case-11 悪縁を断つ

 九尾の禍身との交戦に入り、対話の果てにコンディションオレンジとなって早1時間。

 自ら浄化を受け入れるため必死にケガレをその場に留める母禍身と、ケガレバコから母禍身を守ろうとする地縛禍身、そして知紅ちあきを含めたベテラン禍身祓い10人による浄化作業は、確かに母禍身と地縛禍身からケガレバコを切り離す兆しを見せていた。しかし、兆しは兆し。ここは一般人も立ち寄る森林公園のど真ん中。公園外周からでも見つかるこの場所は、早朝ジョギングに来る者の目につかぬようにコトを済ませねばならないと思うと、タイムリミットは自然と短くなる。

 ケガレバコは、母禍身の霊魂中枢――胸の中心部からようやくその一部を露出させたばかりで、あれを全て抜き出すためにどれだけの時間と労力を要すのか、わからない知紅ではなかった。

 それは彼だけではない。大鐘院だいしょういん鷹森たかもりといったトップクラスの腕利きを除いても、そればかりか最も実力の低い滝原たきはらでさえ、それは理解できている。


(全員の体力・霊力の限界が、ケガレバコの摘出に間に合わない……!)


 誰もがそれを理解していた。理解してなお、誰も「浄化」を諦めようとはしていなかった。

 そもそも、禍身という存在そのものがオカルトである以上、禍身祓いもまた一般的に見ればマイノリティな職業だ。必死に禍身と向き合って人助けをしても、その解決手段が目に見える方法ではない以上、報酬を渋られることもあれば悪質な値切り、時には無報酬でやれと強要されることもしばしば。多くの禍身祓いが報酬を前金と成功報酬に分けるのはそうした背景があるからで、鷹森のように成功を前提として前報酬で一括受け取りとし、失敗時に成功報酬分を返金するという者も少なくない。

 つまりは、多くの人にとって禍身という存在が目に見えない以上、彼らの努力や命懸けの戦いもまた、多くの人に知られることがない。

 それでもなお、彼らがなぜ命を懸けて禍身と向き合うのか。それは――憐れみの心を持つからである。


 あのプライドが高く高慢不遜な態度をとる大鐘院も、金にがめつく口調の荒い鷹森玲子たかもりれいこも、禍身に親を殺され禍身を「祓う」ことだけに特化した滝原孝介たきはらこうすけも――誰もが神霊を尊び、禍身を憐れむ気持ちを失っていない。失えない。

 生きとし生けるものは全て、一秒前よりも未来に向かって成長する。しかし命を失ってなお此の世に留まる魂があるのは、彼らが過去に縛られているからだ。未来に向かう意思を奪われているからだ。そこに付け込まれ、過去も未来も闇に隠す「ケガレ」を塗りたくられ、自分が進むべき道も留まるべき居場所も見失った魂が、嘆きと憎悪を込めて叫び上げた時――彼らは禍身となる。だから、禍身祓いとは禍身を殺すのではない。禍身へと堕ちた霊魂に憐れみの心を持って向き合い、禍身を禍身たらしめるケガレを祓い、過去に縛られた霊魂へ浄土みらいへの道筋を照らすことを使命とするのだ。


(厄介だ……母禍身か地縛禍身、片方ずつ順番に浄化できれば、ケガレバコの摘出は難しくはない。しかし、地縛禍身を先んずれば彼らによって負担を軽減されてようやく自我を保っている母禍身はケガレバコの浸食に耐えられず完全に墜ちてしまうだろう。逆に母禍身の浄化を先んじてしまうと、地縛禍身たちは「地縛対象」を失い急速に力が衰え、溜め込んだケガレに呑み込まれて輪廻に戻れなくなってしまう。だが二者択一では意味がない……そんなもの、オレでなくとも誰も望んではいない! 母神と幼霊たちを浄土に還し、転生の輪に戻るまでが禍身を祓うオレたちの役目だ!)


 何かあるはずだ。最大の窮地にこそ最大の転機が潜んでいるものだ。そう自分に言い聞かせる知紅の瞳は、決して一点だけでなくこの状況を取り巻くあらゆる要素を観察していた。

 そして、そんな彼の瞳の動きを、いくらかの禍身祓いたちもまた気付いていた。そして、その瞳が動き続ける限り、自分たちには転機があるのだと信じていた。


(あの九尾は、実のところ伝承に聞く九尾の狐ではない。あくまで九本の尾と狐の耳のように、11体の幼霊の集合体が地縛禍身となって母禍身に取り憑いているだけに過ぎない。腰にしがみつくのは、母親に対する信頼、甘え、訴え。頭にしがみついているのは母親の表情を隠そうとする行為だ。即ち、彼女の怒りや憎悪に対する恐怖を意味するが、2体の幼霊はそれを覆うことで彼女と、彼女の感情に怯える他の幼霊たちを守ろうとしている)


 非常に珍しいことだが、禍身と堕ちてなお、これら2体の禍身は互いを信頼し合い、そして思い遣り合うことで存在を維持している。

 少なくとも、この強固な信頼を打ち崩すことで得られるのは浄化でないことは、誰の目にも明らかだ。

 だが、この浄化作業で禍身祓いたちが疲弊するのと同じく、母禍身と地縛禍身たちもまた、己を律し互いを律し合うことに必死であった。理由は言うまでもなくケガレバコの存在。


(ようやく、ケガレバコのピースの大きさが見えてきた……母神に至りかけていた徳のある慈母霊を堕とす時点で相当だと思ってはいたが、よもや63ピースレベル7とは……!)


