case-14 霊力の性質

「……これは?」

「見ての通り、人体模型だが」


 翌日から知紅ちあきの指導の下、珠緒たまおの修行が始まった。

 学校では理知的な文武両道の完璧超人みたいなイメージで通っている彼女だが、実際のところ珠緒は頭で考えるよりも感覚で覚えるタイプであることを知紅は理解していた。

 そんな彼女のために、霊力のコントロールや神断の扱いなど、体で覚えられることはできるだけ口ではなく実際に体を動かして覚えてもらうというのは理に適っていた。

 そして、その実践形式の鍛錬に用意されたのが――珠緒そっくりの見た目をした人体模型であった。

  

「動いているようですが?」

「通常の人体と同じ駆動範囲内であればオレの霊力で操作可能な特殊シリコン製だ。知り合いの呪具師に造ってもらった」


 知り合いの呪具師というのは、珠緒もなんとなく「あの人かぁ」と思い当たったものの、問題はそこではなかった。

 霊力操作の教導に用いる特殊シリコン製の人体模型というのは、一般的に学校の理科室などに置かれるような半身の臓器を露出するタイプのものではなく、外見はほとんど通常の人体と同じように筋肉や脂肪シリコンの上から人工表皮を被せ、霊力回路の動きを視覚的に捉えやすいよう霊力に反応する特殊発光ダイオードを埋め込んだもののことだ。

 呪具と聞けばおそろしい呪いをかける道具というイメージがどうしても先行するが、実際のところ呪具とは「のろいの道具」ではなく「まじないの道具」が本質だ。

 霊力を持っていてもそれを制御する術を持たない者の助けになったり、霊能者として自分の霊力をコントロールする際にその補助を行ってくれるまじないをかけることを生業とするのが呪術師であり、それを道具という形で簡略化して呪術師を頼る手間を省いたものが「本来の呪具」であり呪具師なのである。

 

「背丈や顔つきや体格がわたしとそっくりなのは?」

「お前の修行のために使用する都合上、珠緒そっくりにしてもらった」


 しかし、珠緒が憂慮しているのは呪具云々ではない。問題は――その人体模型があまりにも自分そっくりであること。

 わかっている。この生真面目でちょっと天然の入った知紅が、本当に下心など一切なく珠緒そっくりの人体模型を依頼したことは。だから問題はそこでもない。いや少しくらい問題かもしれない。人体そっくりの触感がある自分そっくりの等身大人形があるなら男性として少しくらい下心が湧いても致し方ないというか、彼を慕う側からするとなんの意識もされない方が少しショックというのもある。――が、そうではない。そうではないのだ!

 

「ああ、安心してくれ。都合上、写真は見せたが個人情報については信用できる相手だ」

「そうじゃなくて、これ造ってもらったってことは製作者の人はこの人体模型の服の中身まで全部見てるんですよね!?」

「大丈夫だ、あいつは人体模型には興奮する特殊性癖の変態だが、生身の人間には一切興味が無いからお前が狙われることはない」

「余計怖いじゃないですか!」

 

 確かに珠緒に対して直接どうこうすることはないだろうが、人体模型に興奮する変態が自分の人体模型を造ったと聞いて何を安心できるだろうか。

 既にこれと同じものを複製して興奮の的にしている可能性もゼロではないし、現状そうでなくとも同じものを作るだけの材料と技術を持つ相手に外見のデータを与えたというだけで今後それが製造される可能性は大いにあるのだ。それを恐怖せずしてどうしろというのか。

 しかし、この恐怖感に関しては二人の認識にどうしてもズレが存在した。それは二人の性差によるものだけではなく、単純に製造者の人格を知っているかどうかにあった。

 この人体模型の製作者となった人物については、知紅はもちろん珠緒も面識は何度かある。言ってはなんだが、あまり女性から好まれそうな外見ではなく、衣服にもあまり頓着しない人だろうという考えは、第一印象から今に至るまで変わっていない。人と会うのに寝ぐせも直さずサンダルで来るのは、お世辞にも好印象は抱けなかった。加えて、常に猫背で俯いたまま会話をするというのも、彼女の印象をさらに悪くさせた。

