case-20 肚に決めた覚悟

 視界の怪異からしばらく、珠緒たまおの日常が揺らぐことはなかった。

 知紅ちあきは少し前に復帰し、また禍身祓いとして忙しい毎日を送っているものの、それは同時に珠緒につけていた修行が「ひと区切り」したという証明でもある。中途半端な力やコントロールできない力を「作戦に組み込まない」と明言した彼が「ひと区切り」というのなら、少なくとも珠緒の修行の結果は彼の及第点に至ったということ。とはいえ、今でも瞑想・体操を中心に、一人で出来る範囲の修練は積んでいる。


 そんな、少しだけ普通とは違う日常を送る彼女の日々を、かろうじて「普通」に留めてくれているのが金恵かなえだった。

 学校では当たり前のように行動を共にしているし、休日も一緒に出掛けたり互いの家を行き来して勉強をしていたり、とにかく珠緒にとっての「日常」とは金恵の存在を指している。

 

「でさー、昨日レンタルで観た映画のオチがマジで酷くてー」

「あぁ、そういえば言ってましたね。かなり昔に公開されたSFパニック作品でしたっけ?」

「そうそう。中盤までは面白かったんだけど、なんか最後あんだけ強かった宇宙人がお尻に爆弾を突っ――」

「すみませーん、古鐘こがねセンパイいますかー?」

「おーい金恵ー、カレシくん来てるよー!」

「カ、カレシじゃねーわ! てか空羽あきはもみんな居る時に来んなし!」

「え、じゃあ今日の調理実習で作ったお菓子いらない?」

「いる!!」


 以前は今ほど多くなかったが、今では週に3、4度くらいの頻度で金恵が気にかけている後輩片思いしてる相手がクラスにやってきて、時折そのまま彼女を連れていってしまうものの、その様子を見守るのもまた珠緒にとっては楽しみのひとつ。そういう時はクラスの女子の輪に入れてもらいながら、金恵があの後輩とどこまでいったのか、などと少し下世話な雑談を興じている。

 コミュニケーションお化けの金恵が親友ということもあり、彼女伝いに繋がった友人は数多い。だからこそ、自然とその話題の中心に彼女の恋愛模様が据えられるのも致し方ないことだと自分に言い訳をしながら。


「なんか最近あの後輩くん来る頻度多くね?」

「あれ絶対なんかあったわ」

「でも金恵さん、ああ見えてけっこう奥手ですからね……」

「奥手ギャルと素直カワイイ系男子……推せるわー」

 

 金恵を中心に集まったグループというだけあって、ここの女子たちも珠緒と比べてしまえば随分と今どき風の服装や振る舞いであるが、やはり類は友を呼ぶという言葉の通り、金恵の恋愛模様を全力で応援している友達想いどもばかり。中には少し様子のおかしい者もいるが、概ね真っ当に二人の恋路を少し離れたところから見守っている。


「あー、ウチのカレシもあれくらい素直だったらなー。こないだとかせっかく家までメシ作りに行ったのに礼どころか美味いの一言すら出てこないのなんなん?」

「それ一回くらいビンタしてもいいやつじゃない?」

「わたしならします」

「過激派おるやん」


 この女子グループの内、恋人がいるのが二人。片思いが一人たまお。両片思いが一人かなえ。高校生の時分から恋愛をかなぐり捨てて生涯独身宣言をしたオタクが一人。

 一部、剛の者がいることを除けばどこにでもいる女子高生たちの、どこにでもある仲良しグループ。

 だからこそ――珠緒の日常は、守るべきものは揺るがない。日常の象徴である金恵だけでなく、その金恵が繋ぎ紡いでくれた絆が、この友人たちと自分を今も繋ぎ留めてくれている。

 誰もが持つなんの特別もない『普通』が、そんな普通を脅かす者どもと対峙し続ける珠緒の心を支えてくれる。それを彼女は胸が痛むほどに噛み締めている。





「最近、調子いいらしいじゃん。知紅」


 禍身祓いの仕事に復帰してからというもの、人体模型を利用することで単独でもある程度の禍身を祓うことができるようになった知紅は、慈母禍身の一件から久方ぶりに相棒である滝原たきはらと顔を合わせた。互いの近況を語り合っていると、やはり単独よりもバディを組んで任務に臨む方が性に合っているかもしれないという知紅の呟きは、なんだかんだ数年間その役割を担い続けてきた滝原にとっても胸を打たれる思いだった。

 

「特注の呪具のお陰でようやくオレ単独でも禍身を祓う力を得たんだ。活用しない手はあるまい」

「あー、お前が贔屓にしてるあの変態呪具師。え、じゃあお前の言う呪具って……」

「ペンデュラムを接続することで霊力操作コントロール可能な人体模型だ。攻撃資質の高い霊力を外部カートリッジから取り入れ、禍身に対して体術での攻撃を可能とする」

「それ一回マジで神薙ぎの嬢ちゃんに土下座で謝った方がいいやつだぞ」

 

 真顔で注意する滝原に対して、知紅はまるで納得いかないかのように「こんなに出来がいいのになぜ?」という顔をするが、既に珠緒は渋々ながらも納得済みのことであったりする。

