case-09 母禍身

「あー、やっとチアキさん帰ってきたんだ? おめっとー、よく耐え抜いたよ」

「二か月半……! 長く険しい道のりでした……!」


 部屋の夢の怪異を解決して二週間。昼休みも終わる間際となった頃、ようやく仕事を終えた知紅ちあきが帰ってきたと連絡を受けた珠緒たまおは思わず拳を握りしめて喜んでいた。

 あれ以来、新たな「部屋の夢」の被害者がいるという話は聞かない。珠緒はもちろん、この学校だけでなく街の同世代ならどこにでもアンテナを張っている金恵かなえでさえ、噂をぱったりと聞かなくなったというのだから、間違いなくあの怪異は祓えたのだろう。そして、珠緒がしばしば「ゴーストハンターのような仕事」をしているということを知った金恵は、あれからちょくちょくオカルト方面の情報も積極的に仕入れるようにしていたが、今のところは平和そのもの。それらしい情報などひとつも入ってこない。


「ま、よかったじゃん。チアキさん無事っぽそうで」

「封印が完全に解けていたわけではなく、解けかかった封印の張り直しだったみたいですけど……ホントにそれだけですか、とは思いましたね」

「んー、でもたまチャンならどーにかなったんじゃね? ほら、あーしの時みたいにビリビリーって感じのヤツで」

「ああ……。できると思いますけど、そのあたりは知紅さんから詳細を聞かないことにはなんとも。やっつけちゃダメな場合もけっこうありますし」


 禍身は邪悪で忌むべき存在であると同時に、神にあと一歩のところまで近付いたモノの末路でもある。

 神にも和魂にぎみたま荒魂あらみたまがあるように、禍身にも同じく「二面性」が存在する。強力な悪霊をその地に縛り付けて「並の悪霊から守るための番犬」として飼い慣らす行為を「神として祀る」と称して是とするのであれば、悪霊を寄せ付けない強力な番犬として「禍身」を味方につけるのもまた有り触れた発想だと言えるだろう。

 ただ、神擬きともいうべき禍身を祀るということは、ただでさえ膨大なケガレと強大な霊力を持つ彼らにさらなる力を与える行為であり、奉納すべき対価は悪霊の比ではない。故に彼らに対して信仰や奉納という形で力を与えてはならない。供物を捧げず、畏れや信心を与えず、できることなら人々が近付くことも知ることもなく、禍身がその力を失うまで少人数で徹底的に管理して、最終的にはその少人数もいつか忘れ去るのが最も効果的だ。

 しかし、供物や信仰という「報酬」なくして禍身を抑えつけるのは容易ではない。八百万の神の中には人間に協力的な神もしばしば見られるが、それでも人間の価値観や倫理においては常軌を逸した条件を求められることさえある。まして、人間に対して攻撃的な禍身とまでなれば、封印事態がかなり難しい上、こちらに利益をもたらすよう説得し、承諾を得て、それを継続させるともなればハードルは高層ビル並に高くなるのだ。


「知紅さんがこんなに手間取ったのも、たぶん依頼者に無理難題を言われたからだと思います。ただ封印したり交渉したりするだけなら一日で帰ってこられたはずですので」

「え、普通に封印するだけなら一日で終わる仕事なん?」

「知紅さんなら」

「他の人なら?」

「封印するだけなら10日くらいで、何が起きたか知りませんけど今回みたいな状況だと二年くらいかかるんじゃないですか? 同僚の滝原さんが「知紅の言う日数とか時間はその10倍で見とくと平均値になるよ」って言ってましたから」

「ってことはチアキさんもしかしてガチめにすごい人?」

「はい」


 珠緒の場合、神薙ぎとしての暴力的なほどに膨大な霊力と、心霊特効の霊力によって「禍身祓いの上位互換」とされることが多いものの、特に禍身に対する知識や理解が豊富なわけではない。状況次第では知紅どころか同じ心霊を「討つ」ことに特化した滝原でさえ、珠緒よりも的確な処置ができることもあるほどだ。つまり、珠緒の中では「膨大な霊力で殴るのが自分」「膨大なノウハウで処理するのが知紅」「経験とセンスで殴るのが滝原」というのが各々の評価であり、実際それは事実からさほど逸れてはいない。