 ――が、そんな相手でも長年付き合いのある知紅からすると、彼は「他人や世間の視線を気にしていないというか、モラルやマナーに難があるだけで、人として当たり前の良識やルールはきちんと守る人物」だそうだ。だから仕事で得た他人の情報を第三者に洩らすことは当然ながら在り得ないし、それを自分の性癖のために悪用することも無いのだという。故に、仕事で凄く好みの体格をした依頼が来ると「造っている時は天国だがその後は地獄」ということもあるのだという。


「怖くないから安心して修行に集中しろ。ひとまず、これを使ってお前の霊力のめぐりを説明するぞ」


 まだ何か言いたげな珠緒の憤慨をシャットアウトして修行の内容へと話題をシフトさせた知紅は、さっそくその人体模型の背部ユニットにペンデュラムを接続して傀儡師のごとくを操ってみせると、まるで本当に珠緒の分身がそこに生きているかのような微細な仕草や表情をコントロールしてみせ、彼女を驚愕させた。


「えっ……これ、生きてませんか……?」

「急にどうした」

「まさかこの細かい仕草とか表情の動きも知紅さんが意図的にやってるんですか?」

「まぁ動作確認も兼ねてるからな。しかしやはりあいつはいい仕事をする。これだけ駆動部位が多いものは初めてだ」


 手足や上体の動きを観察するために駆動部位を増やすところまでは理解できるが、表情筋と目・口の開閉まで再現したのはさすがに変態というしかない。しかし、それでも呪具師としての技術は一級であることに間違いはなく、珍しく知紅からも感嘆の声が洩れた。


「手足の指は各関節ごとに操作可能。右目・左目もそれぞれ別々に開閉の度合いを調整可能。呼吸による胸部・上体の動きも完璧。加えて歩行時の重心移動はある程度なら自動で……凄いなこの人体模型。原動力が霊力でさえなければスポーツ指導の教材として引く手数多だろうな。ん……? 少し足の駆動に違和感があるな。ああ、大腿部が発達しているせいで太腿の内側が干渉してしまうのか。確かにこれでは歩きづら――」

「待ってください。もう本当に待ってください! すごく真面目にわたしの足が太いって言うのやめてくれませんか!?」

「安心しろ。あいつは服の上から相手の体格をミリ単位で把握する変態技能を持っているだけで、決してお前の裸体画像をなんらかの手段で得たわけではない」

「もっと気持ち悪いじゃないですか!!」


 服を着ていてもその中身のデータを把握できてしまうということは、実質どんな格好でいても道を歩けば全員全裸で見えているのに等しい。というのが珠緒の意見。

 だがこれについては呪具師の彼も仕事のために必要に駆られて得た技術であって、さすがに集中してきちんと観察しなければできないし、普段からそんな変態技術を駆使して街をうろついているわけではない。そもそも街にあまり出ない。なんなら人体には本当に興味がないので仮にわかっても興奮しない。


「よし、だいたいの挙動と駆動範囲は把握した。ではまず、珠緒が神断を生成する際の霊力のめぐりと、神鳴一閃かみなり・にそういらずにおけるそれの違いについてだが――」


 人体模型の精巧さと呪具師への信用についてはともあれ、確かにこれを用いた知紅の説明は感覚派の彼女にも理解しやすかった。

 彼が説明上手であることに加え、普段は感覚だけでしか把握できない霊力の動きを視覚的に捉えられたことで、意識的なコントロールのイメージを掴みやすかった。

 さすがに珠緒を模したとはいっても人体模型が神断を生成することは不可能だったが、知紅の霊力コントロールの精度と持ち前の器用さのおかげか、細目の物干し竿と釣り竿を改造して造られた連結伸縮式打撃棍フレキシブルロッドを装備させた人体模型は珠緒の稽古相手として十分な実力を発揮した。これは知紅自身も予想していなかったことだが、彼は自分に禍身を討つ力がないことは自覚していたものの、人体模型を駆使したその戦闘技能は紛れもなく禍身と対峙するに足るだけの実力を見せたのである。