 それは、知紅が頼れるありったけの伝手を頼り、万全を期してようやく被害ゼロに留めることのできる限界ギリギリ。

 仮にこの浄化作業を奇跡的に達成できたとして、疲弊しきったこのメンバーで解呪に臨めばほぼ間違いなく解呪どころか死者を出すほどの強力な呪いの結晶であった。


(……このままでは母禍身と地縛禍身だけでなく、オレたちも共倒れだ。せめて、あのケガレバコの摘出だけでもできれば……!)


 一手、あのケガレバコの解呪とまでいかずとも、あのケガレバコを母禍身から切り離す一手があれば、あるいは……。

 そう考えていた時、知紅の耳に「それ」を詠う声が届いた。



 ――開けよ、黄泉の路へと続くとびら。

 ――明けよ、君の路をも照らすひかり。

 ――神すら知らぬ遥かな旅路。

 ――我が導きに委ね参れ。



「……こんな夜更けに出歩くなんて、悪い子に育ったものだな」

「あなたの姪っ子ですから」


 青白く燦然と輝く雷霆を携えて、真っ赤な瞳が九尾を睨む。

 数名の禍身祓いたちが驚愕と困惑の視線を送る中、知紅は声を大きく轟かせた。


「具体的な説明をしている暇はない! あの九尾を傷付けず、胸から出ている箱だけを摘出するんだ!」

「難しい注文ですね……」

「お前とお前の神断なら出来る! 本来「神を断つ」ことに特化したそいつが神や禍身だけでなく霊魂や悪夢さえ断てるのは、お前がそれを望んだからだ! お前がそうあれかしと願ったからだ! 神断とは雷霆の刃ではない! お前の心が刃となったものだ! だから、お前が望むのならあのケガレバコと九尾の「縁」を断てるはずだ!」

 

 だから、お前を信じるオレを信じて刃を立てろ!。


 そう叫んだ彼の声が届くとほとんど時を同じくして、珠緒が九尾へと駆け出した。

 突然の闖入者に、母禍身を守ろうとする地縛禍身がその尾を突き立てるが、彼女はそれらすべてを柄で弾き、母禍身から分離して飛来する九つの尾を躱しながら本体に接近。

 しかし、母禍身の頭部にしがみついていた二つの耳までもが地縛禍身だということを知らなかった珠緒は、神断を振るおうと大振りになった瞬間をカウンターされ、一気に距離を離される。即座に受け身をとり、11体の地縛禍身たちがまるでブーメランのように珠緒を攻め立てる中、そのすぐ後ろの母禍身が呻く。


「珠緒! 神罰かんばちで地縛禍身の動きを止めろ!」


 知紅の指示に、珠緒は一切の迷いなく神断を地面に突き立て両手を合わせた。


「『神罰』!」

「きィあああァァァァ――!?」

「えぇェェいいィアぁぁィ!」


 動きを制限させる程度の威力に抑えたとはいえ、幼霊を攻撃され怒りを露わにした母禍身が珠緒に迫る。

 おそらく魂が「あやかし」となりかけているせいだろう。耳と尾を失いながらも四足歩行で鋭い視線を向ける彼女は、その長く鋭く尖った爪を珠緒へと振り下ろすが、彼女はそれに怯える様子もなく神断を構えた。


「『神鳴一閃かみなり・にそういらず』」

 

 突き立てたいかずちの槍は母禍身の胸からわずかに露出したケガレバコを確かに捉えながらも、決して母禍身を貫くことなく悪しきものだけを拒絶するかのように軽やかに突くと、を母禍身の背中から弾き出した。


「目は覚めましたか?」

「えェ、あぁァ……!」


 動きの止まった母禍身を、再び知紅のペンデュラムと幾つかの数珠が拘束。今度は同時にではなく、母禍身と地縛禍身を当初予定していた2チームに別れて浄化を再開する。

 知紅は珠緒に「もういい」と告げると、彼女は手にした神断を虚空へと還し、彼に倣うように母禍身へと祈祷を捧げた。

 

「お前は先に戻っていろ。後はオレたちでなんとかできる」

「わかりました。ではあとでご褒美にハグでも――」

「ご褒美に説教一時間と紅莉に報告」

「そんな……仮にも知紅さんのピンチを助けた形なのに……」


 それはそれ。状況がどうあれ、今は日付も変わった深夜も深夜。おそらく強大な禍身の気配を感じて来たのだろうが、一緒に来いと言われなかった時点で知紅は彼女がここに来ること自体好ましく思っていないのである。それは彼だけでなく、彼に押し付けられたとはいえ珠緒を養子に迎え、本当の娘のように可愛がっている紅莉も同じ。しかも説教は紅莉の方が長いことからしても、知紅以上に愛情をもって接しているのがわかる。わかっている。だからこそ、こっそり抜け出してきたのだろうが……焼け石に水どころか裏目に出ていることに気付いていない。


「紅莉の怒りのボルテージを上げたくなければ早く帰れ」

「帰ります! では知紅さん、また後で! うぇぇーん、どうしてこうなるんですかーっ!」


 泣き言を洩らしながら駆け足で帰っていく神薙ぎたまおの姿を、周囲は唖然とした様子で見守っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る