犠牲者たちの苦悶と恐怖の怨嗟を敏感に感じ取ってしまう。故に、二人は互いを律するように声を上げた。


「怖れるな!」

「ビビんな!」


 声と同時に、珠緒形代タマオドールが身の丈よりも長い大幣おおぬさを槍のように構えて突進。それを迎え討とうとする蜘蛛禍身の第一脚を滝原が受け止める。

 そして蜘蛛禍身の動きを止める滝原の背を踏み台に駆け抜けた珠緒形代タマオドールの突き出した大幣が、蜘蛛禍身の脳天をく。


「しゅるるるるるるゥァァアァ!」

「……ったか?」

「そうであってほしい」


 だが、と知紅も滝原も警戒心を残したまま、その視線を微動だにしない蜘蛛禍身から離さない。

 やはりおかしい。最初から。何もかもが。


「おかしい、よな?」

「ああ。あの絶叫に含まれた身の毛のよだつ怨嗟の気配……間違いなく大量の犠牲者を生み出している禍身とみて間違いはないだろう。しかし、だとすればどうしてこうも知性を感じないのか……。力のある禍身は小手先の罠を使わないと言ったが、禍身である時点である程度の「知能」自体はついているはずだ。なのに、まるでこの蜘蛛禍身は……」



 ――意図的に知性それを奪われたみたい、とか?



「「――ッ!?」」

 

 気配なく訪れる何者かの声。

 知紅はすぐさまその声が聞こえた方へと珠緒形代タマオドールに防御態勢をとらせながら、もう片方の手から伸びたペンデュラムで索敵。彼の背中を守るように、滝原はそんな彼と真逆へと体を向けて身構える。しかし……声の主は未だその存在を二人に気取らせないまま、くすくすと静かな笑い声を院内に響かせる。


『とはいえ、別に意図したわけじゃないんだ。その蜘蛛禍身は試験段階で知性が欠落してしまった失敗作でね。力だけは立派だから僕としても扱いに困っていたんだ。感謝しよう』

「子供の、声……?」

「らしいな。だが、この声……いつかどこかで……?」


 明らかに禍身に与する立場からの物言い。けれども極めて生者に近い声色を持つそれに困惑する滝原と、決して人のそれではない声色におそろしい懐かしさを抱く自分に惑う知紅。

 こつん、こつん、と埃塗れのリノリウムを叩く足音が少しずつ近付いていることに気付いた二人は、身構えながら暗く昏んだ廊下の先へと視線を向ける。


「いやぁ、苦労したよ。この身体を完全に支配するのは。まったく……僕を含めて300以上の禍身を宿してなお、10年間も主導権を保ち続けるなんて……これで魂そのものの強度は普通の人間のそれを大差ないっていうんだから……本当に『神薙ぎ』っていうのは恐ろしい存在だよねぇ?」

 

 暗闇の奥から現れた人物の顔を見た瞬間、二人の――特に知紅は自らの最大の役割である「思考」を全うできないほどに驚愕した。

 バカな、そんなことがあるはずがない。ありえない。そんな思いだけが脳内のあらゆる思考を妨害する。


 僅かな光も移さない、漆の如く黒く黒い瞳。ほとんど光のない院内に差し込んだほんの少しの陽光さえ反射するほど美しい艶を湛えた黒髪は襟首あたりで一本に纏められていて、彼の怜悧で爽やかな印象を強調していた。黒いカッターシャツとスラックス、そして皮手袋のせいもあって、全身あますところなく黒に染められているからこそ、その病的に白い肌がさらに際立つ。

 けれど――二人がそのあまりにも「人らしい」容貌に驚いているのは、それが明らかに人ならざる気配を纏っているせいではない。

 その顔……その冷淡ながら穏やかな表情。それによく似た人物を、二人は知っていた。


「神薙ぎの嬢ちゃん……!?」

「いや、違う! あの少年は……あの子は……!」


 にたり、と少年がうすら寒く笑みを零す。

 だがそんな彼の表情を見て、知紅は慌てて片手で口を塞いだ。


「……ッ! なるほど、お前の狙いは……!」

「なんだ、勘づかれてしまったか。察しがいいな。さすが、この身体の主が気に掛けるだけある」

「……不意を衝いて現れたのは、オレの動揺を誘って「それ」を引き出すためだろう」

「ご名答。さて……こうなると二度目は無さそうだ。となると……こちらから名乗ってしまった方が便宜上の不便はないだろうし、そうしようか」

 

 おそろしく冷たい笑顔で、彼は自らの存在を明かす。


「僕は怪化し禍身あやかしがみ。この身体の中に宿る300以上の禍身を統べる者、といったところかな」

「怪化し……高潔なる平凡を冒し、誇り高き凡庸を嘲り、かいへとえる『ケガレ』の擬人化……!!」

「心霊概念を司る禍身だと……? チッ、伝承級超霊害的存在ガチのバケモンじゃねーかよ!!」

 

 臨戦態勢の二人に対して、怪化し禍身はといえばその飄々とした態度を崩すことはない。


「目的はなんだ! どうしてその身体を使っている!」

「目的? 神の成り損ないが堕ちただけの「禍身のレプリカ」ならいざ知れず、僕のような「真なる禍身」に目的や是非を問うなどとは……おかしなことを」

「何……?」

「目的などない。レプリカをいくら祓おうと、僕としては知ったことではない」

「執着なき禍身だと……? ならば早々にその身体から出ていけ! その子の身体はその子のものだ! お前が好き勝手していいものではない!」

「いいのかい? ほんの数日前までならいざ知れず、今この身体の主導権は僕にあるんだ。つまり、この身体の本来の主の意思は既に薄弱。10年もの間300体の禍身を封じ込めていた彼の精神力は僕からしても「化け物」と称するに値するそれであったのだけど、さすがに主導権を僕に奪われた状態で300以上の禍身が統率者を失えばどうなるか……わからない君ではあるまい?」


 ぎり、と歯を噛み締める知紅の表情に、単純な悔しさや苛立ちだけではないものが綯い交ぜになっていることに気付いた滝原は、両腕に巻き付けた数珠を怪化し禍身へと巻きつけて動きを封じると、知紅の手を取って廃病院の玄関へ向かって全速力で駆け出した。


「考えるのは後だ! 今はここを離れんぞ!」

「だ、だが……!」

「頭脳労働担当のくせに頭働いてねぇヤツが口答えすんじゃねぇ! 早くしろ!」


 言い返すことならいくらでも出来るだろう。しかし事実として、今の知紅はまともに作戦や解決策を出せるほど冷静ではなかった。

 目の前の伝承級超霊害的存在に対して、どのように対処すべきかではなく、それが宿る肉体を解放させる方向にしか言及していなかったことがその証だ。

 怪化し禍身は必死に駆け抜けていく彼らの背をじっと見つめたまま、その背が見えなくなるのを待つと、体に巻き付いた数珠を弾き飛ばした。


「……逃がすつもりはなかったけど、さすが宿主だ。こうなってもまだ僕を縛り付けようとするとは……まったく、恐れ入るよ」


 でも、と怪化し禍身は嘲笑する。


「次は無いよ」

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