case-10 九尾の禍身

「慈母禍身、ねぇ。知紅ちあきの見立てなら間違いないだろうけど、あんまり相手にしたくない類だなぁ」


 その夜、知紅は滝原たきはらの他、有志八名の禍身祓いと共に慈母禍身との対話に臨んでいた。

 いつものように、ペンデュラムのついた指輪リングを右手に嵌め、禍身の気配を探るその様子を、多くの禍身祓いが真剣な眼差しで見つめている。彼らは、知紅の呼びかけに応じて全国各地から集められた優秀な禍身祓いである。下は30代前半、上は60弱程度だと滝原は聞いている。だがその目つきは未熟な若者を小ばかにするものでもなければ、生温かく優しいものでもなかった。


(あの高慢ちきで有名な青森大霊山の大鐘院厳徳だいしょういんげんとくだけでもハラいっぱいだってのに、大金が出なきゃ梃子でも動かないベテラン禍身祓いの鷹森玲子たかもりれいこまでもが、プライドや報酬を度外視して知紅の呼びかけに応じてここにいる。だが……さて、知紅の手札をどれだけ盗めるか、見ものだな)

 

 知紅の持つ技術の中に、彼の才能が関与する部分は「霊能力を扱えるかどうか」以外にはない。言ってしまえば、その手順と理屈を同業者に見せてしまえばいくらでも盗むことができるのである。――理論上は。

 しかし、その技術を彼が扱う領域にまで練り上げるとなると、話は大きく変わってくる。


「……見つけた。では改めて、今回の任務の概要を説明する。みなは準備に不足はないか確認しながらでもいいので聞いてほしい」

(さて……どうなるかな)

「今回の依頼内容は子供たちの奪還。禍身祓いとしての任務内容は母禍身を祓う、あるいは浄化すること。注意点として、母禍身にはレベル5以上のケガレバコが使用されている可能性があること。これらはそれぞれ電話口でも話したと思うが、今一度きちんと覚えておいてほしい。特に依頼内容について。親からすれば、禍身がどうなるかよりも子供の安否の方が遥かに大切なはずだ。そのため、オレたちも子供たちの奪還を最優先に動く必要がある。万が一のことがあれば、依頼は無報酬ボランティアになると思っておいてくれ」


 何人か頷き、何人かが顔を顰める。ただでさえ禍身祓いなどという命懸けの仕事を、無報酬で終えることだけは避けたいと考えるのはおかしなことではない。


「それと、今回の母禍身は少し状況が複雑だということが判明した。滝原、事前に判明した経緯を説明してもらえるか?」

「あいよー。じゃあ言われた通り、母禍身の概要についてざっくり説明すんぞ。こいつの生前の名前は「野谷睦実」享年49歳。人当たりがよく愛嬌があり友人や近隣の住人から慕われる女性だったが、残念ながら子宝に恵まれなかったらしい。死因は当時流行していた感染症による病死。これについては特に不審な点はない。だがやはり子供好きなのに子供を作れなかったのは未練となったのか、住んでいたアパートを中心として近所の子供たちを見守っていたとのこと。時には悪霊に苦しむ子供やその親を助けることもあり、着々と徳を積んであと少しで母神に至るかも……ってところで、ケガレバコの登場ってワケだ。可哀想だね」

「加え、母禍身となってからも面倒が重なった。彼女がケガレバコに冒された際、同時に彼女が守っていた幾つかの幼霊も取り込み、彼女を守るための地縛禍身じばくがみと化してしまった。本来、一ヶ所に留まることのない母禍身がこの森林公園から離れないのも、おそらくそれが原因だろう」


 そう、実は子供たちが最後に発見されるのは、常にこの公園の敷地内のどこか。

 端から端まで約5kmあるというこの公園のどこかで禍身隠しが起きているのだ。


「現時点ですべてを把握したつもりになるのは危険だが、おそらく母禍身はケガレバコによって魂が堕ちきる寸前で耐えながら、地縛禍身となった幼霊を浄化できる存在を待ち続けているはずだ。だがそんな母禍身を見て地縛禍身がケガレバコの負担を請け負っている。つまり、母禍身は地縛禍身が被害者を出さないよう守りながら縛り付け、地縛禍身はケガレバコから母禍身を守るために縛っているというわけだ。そして、それらは今も極めて奇跡的なバランスで保たれている」

「それも事前にわかっていたのか?」


 だとすれば幾つか準備も違ったものを、と言いたげに眉を顰める大鐘院に対して、知紅はなんということもないように告げる。


「いや、経緯はオレの推測だが、今ここで霊痕を辿ってわかったことだ。母禍身にしがみつくように、地縛禍身と化した幼霊の集合体がいる。ケガレの動きを見るに、さほど間違った見立てとは思えないが、そこは実際に見てみないとわからないな。あくまで可能性のひとつに過ぎないことにもかかわらず、断定するような言い方をしたのはすまなかった」

「……ふん、貴様なりに根拠を持った発言なら構わん」

(こっっっわ……やっぱ大鐘院やべーわ。威圧感だけで禍身をビビらせそうな雰囲気がある。知紅も知紅で当たり前のように受け流してんじゃねーぞボケ、心臓に針金でも生えてんのか)

