case-08 親友
彼女の親友を象ったその青白い光は、なんの前触れもなくこの部屋へと降り注ぐと、彼女にその背を向けたまま「扉」を睨みつけていた。
普段は優しく大人しい親友は、どちらかといえば可愛いというよりも美人系の顔立ちで、
「えっと……
「…………」
状況が状況だけに怒り心頭な親友の気持ちも理解した上で、金恵はおずおずと彼女の名前を呼ぶ。するとその青白い光はわずかに金恵を一瞥したかと思うと、ほんの少しだけ小さく微笑んで、再びその視線を扉へと向けて携えた槍を構えた。
周囲の壁は既に光に焼き尽くされ、ばちっばちっ、と電光を迸らせながらまるで溶けるように
珠緒の姿を模した光は、それでもなお周囲には目もくれず、不自然に残された扉に対して敵意を剥き出しにしている。
見れば、この夢の結末であるサメもまた、扉を挟んだ向こうからこちらを睨むように浮遊しながらも、決してその場を離れるでもなく、しかしなぜかその牙を剥くこともない。互いにその敵意を明らかにしながら、それでも手出しができないのは、間違いなくその扉のせいだ。
――答えよ。お前の一番好むものを。
その声は、今度は自分だけでなく親友の耳にも届いているようで、意識は明らかに扉に向いたままなのに、なぜかその視線は周囲を注意深く探っているようだった。だがその時の金恵にとって最も不思議だったことは、なぜかさっきは口が意識を裏切るように動いていたにも関わらず、今はなんの抵抗もしないまま言葉を呑み込めていること。
きっと、それ自体が目の前にいる光の為せるワザなんだろうと思い、金恵はそれを敢えて口にしなかった。
(……いまさら、なんで詠路のカッコしてんのとかはツッこまないけど、なんでどっちも動かないの?)
目の前の扉が、二人の動きを遮る境界なのは間違いない。
しかし、今このタイミングで、この夢で現れた親友の形をしたその光は、間違いなく彼女が望んだ希望の形を象って現れたものだと金恵は考えた。そして、その光が手に携えたものは普段の親友が持ちえない「槍」の形をとっていて、それこそが紛れもなく「悪夢を討つ形」なのだと思っていたからこそ――ではなぜその槍を構えたまま、互いは睨み合いを続けているのか。
扉は、どう見てもただの扉だ。あの槍で突けば壊れそうな木製の扉。某国民的アニメの秘密道具のように、扉以外の壁は全て燃え尽きている。なんなら、扉を迂回してサメを突くことだって出来そうなのに、彼女はそれでもぴくりとさえしない。
「……あーしが開けようか?」
ようやく心に落ち着きが戻り、そんな言葉が口をついた。それがどういう意味を持つかはわからない。だが、間違いなく両者の動きを阻んでいるのはこの扉だ。なら、この状況を変えることができるのは――あの扉を開けるべきなのは、間違いなく
「…………」
「そんな心配そうな顔しないでよ。ドア開けるだけっしょ、なんも怖いことなんてナイナイ!」
金恵はゆっくりと立ち上がり、扉へと近付いていく。
ドアノブに手をかけ、あとはそれを下げ、手前に引く。それだけで扉は開く。鍵がかけられているという考えは、不思議と浮かばなかった。だが、彼女の手はまるで金縛りにあったように動かない。それがこの悪夢の仕業なのかと考えたが、金恵はそうではないとすぐに理解する。
(怖い……。本当に、あの光を信じてもいいの? 詠路のカッコして、あたしを騙そうとしてんじゃないの? もしホントにあの光が味方だったとして、サメに襲われるより早くあたしを助けてくれんの? だってサメだよ? いくら武器もってたって、サメ相手に人間の力で勝てんの? いやどう見ても人間じゃないけど。光ってるし)
手が震える。全身が強張る。頭の中に幾つもの思考が駆け巡る。何を疑い、何を信じればいいのか。信じたものが本当に正しいのか。
サメは、間違いなく今の金恵にとって「敵」だ。だが突如として現れたこの光は果たして「味方」なのか。サメが仕掛けた罠ではないのか。
迷い惑い悩み抜いた先に――微かに、何かが聴こえた。