「さて、五限目は移動教室でしたね。そろそろ行きましょうか」

「ほいよー。ノートと筆箱もってくるからちょい待ちー」

「わたしの教科書を見る前提にするのやめませんか……?」





「――というわけだ。なんでもいい、心当たりはないか?」

「うーん……あたし兄さんと違って霊能関係からっきしだしなぁ。ママ友さんからもそういう噂とか聞かないし、このあたりはそういうの特にないんじゃないかなぁ」

「……なら、せめて何かあった時のためにお守りだけ渡しておく。必ず――」

「封を開けるな、中身を見るな、肌身離さず持ち歩き、解決したらオレに返せ、でしょ? わかってるって」


 ひとつ大きな依頼をようやく終えて、昨夜は帰宅早々ほとんど気絶に近い形で眠りにつき、目が覚めたのが日も高く上がった12時過ぎ。

 知紅は妹夫婦の家に訪れると、4つ下の妹である紅莉あかりに次の任務に関した心当たりがないか訊ねていた。


「神隠し……いや、この場合は禍身隠しか。被害に遭ったのはいずれも幼い子供ばかりだが……」

「8歳になると同時に帰ってくるのはなんでだろうね」

「7歳までは神のうち、ということか? いや、だがあれは「7歳までの子は死亡率が高いから正式な人間として扱わない」という意味で生まれた言葉だしな……」


 不意に、二人の会話が途切れる。

 少しして、紅莉が「ちょっと気になることがあるんだけどさ」と何かを問うように小さく手を挙げると、知紅はそれを首肯することで続く言葉を促した。


「これ、もしかして禍身側に悪意なくない?」

「……お前もそう思うか」


 紅莉の口にした仮説は、実のところ知紅も同じことを考えていた。

 というのも、被害に遭った子供が最後に発見されたポイントと、親が最後にその子を見たポイントがそれなりに離れていたからだ。

 そしてさらに二人の予想を裏付けるように、子供が最後に発見されたポイントからそう離れていないところに、あるものが必ず存在していた。それは――。


「これ、たぶん母禍身ははがみでしょ」

「だろうな」


 母禍身。別名「慰み禍身なぐさみがみ」や「慈母禍身じぼがみ」とも呼ばれ、早くに子を喪った母親が霊となった後、彼岸を渡り損ねた幼い子供の霊を悪霊や怪異から守り、愛情と慈しみを注いで幼霊の成仏を手伝い、その慈悲深さと善徳によって神に至るはずだった霊が禍身となったものだ。禍身に堕ちる原因はいくつか考えられるが、だいたいの場合において彼女たちに非はない。たとえば「未熟な霊能者が母神ははがみの守護していた幼霊ようれいを消滅させた」「母神の目の前で幼い子供を虐待・殺害した」など、とにかく母神にとって最大の地雷である「子供を傷付ける」という行為を意図的にしていたのなら、怒り狂った彼女らが禍身に堕ちるというのも頷ける。ただ、それよりもさらに悪質なのは――呪具の使用だ。

 呪具。呪いの道具と書いて呪具。種類は多岐にわたるが、善良かつ神にも至るほど力をつけた霊を禍身にまで堕とすとなれば、およそ数は限られる。

 無数の呪具がある中で、禍身祓いが最も忌み嫌う呪具といえば――「ケガレバコ」だ。


「これは……かなり厄介だな。は本来、善良で徳も高く信仰を得やすい。そんな彼女らを母禍身にするほどのケガレバコとなると、さすがにオレだけでは手に余る」

「でもこの母禍身さん、子供を連れ去ってから特にこれといって霊害を与えるとかでもなく8歳になったら親元に返してるんだよね。めっちゃ必死にケガレバコに抗ってない?」

「そうだな。堕ちきっていたら今頃とっくに子供たちは取り込まれてるはずだ。禍身としての衝動で禍身の領域に巻き込んではいるが、母神としての本能と理性が必死に子供たちを守っているんだろう。相当な気力だ……もし禍身に堕ちなければ、さぞ強く優しい母神になっていただろう」


