case-19 これまでの事件を振り返る

 視界の怪異の一件から一カ月。

 知紅ちあき珠緒たまおの修業期間も終盤に差し掛かる頃、気持ちにも余裕ができ金恵かなえが接触したという少年が何者であったのかが、このところ二人の話題の中心であった。


「そもそも、怪異を外から認識する手段なんてあるんですかね」

「無い。よほど観察眼に優れるのであれば、対象者の言動の違和感に気付いて怪異の仕業か否かを考えることくらいできるが、古鐘こがね曰く「そういうものを感じやすい体質」と言っていたそうだから、おそらく霊能力によるものだろう。しかし霊能力で怪異は認識できない。つまり、その少年はなんらかの理由で「認識できる理由」を「霊能力の一種」として偽ったのだろう」

「まぁ、霊能力に詳しくない一般人からすればどっちも心霊関係に見えますし、心霊関係なら霊能力でひとくくりにされても納得しちゃいますからね」


 怪異の性質を先人の知恵によって正しく把握しているのは霊能者の中でもよほど勤勉な者か、ベテランの禍身祓いだけ。そして怪異に対処できるのは神薙ぎだけ。

 だがそのどれであっても怪異を認識できる者はいない。あれは数ある霊害の中でも回避不能な災害。もしもあれを認識できるとするのなら――。


「霊能力者が霊害を認識できているのは、人間の身でありながら魂のチャンネルが一部分だけ霊の世界のダイヤルと合致してしまっているからだと言われている。これは生まれつきの場合もあるし、後天的になんらかの原因でダイヤルがズレてそうなることも無いわけではない。いずれにせよ、霊能力とは霊の世界のダイヤルに自分の認識をチューニングして初めて可能になる技能というわけだ」

「あー……確かに今まで感覚的にやってましたけど、改めて言語化されると確かに「認識のダイヤルを霊の世界にチューニングする」っていう表現は的確かもしれませんね」

「浮遊霊にせよ悪霊にせよ禍身にせよ、なんであれ霊が人間に影響を与えようとするなら、基本的には何かしらのアクションを起こして自分を認識してもらおうと……そうだな、今の言い方に直せば「霊の世界のダイヤルに合わせようとしてくる」わけだ。しかし、怪異は違う。あれはそもそも霊の世界のダイヤルとも別の場所に存在し、霊の世界にはすぐに干渉可能だが現実世界には干渉できない。だから人間の意識を霊の世界にチューニングしなければならない。つまり霊の世界は「人間と怪異の合流地点」にされているというわけだ」


 基本的に、霊というものは人間側が「認識」しなければ干渉できないが、ほとんどの人間は現実のダイヤルにしか意識が向かず、他の世界にチューニングする術を持たない。

 霊能力者というものは、基本的にこの「認識のダイヤル」を霊の世界にチューニングして一時的に霊へ干渉するわけだが、怪異はこのダイヤルが霊の世界のそれとも異なるからこそ、霊能力者でも怪異には干渉できない。だが怪異の厄介なところは、人間を怪異の世界のダイヤルに引き込むことはできないものの、自分だけでなく対象者となる人間の意識も霊の世界のダイヤルに強制チューニング可能だということだ。

 なお神薙ぎが「霊能者ではない」と言われる所以は、これらすべてのダイヤルに対して「認識さえできれば干渉もできる」という点だ。

 あの時、珠緒は無意識の内に「霊の世界のダイヤル」から「怪異の世界のダイヤル」に逃げた視界の怪異に対し、霊の世界を介さず怪異の世界に直接アクセスしていた。これは「霊の世界のダイヤル」にしかチューニングできない霊能者ではありえないことであり、精神を研ぎ澄まして探ってチューニングしてようやく『干渉したいダイヤルに合わせる』という霊能者の手間をすべて取っ払い、即座に『干渉したいダイヤルに切り替える』という、怪異からしてみればどっちが「災害」と呼ぶべきかわからない奇襲性を見せていたのである。


「部屋の夢の怪異の時、珠緒はまだダイヤルの調整が上手くいかなかったが、修練によって「引っ張り出す」「引き寄せる」「ひとまとめにする」というお前の神薙ぎとしての性質を自覚し、視界の怪異と対峙したことでその性質を応用し「ダイヤルを切り替えてアクセスする」という手段を得た。あの時の感覚を忘れなければ、お前は霊の世界や怪異の世界だけでなく、認識さえできれば「神の世界」にもアクセス可能になったわけだ」

