case-16 発見

 伊織いおりのアドバイスを受け、駅へと赴いた金恵かなえ

 しかし「すぐに見つかる」と言われた割に、それらしい人物などどこにもいない。

 この街の駅は確かに金恵の故郷の駅と比較するとかなり大きい方ではあるが、それでも都内では小さい方に入る。駅構内の飲食店や売店も含めて端から端まで見てみたものの、やはり不審な人物は見つからない。伊織の纏う不思議な雰囲気に騙されていたのだろうか。そんな猜疑心がほんの少しだけ思考に曇りをかける。それとも、彼の言う通り「節穴でなければ見つかる」というのなら、自分の目がそうであったという証左なのだろうか。


 誰の目にも明らかなほど意気消沈した金恵は、ひとまず日を改めるべきかと駅を出て帰路に足を向け――ふと気付く。

 先ほど、この駅に入って最初に見たファミリーレストランの窓際の席に座るサラリーマン風の男性。年齢としはまだ二十代後半くらいだろうか。社会人としては若々しく、かといって新社会人と呼ぶには自信と貫禄に満ちたその佇まいは、探し物に必死になっていた先ほどの金恵からしても印象に残っていた。

 だが問題は――その男性の様子が明らかにおかしいということ。

 さっきは本当にチラリと見ただけで、すぐに目的の人物のために視線をあちらこちらに動かしていたから気付けなかった。だが、あの男性はまるで時間でも止まっているかのように微動だにしない。そして、そんな彼がいつからこのファミレスに入っていたのかは知らないが、コーヒーカップを手にして口に運ぼうとするポーズのまま既に熱を失った食事は明らかに相応の時間の経過を思わせるにも関わらず、店員含め誰もあの男性の様子がおかしいことに気付いていない。


 彼が伊織の言っていた人物なのだろうか。だとすれば、連絡を入れた知紅の到着を待ってから声をかけるべきか。

 そう思案している時、彼女のスマホがバイブレーションし19:00を告げる。いつもならバイトの休憩時間。正直、お腹は空いていない。伊織と話したあのカフェで少し早い夕食をとってしまったからだ。だからというわけではないが、金恵はこのファミリーレストランに入らず、知紅を待つつもりだった。しかし、再び彼女が視線をその男に向けると、彼は何か落ち込んだ様子で届いた食事に手をつけていた。さっきまで凍り付いたように動かなかった彼が、その手を動かしてカルボナーラパスタをフォークで丁寧に巻き取り、口に運んでいる。

 止まっていたかのように見えたのは自分の目の錯覚だったか、とも思ったが、彼の表情からそうではないことを察した。あの落ち込みようはおそらく、注文したほかほかのパスタだったものが、今は冷たくなっていることに対する落胆と悲嘆。だがそこに憤りが含まれていないことからして、彼はこの奇妙な経験に遭遇することを予期していたかのようでもある。

 おそらく――今ここで話しかけなければ彼は早々にあのパスタを腹に入れ、ここを出ていってしまうだろう。


(伊織くんの口ぶりからして、あの人がここに来る頻度はそんなに低くないとは思う。けど、明日も会えるっていう確証があるわけでもない。あーしも学校とかバイトとかあるし、向こうも駅にこない日だってあるはず。なら、早い方が絶対にいい……!)


 意を決して店内に入った彼女は、「お好きな席へどうぞ」という店員の声を聞きもせず、真っ直ぐその男性の席へと向かった。


「お兄さん、こういうの見えてる?」

「え?」


 そう言って彼の座るテーブルに、怪異の予想図イラストが描かれた一枚の小さなメモを置いた。

 少々呆気にとられた様子の男性は、金恵が出したそのメモを見るなり明らかな動揺と困惑の表情を見せた。「当たりだ」と断じた彼女は、彼の向かいの席に座る。


「その感じ、見えてるってことでいい?」

「……君は? 君はが何か知っているのか?」

「あーしも詳しくは知らないけど、知り合いに詳しい人とどうにかできそうな子がいて、あーしはその二人とは別の繋がりで、それを探してた。で、今みつけた」

 

 注文をとりにきた店員に「ホットココア。会計別で」と告げると、その姿が見えなくなるのを確認してから話を続けた。


「ただ、あーしとしても確証は欲しいんだ。「それ」が本当にあーしの探してるものか。あーしの認識は合ってるのか。だから、ちょっとだけ話を聞かせてくんない?」

「……聞かせるって、何を?」

「なんでもいいよ。そいつが見えるってこと以外に、最近なんかおかしいなって感じたことならなんでも。タンスに足の小指をぶつけやすくなったとか、なんにもないとこで転びやすくなったとか、そんな感じでもいい。なんでもいいから違和感を教えてほしいんだ」


 これは金恵が自分なりに捜索を続けると言った時、知紅が「もしも見つけられたら訊いておいてほしい」と言われたことだった。

 本来、怪異の性質はとても複雑怪奇だ。今回のような「視界にチラつく」というだけの怪異であっても、それとは異なる性質を併合している可能性は大いに考えられる。

 だからこそ、対象をその場に留める意味も含めて、その性質を精査する必要があったのだ。


「明らかにおかしいことなら、ひとつあるよ」

「それは?」

「ここで注文した料理が気付いたら冷めきってることが何度もあった。今もね。パスタは食べてしまったけど、このコーヒーもそうだ。冷たいだろう?」

 

