case-18 現実へとまろび出る景色
いつも通り、表情らしい表情のない大男と、その真横を青い顔を俯かせて歩くサラリーマン。見る者が見ればここから凄惨な行いが為されると勘違いしても致し方のない構図であるが、少女二人はそれに気付くこともなく微笑みを浮かべている。一人は「早く仕事を終わらせて三人でお喋りしながら帰りたい」と目の前のサラリーマンの安否を度外視しているし、もう一人は「なんか顔色悪いけど
そも、事実として知紅も彼に対して特別何をどうするという明確な脅しをしたわけでもなければ、暴力などは以ての外。人を守るための禍身祓いが人を傷つけることなどあってはならない。
……が、それはそれとして具体性のない脅しが結果的に恐怖と不安に幅を与えてしまい、それが彼の風貌と最悪のシナジーを生んでしまったのである。
知紅のペンデュラムもだが、それ以上に珠緒の「神断」は目立つ。人目を避けるように場所を移動させた先は、サラリーマンを脅す輩が蔓延るにはいかにもな路地の裏。男性の緊張と恐怖はピークに達しかけていたものの、
周囲に
「見つけた。すまないが、このまま絶対にペンデュラムを離さないでいてくれ。手放すと、そちらの景色を確認できず処置が失敗しかねない」
「わ、わかった……」
「珠緒、詠ってくれ」
目を閉じたまま告げる彼の「視界」に、力強く頷く彼女が月下に映えた。
――開けよ、黄泉の路へと続くとびら。
――明けよ、君の路をも照らすひかり。
――神すら知らぬ遥かな旅路。
――我が導きに委ね参れ。
雷鳴が夜の天空をけたたましく霹靂する。大地を穿つが如く降り注いだ一振りの雷光はその形を槍と整え、溢れ出る電光が彼女の怜悧な顔つきを夜闇の中に映し出す。
静かに神断を構えた珠緒は、まるで何かを待つようにその切っ先を男性へと向けたまま決して動かない。彼女の手にした光の切っ先に怯える男性は、思わずこの場から逃げ出そうとするも、後退りしかけたその背を金恵の手が支えている。
「だいじょーぶ。怖くないし、痛くないよ。お兄さんを傷付けたりもしないから、深呼吸して、できるだけ動かないで。後でジュース奢ったげるからさ!」
「ほ、本当に大丈夫なのか!? 僕はここで何をされるんだ!?」
「視線を動かさないでくれ。できるだけ真っ直ぐ、珠緒の持っているあの光の先端を見るんだ。あなたが逃げようと視線を動かすほど、
「そいつ、って……!」
そこで、ようやく彼は自分の視界の端に蠢く
百足のように幾つもの関節を持つ長い体躯。体節ひとつひとつに異様に大きく生気のない目を持った人面が無表情のまま浮かび上がっている。
そして――これまで不意に視界の端から現れてはすぐにまた視界の外へと消えていた
「そうだ……そのまま目線を留めておいてくれ。珠緒も切っ先を逸らすな。意識を神断の先端に集中し、オレの合図を待て」
男性はここでようやく、知紅の意図はわからないながらも彼が自分を害しようとしているわけではないという確信を持った。
視界を逸らすなと言われた以上、彼はそうせざるを得なかったが、視界の外……彼がペンデュラムを掴んだ左手側の足元で、苦しげな息遣いが聞こえたからだ。
その息遣いが、自分の怖れていたあの大男のものだと気付くのに時間を要することはなかった。おそらく、自分の握るこのペンデュラムの力を維持するためか、あるいは自分が見ている景色を共有しているというなら、この「怪異」と呼ばれる悍ましく醜い化け物のせいか。なんにせよ、この大男が自分のためにこれほど苦しみながらも視界の「これ」を祓うため尽力してくれているのだとわかれば、せめてその指示に反することだけはすまいと覚悟が決まった。
「この怪異が視界や景色に干渉するタイプだというのは最初からわかっていた。だが不思議なのは、干渉する景色は常にこの不快害虫のような姿を維持している。つまり、この怪異は怪異には珍しく「明らかな核」といえる部位を持つということに他ならない。そしてこの不快害虫こそ、その「明らかな核」だとするのなら……あとはそれを引き摺り出すだけだ」
「引き摺り出すって……この気色悪い百足みたいなものを?」
「怪異といえど霊害には違いない。霊害であるのなら霊的存在にも違いない。だが霊でもなければ神でもない。極めて小さな形を持った自然災害だが……自然災害といえど極めて小さい形を持っているのならどうとでもなる。どうとでもしてみせる」
ついに視界の中心で身を小さく丸めるような形をとった怪異は、少しずつ……少しずつその曖昧で明確な形を、明確に曖昧に現実の世界へとまろび出す。
視界の中にしかいなかったそれが――景色という虚空から現実という実体に姿を変えた!