(すごい……! わたしの攻撃を全て防ぐだけじゃなく、たまにこちらの攻撃をひと呼吸前の段階で詰め寄ることでそもそも攻撃そのものをキャンセルさせられる……!)

 

 これまでも彼は自分が戦えない分、誰かに指示を出すことで不利とされる戦況を幾度となく有利なものへと変えてきた。それは前線から一歩引いたところで広い視野を得ることで、ひと呼吸分の落ち着きと冷静さを保ちながら戦うスタイルと、彼の膨大な知識と明晰な頭脳がこれ以上なくマッチした結果だということは珠緒でなくとも彼らの業界の者なら多くの者が知るだろう。しかし、それは同時に彼が「禍身と戦えない」ことを補強する要因にもなっていた。

 だが……、


「どうした、霊力のコントロールが雑になっているぞ。神断にばかり霊力を注ぐな、全身の回路を意識しろ。神断に一撃必殺の威力があるなら大事なのは機動力だ。爪先の向きと重心でフェイントをかけろ。足裏や脹脛ばかり意識せず、下半身全体が連動して動いていることを忘れるな。よそ見をするな常に相手の視線と重心を把握しろ」

(霊力の総量が変わってるわけでも、あの人体模型が凄く強い力を持ってるわけでもない! 持ち前の観察力と判断力でこっちの嫌なところばっかり突いてきてるのと、知紅さんと人体模型の制御レスポンスの精度と速度がえげつないだけ……だけ、なのに! それがこんなに強いなんて……!!)


 そもそも、知紅の言うところの「禍身を祓えない」というのは、決して彼自身の戦闘能力の低さを表すものではない。

 霊能者としての修行の一環として精神と肉体の鍛錬はもちろんしているし、少なくとも身長209cmで鋼鉄の鎧のような筋肉を纏う男が単純な暴力で負ける理由などない。

 霊力の制御・コントロールは言うまでもなく、霊の探査・性質精査・封印、さらに各霊ごとの適切な対処なども熟知していることからもわかるように「禍身が祓えない」というよりも「禍身を祓う以外ならなんでもできる」というのが正しい。ではなぜ、彼は禍身を祓うことだけはできないのか。それは単純な霊力総量や戦闘技能ではなく、彼の霊力そのものが「禍身を祓う」ということに向いていないのである。

 

(そうか、今までわからなかった知紅さんの霊力の性質って……!!)

 

 神薙ぎとして、神や禍身を討つことに特化した存在として生まれた珠緒が顕著な例であるように、そもそも霊力にも様々な性質がある。

 霊を討つための霊力。悪霊を浄化するための霊力。霊を導くための霊力。霊を慰めるための霊力。

 そんな中、彼の持つ霊力の性質は――。


(『自らを律するための霊力』……!)


 霊力を制御し、精神を制御し、肉体を制御する。

 自分を縛るための『抑制』ではなく、自分の望む結果のために自分を最も効率よく動かすための『制御』こそ、彼の霊力の性質であったのだ。

 そして今――彼は人体模型という「もうひとつの自分アバター」を得ることで、その才能を真に開花させたのである。


(珠緒の動きはよくなってきているが……おかしいな、対処可能な範囲だ。やはりどこか集中しきれていないのか?)


 ――が、今はまだ本人がそれを自覚できていないため「壊してもいいからちゃんと目の前の相手に集中しろ」と意味もなく珠緒に課したハードルが上げられたという。

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