 そう言うと、男はそのベーシックな陶器のマグカップを金恵の前に置いた。中にはコーヒーが入っていて、マグカップを触ると生温さも感じさせない冷たさが彼女の柔い皮膚を苛んだ。

 通常、アイスコーヒーならガラスかプラスチック製の透明な容器に入れて運ばれてくるはずだ。この分厚い白に覆われたマグカップは、紛れもなく熱を封じ込めていたに違いない。


「お兄さん、もしかして最近は朝も夜もここで食べてたりしない?」

「ああ、鋭いね。そうだな……今にして思えば、ちょうど「これ」が見え始めた頃からかな。普段は朝食というか、コーヒーを一杯だけだったんだが、ある時期から食事もここで済ませるようになってね。そう考えると、それもというべきだったのかもしれない」


 それが果たして怪異の「性質」や「本質」なのかはさておき、少しずつであるが金恵は彼の「違和感」の正体と経緯に気付きつつあった。


「……お兄さん、サラリーマンとかそういう感じの仕事してるよね? スーツもしっかりキメてて、靴もピカピカ。髪も清潔だし……営業系?」

「すごいね。まるで推理小説の主人公みたいだ」

「いやー、女の人ってけっこうそういうトコちゃんと見てるよ? 服装がダメな人はそもそもセンスからダメ。髪型が雑な人はまず清潔感がない。靴が汚い人はお金に余裕が無い。……っていうのは、まぁけっこうファッション誌のミニコーナーとかの受け売りだったりもするんだけど、まぁなんだかんだそこまで大きく外れたりしてないんだ、これが」

「女性って怖いな……」


 やや肌色から血色が引いたのを見て、さすがに言い過ぎたかと金恵は苦く笑う。


「ま、とにかくサラリーマンなら無断欠席とかご法度だと思うんだけど、お兄さん今日一日なにしてた?」

「今日? 当然仕事に行ったよ。朝ここで食事をとって、日中は仕事をして、ついさっき……ほんの5、6分くらい前にここへ……」

「ダウト」


 金恵は男性のコーヒーの横に添えられていたコーヒーフレッシュを手に取ると、運ばれてきた自分のホットココアにそれを注いだ。


「あーし、イラストそれと同じものが見える人を探してたって言ったじゃん? で、20分くらい前からこの駅の端から端まで探してたんだよ」

「……それで?」

「お兄さん、あーしがこの駅に入った時にはもうこのファミレスにいたよ。ここ、西口玄関あそこから丸見えだしさ」


 そう言って金恵はこの席に並んだ窓から外の景色を指さした。

 するととうとう男性はさっきの比にならないほど顔を青褪めて、金恵に「少し失礼」と断りを入れるなり、スーツの内ポケットからスマホを取り出して席を立った。

 

「はー、やっぱこういう時に飲むあったかいココアっておちつくー……」

「落ち着くのは結構ですけど、普通に危ない橋を渡っていることは自覚してくださいね?」

 

 ふと視線を上げると、そこには見知った男女がココアの美味しさにふやけた金恵の顔を呆れるように見下ろしていた。


「たまチャン! チアキさんも!」

「今、随分と顔色のよろしくない男性とすれ違いましたけど……あの方が?」

「ぽい感じ」

「それで、何か彼から話を聞くことはできたか?」

「うん。あのお兄さんが来るまで、その話をしよっか」





「なんか増えてる……」

「食後の憩いのひと時を邪魔したようですまないが、そちらにとっても必要な話だと判断してお邪魔している。自分がそちらの会計も持たせていただくので、もう少し付き合ってくれないか」

 

 ほんの5分ほどで、金恵たちの向かいの席に座すべきその人物が戻ってきた。

 彼はこの僅かな時間でさらに二人……どちらも長身の男女ということもあり緊張した面持ちで対面に座ると、話を続けることに頷いた。

 おそらく、彼としてもその視界に映るものが何かは気になっているのだろう。


「失礼、オレはこういう者だ。隣の少女は姪の珠緒たまお。こちらの少女から、あなたが遭遇している怪異の収束を依頼された」

「『"禍身祓い"呉内知紅くれないちあき』……?」

「胡散臭いと思うかもしれないが、付き合ってもらえないか。一応、今回の料金は既に古鐘に請求することになっている。対処後、もし同じ現象が起きるのなら、それは無料で処置を行う。そちらにとって損はないはずだ」

「えっと、その古鐘さんというのは……」

「あっ、まだ自己紹介してなかったっけ。あーしのことだよ。古鐘は苗字だけど!」


 はいはーい、とぷらぷら手を振る彼女に緊張感を削がれつつ、男性は「いやさすがに女学生にお金を出させるわけには」と断る。


「これが見えなくなったら、ちゃんとお金は僕が払います。当事者ですし、何より大人としての矜持もあります」

「いいの?」

「もちろん。だってこんな本職の人が来るくらい、はよくないんだろ? よく見つけてくれたよ、本当にありがとう」

 

 そう言ってにこやかに笑むと、彼は知紅に視線を向け、「それでどうすればいいんですか?」と訊ねた。


「まず、今のそちらの現状について説明させてもらう」

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