「今だ!」
「『
形を得た視界の怪異を待ち受けるように構えていた神断は、僅か刹那の猶予も与えることなく一瞬の殺戮を閃かせた。
「……お? やったカンジ?」
「手応えがありました。逃した感じはしません」
「こちらも、彼の視界から怪異の気配が消えたのを確認した」
男性の背を支えつつ神断の眩さを凌いでいた金恵がひょいと顔を出すと、珠緒と知紅は互いに視線を交えると、相互の情報を共有し合う。
「本当に……あれは消えたのか? もうあれはいなくなったのか?」
「今回の怪異の性質上、今すぐには判断できない。だがもし同じ体験をしたら渡した名刺に書いてある番号に連絡をくれ。アフターケアは無料でしよう」
そう言って男性を駅まで送ると、珠緒と知紅は同時に大きな溜息を洩らした。
「本ッッッ気で失敗したらどうしようかと思いました……」
「二度とやらんこんなぶっつけ本番のクソ作戦……」
「えっ何、どゆこと?」
金恵の問いに、二人はもう一度改めて先ほどの彼が周囲に居ないことを再確認してから「実は……」と今回の作戦について彼女に説明した。
「元々、視界の怪異を祓うのは彼の視界の中に留まった状態のアレをサクっと斬り祓うつもりで、彼の目や脳に後遺症を残さないために霊力コントロールの修行をつけていたんだ」
「ですが、その修行でわたしには「他者の生身」を考慮した霊力コントロールの才能がまったく無いことがわかりまして、急遽コントロールの方向性を「他者の霊的部分」に干渉するよう変えたんです」
「へー。でもまぁちゃんと修行したんならそんなにビビんなくても――」
「昨日から」
「やばいやつじゃん」
とはいえ修行でわかったことは、珠緒の神薙ぎとしての才能は「霊的存在」に対して極めて特化しているということだった。
特に今回のように、幾つかのコントロールバリエーションの中でも霊的存在を「引っ張り出す」「引き寄せる」「ひとまとめにする」という技術については抜きんでたものがあった。
今回、実は攻撃の瞬間までただ待っていただけのように見えた珠緒であるが、神断という補助装置を介して視界の怪異を彼の視界の中心に「引き寄せ」、現実世界に「引っ張り出し」、他者の景色に逃げないようその場に「ひとまとめにする」という、彼女の手札をありったけ注いだ技術によってようやく視界の怪異を討ち祓うに至ったのである。
が、実はこの作戦を思いついたのは金恵から連絡を受け、駅に着くまでの道中のことであり、
「ひょえっ……マジで? ならあの作戦ってさっき思いついたばっかの確証ゼロのやつ?」
「確証ゼロどころか立案した知紅さん自身が最後まで「他に何かないか……?」って他の方法を考え続けるくらいにはぶっつけ本番でしたよ」
「成功した時、心の中で「本当に引っ張り出せた……」と驚く程度には作戦に対して半信半疑だった」
珠緒のコントロール資質を理解した上でこの作戦を構築したことは間違いない。しかし「引っ張り出す」の範疇はどこまで可能なのか。「引き寄せる」は珠緒が見えないものに対しても有効なのか。「ひとまとめにする」はその場に縫い付ける意味も含んでいるのか、あるいは霊的集合体にのみ意味を為すものなのか。とにかく不確定要素ばかりの中で構築し、それらが全て知紅の想定をはみ出さなかったことでたまたま掴み取った成功だった。
「もうしばらく修行は続行だな。オレもその間は禍身祓いの仕事を少し減らして霊力の勉強に励むつもりだ」
「えっ!? じゃあ知紅さんお仕事減った分しばらくお家にいること増えたりします!?」
「たまチャン、それはさすがに下心みえみえすぎない……?」
結局、珠緒はしばらく帰宅後すぐさま知紅の家に突撃し続け、3回目あたりで
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