 無論、納得済みということは人体模型の存在も、今後それを知紅の主力呪具として活用することも含んでいるのだが、その時の珠緒の表情は筆舌に尽くしがたいものがあった。


「ひとまず、オレ単独で対処可能な案件は済ませた。お前の都合が合えば、次回からまたバディを任せたい」

「んー、じゃあちょっと待ってちょ。スケジュール確認するわ。……あー、今週いっぱいはキツいな。来週アタマからなら組めるけど、そんでもいい?」

「ああ。では来週までオレは休みながら自己鍛錬に励むことにする」


 普通なら、バディを組んで禍身の対応を行う場合、どちらかが事前に現場に赴いて状況の下見、聞き込みを行い資料を作成するわけだが、知紅の場合は2メートルを超えるその巨体に加え、鋭い目つきや歴戦を潜り抜けた修羅の放つ雰囲気も相俟って、初対面の相手をどうしても警戒・委縮させてしまう。そのため、コミュニケーション能力に長けた滝原が専らその役目を担っていた。今回もそうだ。滝原の方に予定が詰まっていても、知紅がその役目を代わることは無い。それが互いに定めた仕事の領分であり役割であるのなら、その役割を各々全うすることこそが肝要なのだ。


「それに、少し調べてみたいこともある」

「調べたいこと?」

「珠緒の友人が、怪異を認識する人型存在と接触した」

「怪異を……? いやいやいや、そんなモン神薙ぎにだって出来ないんじゃねーの?」

「そのはずだ」


 頷く知紅に、訝しむような表情の滝原。

 だが、知紅は嘘や冗談の下手な男だ。対峙した相手にブラフをかますのは大の得意だというのに、懐に入れた相手を謀る類のことがどうにも上手くない。

 そんな彼が、こんなにも唐突に、誰の得にもならない嘘をつくだろうかと胸に問えば、無論それに否と答える。


「だから調べたいんだ。彼女の言うその少年が何者なのか。なぜ彼女に接触したのか。どのように怪異の所在を突き止めたのか。返答次第では……お前にも協力を仰ぐことになるだろう」

「か、勘弁願いてェー……」

「ダメだ。もし本当に「そういう存在」がいるのなら、オレだけではどうにもならん。バディであるお前の存在が必要不可欠だ」

「……そう言ってもらえんのは光栄なんだけどさぁ」


 言いながら、滝原が胸ポケットからタバコを取り出すと、知紅すっと手を出す。


「……え? 知紅って吸ってたっけ?」

「たまにな。珠緒と出くわす可能性もあるから、地元に居る時と地元に戻る前日は吸わないことにしているのもある」

「お前とバディ組んでもう何年も経つけど初めて知ったわ」

「まぁ本当にたまにしか吸わないし、あまり長期出張任務も多くないからな」

 

 ナインスターズだけど、と言って差し出されたタバコを咥えて、滝原の点けた火をもらう。

 吹き払う煙に嫌な思考を伴って、ちりちりと赤く光る先端から伸びた支援を目で追った。吸い込んだ煙が思考ごと靄をかけてくれるようで、今の知紅には都合が良かった。


「正直なところ、もしもオレの予想がよほど大きく外れていなければ、その人型存在の狙いはオレか、あるいは珠緒だと思っているんだ」

「……なんで?」

「元々、不自然なところはあったんだ。ここ最近、オレの地元で怪異や禍身の出現が多発している。慈母禍身も、部屋の夢の怪異も、視界の怪異も、どれもオレの地元で起きた事件だ。普通、あんな頻度で霊害事件が発生することはあり得ない。加えて、その人型存在の発言が気になる」



 ――今この街で起きる怪異はすべてこの街から出られない仕組みになっている。



 知紅はその言葉を金恵から確かに聞いていた。

 当然そんなことは通常ありえない。怪異を「現実のチャンネル」に縛ることさえ不可能だと言われているのに、その上さらに特定の地域内に留めることなど空論どころか机上にさえ上がっていない。しかし――いやむしろをそうと断言するほどの存在が、なぜあの街にこだわるのか。

 霊的存在にとって天敵でありながらも貴重な糧となるもの――それは膨大な霊力を保有し、それを意識的にコントロールできる霊能力者だ。

 そしてあの街で、古鐘金恵からアクセスできる強力な霊能力者はたった二人。それが珠緒と知紅なのだ。


「その人型存在の目的はわからない。だが間違いなく、そいつはあの街にいる何かを求めて古鐘に接触したはずだ。そして、古鐘からアクセスできる人材の中で、霊的存在の狙いになるとすれば……神薙ぎの珠緒か、禍身祓いのオレしかいない。だが狙いがどちらであれ、オレはそいつと対峙しなくてはならない。むざむざ珠緒を危険に晒すようなことはあってはならない」

「俺はいいのかよ」

「禍身祓いなら、覚悟の上だろう?」


 ふぅ、と吹いた煙の中に、溜まり積もった愚痴や不満を全て込めて、肚に残したものは覚悟だけ。

 禍身をも超えた何かに立ち向かうための覚悟だけ。

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