「わたしすごくないですか」

「すごいぞ。すごいヤバい。神薙ぎだけならそうでもないかもしれんが、お前の霊力の性質と噛み合いすぎているのが特にヤバい」

「ん……? えっ、じゃあもしかして本来の神薙ぎの力としては「怪異の世界にアクセスして攻撃できる」だけで、「怪異の世界に逃げた怪異を現実に引き摺り出して攻撃できる」のはわたしの性質と噛み合った結果ってことですか?」


 頷き。


「だからこそこうやって精神統一の修練をつけているんだ」


 そこでようやく、珠緒はここのところしばらく以前のような戦闘訓練ではなく、精神統一のための座禅や集中力を増すための呼吸トレーニングを繰り返されていた意味を理解した。


「お前の霊力と性質と神薙ぎの力は強力。だが、だからこそ前回のようなぶっつけ本番での運用は許されない。奇跡や偶然は作戦には組み込めないからな。コントロールできない力は無いより恐ろしい」

「随分と言葉に重みを感じますが、何かあったんですか?」

「禍身祓いが短命な理由がだいたい自分の力量を量り損ねた結果だからだ」


 禍身祓いは1年もてばベテラン。そう言われる理由は、その殉職率・離職率の高さにある。

 通常の霊能者よりも遥かに強力な霊力と膨大な知識を持ち、正しく厳しい修練と修学を経てようやく一人前となる禍身祓いであるが、そのうちの半数近くが想像を遥かに超える凶悪さを振るう禍身を前に初戦で命を落とす。よしんば初戦を乗り越えたとして、それらの恐怖に打ち勝つ精神を逸早くモノにし、禍身と対峙する姿勢を得られないのであれば、一年もせず殉職・離職となるだろう。

 彼らは間違いなく禍身に抗う力を持った禍身祓いだろう。だが愚かしいほどの蛮勇に心を傾けた者は死に、憐れなほど臆病な者は逃げていく。

 だから彼らは自分の力量を一切の誤差なく量り続けなければならない。対峙する禍身に相応しい力量を自分が持つのか。故に――自分の力のコントロールは必須なのだ。


「オレが10年も禍身祓いをしていられるのは、勝てる相手の喧嘩だけを買い続けた結果だ。オレだけじゃない。ベテランと呼ばれる禍身祓いは皆、そうやって生き延びてきた」

「蛇禍身の時も?」

「あれは泥のほうを禍身だと思っていたから「万が一は否定しないがギリギリ大丈夫だろう」くらいの気持ちだった。蛇禍身が相手だとわかっていたら絶対に断っていたし滝原たきはらもこの仕事を持ってこないどころか依頼者を追い返してたと思うぞ」

「え、あの泥って神様ですよね? 蛇禍身の方がヤバかったんですか?」

「そりゃ山神の手厚い保護の下で修練を積んで神になったばっかのヤツと、誰の加護もなく自力で水神に至りかけたところを禍身に堕とされたヤツのどっちがヤバいかと言われたらな……」

 

 禍身と神の明確な違いは『神格』の有無だ。つまりは「霊」か「神」か。かつて滝を登った鯉が龍となったと言われるように、単なるランクではなく「存在」そのものを神でないものから神へ昇華させることを「神格を得る」という。しかし、この本来ならば果てしなく永い道程を舗装してくれる存在が、神の気まぐれである。あの泥はおそらくなんらかの獣の神であろうが、山神の気まぐれによって修行をつけられ、その道筋を照らされていた。だが蛇禍身はこのような加護を一切受けず、真っ暗闇の中、障害物だらけの曲がりくねった迷路のような道程を邁進し、あと一歩で神格を得ようというところで第三者により「ケガレ」を与えられ禍身に堕ちてしまった。いくら神と禍身、神格の有無に明確な差異はあれども、それ以上の地力の差はそれ以上に明確――そればかりか明白ともいうほどであったのだ。


「オレは禍身を討つことはできない。だからそっち方面の技能は早々に諦めた。無いものねだりする時間があるなら、そうでない強みを得ることに奔走した。結果、オレは誰かとバディを組むことで戦い以外の役割を全て引き受けることにした。そのために必要な情報をありったけ頭に詰め込んで、そのために必要な技能をありったけ身に着けた。そうやって自分でもできること、自分にはできないこと、そういうものを見つめ直すことが大事なんだ」

「なるほど……」

「ところでさっきからオレの話を聞くのはいいが、本当に集中できているんだろうな?」

「それはそれ、これはこれ。ちゃんと集中できてますよ。雑念なんて竹箒で掃いてごみ箱にポイです」


 知紅は少し思案して。


「珠緒」

「ひゃあっ!?」

「やっぱり集中してないじゃないか」

「いや好きな人に耳元で名前呼ばれたらそりゃあこうなりますよ!!」

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