 幾つかの立体ピースを組み立てることで構築されるパズルキューブ状のそれは、ピースのひとつひとつが極めて悪性で悪質で悪辣で悪徳な呪詛とケガレが込められており、それらのピースは必ず9の倍数でなければならない。そしてピースの数が増えれば増えるほどに強力な「ケガレバコ」となる。歴史上、最も少ないピースで造られたケガレバコは9ピース。最も多いものでは81ピース。そのため禍身祓いはケガレバコの力をピースの数を9で割ることで「レベル1~9」に分けて判断している。

 呪具の対処にはそれなりの自負を持つ知紅でさえ、ケガレバコをひとりで解呪できたのは27ピースレベル3まで。頼れる人脈を使って誰一人欠けずに処理できたのは63ピースレベル7まで。72ピースレベル8は数名の協力者が解呪に失敗し殉職。81ピースレベル9に至っては知紅を残した全員が亡くなり、彼自身も解呪後しばらく相当数の霊害によって死を覚悟したという。


「状況を鑑みるに、今回のケガレバコは低く見積もっても45ピースレベル5以上だ。辿れる伝手は全て頼って挑むべきだろう」

「……こういう時、兄さんの力になれないのがちょっと悔しいよ」

「バカを言うな、オレがいつそんなことをお前に望んだ。霊能力こんなものなどなくたっていい。オレを思うのなら、お前は普通の人間として普通の生活をしてくれ。その「普通」を守るために、オレたち禍身祓いは戦っているんだ」


 俯く妹の頭を撫でながら、知紅は優しく宥めるように声をかける。

 紅莉にとっての知紅は、優秀な禍身祓いであり、夫の親友であり、強く優しい兄であった。

 知紅の持つ霊能力には羨んだ時期もないとは言い切れないが、同時に彼が霊害に苦しむ姿を誰よりも近くで見てきた立場として、それは早々になくなった。むしろ自らを苛む力を持ち、それを人々にひた隠しにしていながら、霊害に苦しむ人を見れば躊躇いなくそれを行使する姿に、彼がどんな苦しみや恐怖に膝を震わせているか、まざまざと見せつけられるようだった。

 そして、それでも人を助けることをやめない彼に、羨望でなく憧憬を抱き、改めて良き兄に相応しい妹であろうと努めた。


「お前のおかげで情報の整理も捗った。オレの視点だけでは自信を持てなかったんだ。ありがとう、紅莉」

「……うん」


 それが、兄の優しい嘘であることはわかっていた。

 確かに、こうして意見を交わす中で「禍身に悪意がないこと」「母禍身の仕業であること」は紅莉の口から先んじた言葉だ。だが、知紅はそれらを悉く予測していた。つまり、彼にとってこれらの工程は全て見落としのチェックでしかなかった。彼の言う通り、それらは全て自分だけの視点で導き出した答えに過ぎず、他の視点を設けることは必要だったのだろう。しかし結果論ではあるものの、彼の予測はほとんど間違っていなかった。紅莉から出た意見の中に、彼にとっての想定外など何もなかったのである。


「さて、あとは禍身祓いオレたちの仕事だ。今日はこれでお暇しよう。そろそろ、珠緒も帰ってくる頃だろう?」

「だったら、もうしばらくここに居てくれた方が珠緒も喜ぶと思うけど?」

「いや、好かれている自覚はあるんだが……最近あの子スキンシップというか距離感おかしくないか?」

「女は好きな相手を堕とすためならどこまでも強かになるからね」


 玄関から「知紅さーん!」という声が聞こえた直後、彼は自分が逃げ損ねたことに気付いた。

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