 

 滝原の愚痴は口を衝いて出ることもなく、知紅の話が進んでいく。


「この任務の核となる部分は大きくわけて3つ。地縛禍身の浄化、母禍身の浄化、ケガレバコの解呪だ。オレは主に後者二つを中心に行い、地縛禍身の対処は大鐘院、北条、円徳寺の三名で行ってもらう。幼霊とはいえ、無数の霊の集合体がケガレバコで大幅に強化されている。油断しないでくれ」

「承りました」

「任せてくれ!」

「ふん、誰に口を利いている。当然だ」


 大鐘院が抜きんでているとはいえ、そもそもここに集められた時点で全員が日本有数の腕利きばかりであることは証明済み。

 北条と円徳寺もまた、知紅ほどでないにせよ三十代後半という若さで層の薄い「ベテラン禍身祓い」に名を連ね、そしてその実績をして先輩禍身祓いたちを黙らせてきた。そんな彼らだからこそ、禍身祓いに必要なのは無意味な年功序列ではなく圧倒的な実力であることを知っている。知紅も、大鐘院も、性格は真逆だがどちらも二人にとっては敬意を向けるべき偉大な存在なのだと疑わない。

 

「残りのメンバーはオレと一緒に母禍身の対処だ。作戦は段階的に「対処法コンディション祓うレッド」「対処法コンディション浄化するオレンジ」「対処法コンディション対話するグリーン」に分けて行う。具体的な役割分担は各々のスマホに今しがた送信した。確認してくれ」


 知紅に促され、全員がスマホを確認する。

 

 母禍身チームのグリーン。呉内が主導となって対話を行う。他のメンバーは対話の伝達に洩れがないか、相手の行動・言動に異常がないかを観察すること。

 母禍身チームのオレンジ。全員で浄化を行う。全員、相手の行動・言動に異常がないかを警戒すること。

 母禍身チームのレッド。呉内が指揮を行い、滝原・鷹森を中心として全員で連携をとること。


 地縛禍身チームのグリーン。北条が主導となって対話を行う。他のメンバーは対話の伝達に洩れがないか、相手の行動・言動に異常がないかを観察すること。

 地縛禍身チームのオレンジ。全員で浄化を行う。全員、相手の行動・言動に異常がないかを警戒すること。

 地縛禍身チームのレッド。大鐘院が指揮を行い、全員で連携をとること。


 それぞれの対処法コンディション移行シフトする権限は呉内・大鐘院が持つものとする。


「全員、異議・意見はあるか?」


 知紅が周囲を見渡すが、全員の表情は引き締まるばかりで言葉ひとつ、身じろぎひとつない。

 とうとう、その時が目前に迫ったことをここに居る誰もが気付いていた。


「……まさか、向こうからお出ましとは。こちらから行く手間が省けた」

「あァ――ェえィィあぁぁあァ――!」


 その姿――凄惨にして厳格とはまさにというその容貌に、誰もが息を呑んだ。

 子に仇為す者への怒りかその両目は吊り上がり、ヒトであることを捨て去るように両手両足を地につけて威嚇する様子は獣そのもの。そしてその腰に巻き付き9本の尾のように伸びたの地縛禍身の魂は、苦悶の表情を浮かべている。


「黒い、九尾……!?」

「違う。地縛禍身のケガレが全身に巻き付いて見えづらくなっているが、ケガレバコの影響を受けてなお、狐そのものは白く輝いている。相当な慈母神となれたろうに、憐れな……!」


 母禍身と地縛禍身が一体化した――『九尾の狐』にも類似する禍々しさと神々しさを併せたその威容を、十人の禍身祓いたちが取り囲む。


(乞い申す、乞い申す。我が意を悉く知り致し、我が意を悉く酌み致し、遠く尊き御君に届き給え)

(禍つ者ども、穢れし者ども。化生と成り果てし愚かしく尊く愛しき者ども。現世に縛られ嘆く我が声に応じよ)


 禍身祓いたちがペンデュラム、数珠、祝詞、霊紋、経文書などそれぞれの方法で九尾の身体を縛りつけ、その隙に知紅と北条が母禍身と地縛禍身へと語り掛けるが、相手は禍身の中でも極めて高位の神になりかけていた慈母神が堕ちた禍身。ベテランの禍身祓い十人がかりでようやく均衡を保っているという状況だけで身震いするほどに強大であった。

 知紅としても、そして同じく北条としても、このクラスの禍身を相手に「対話」からスタートというのは異例であった。なぜなら禍身は人の話を聞かないからである。

 神でさえ人の話を聞かないことがあるのに、禍身が人の話を聞くことなどまず有り得ない。それでも、知紅はこの九尾の禍身どもに対して、対話から入った。


「えぇい、まだか!」

(乞い申す、乞い申す。遠く尊き御君よ――!)

(化生と成り果てし、愚かしく尊く愛しき者よ――!)


 ――こ……を、……って……。

 ――お……を、……けて……。


(――あなかしこ、あなかしこ)

(――かしこみもうす)


 コンディション、オレンジ。

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