――じて……。
――信じて……。
何を、と問うこともなく、彼女はその声の源を探した。
後ろを振り返っても、珠緒を模した光はこの扉を睨んでいて、間違いなく金恵に何かを語りかけている様子はない。
そしてもちろん、この扉の向こうにいるサメが騙っているわけでもないだろう。
――信じて、金恵さん。
だとすれば、この声は……。
――わたしを信じて、金恵さん。
がちゃん、とドアノブが下がった。
それに気付いた瞬間、咄嗟に自分の体ごと思い切り扉を引っ張り――光はまるで雷霆の如くドア枠を駆け抜けていった。
「――――」
思わず瞼を閉じ、その身にしゃがみこんだ。
直後、雷鳴にも似た轟音が響き渡り、そして途轍もない衝撃によって、彼女は数メートルほど転がることになった。
ぶつかるようなものもなく、床ともわからぬ床を少し転んだところで、ようやく彼女はその瞼を開き、すべてが終わったことを察する。
あの扉は、枠ごとなくなっていた。
サメは影も形もなく、青白い光は今もなお親友の形をしながら金恵へと振り向き、そっと微笑む。
「詠路っ!」
「…………」
今度は疑いなく、その光に向けて彼女の名を呼んだ。
光は体の端々からばちばちと電光を散らしながら、少しずつその形を失っていく。
「なんでいきなりこんなとこに来たんとか、何そのカッコすげーとか、いろいろ言いたいことはあるけど! でも今たぶんそーゆーのじゃないと思うから!」
「…………」
「助けてくれてありがとう! 目が覚めたらゼッタイにLINNEするから! ちゃんと起きてアリガトするから! だけど……今もちゃんと、ありがとう!」
「…………」
その光は、間違いなく珠緒の形をしていた。珠緒と同じ顔で、珠緒と同じ笑顔で。だけど――どこかほんの少しだけ、珠緒とは違った。
その違和感に気付いた時、金恵は不意に「それ」を口にしていた。
「かみさま……?」
「…………」
ぽかん、とした表情のままそう告げる金恵に、その光は少しだけ驚いたような表情を見せつつも、すぐにそれを微笑みに変えた。
「……あれ? あはは、何言ってんだろ? 詠路は詠路じゃんね? ごめんごめん!」
「…………」
「じゃ、また後でね! 寝てても返事してね! あーし、詠路が返事くれるまで寝ないで待ってっから! 絶対に、ゼッタイだよ!」
ゆっくりと、光はその姿を電光とともに散らしていく。
そして、そんな光が完全にその形を失い、周囲の景色が真っ暗な闇で満たされたところで、彼女の意識もまた暗闇へと沈んでいった。
◆
「――ん、――さん。金恵さん!」
うすらぼんやりと浮上する意識の向こうで、必死に自分を呼ぶ誰かの声に、金恵は妙な安心感と充足感のようなものを感じながら目を覚ました。
「んぁ? あぇ……詠路ぃ……?」
「わたしの名前、わかるんですよね! 金恵さん! よかった……本当によかったぁ……!」
「あれ……? ここ、あたしん
「えっと、実は――」
そこから、珠緒がなぜ金恵の家にいるのか、金恵は夢の中で何を見たのか。互いの見たものを話し合うと、金恵は珠緒から驚くべき真実を突き付けられた。
「かんなぎ……?」
「はい」
珠緒が神薙ぎという悪霊退治ができる不思議体質であること、金恵の夢に現れた「怪異」と呼ばれるものを神薙ぎの力によって討ち祓ったこと。
そしてそれを証明するかのように、珠緒は自らの親指と人差し指を近付けると、それらの指の間に電光を走らせてみせた。
「え、じゃあ夢に出てきたあの青白い詠路って……」
「なぜわたしの姿をしていたかはともかく、わたしの持つ力が怪異を討ち祓うために行動しやすいよう、人の形を持ったものでしょう」
「……ヤバ、あーしの友達マヂの霊能力者じゃん。え、すごくね?」
寝起きのせいか、衝撃的な展開が連続したせいか、まともに動かない頭は珠緒に何度か同じ質問を繰り返したり、あるいは同じ話をイチから繰り返してもらったりしながらも、ようやく理解と解釈が事実に追いついた頃、やっと出た言葉はそれだった。
「わたしからすれば、こんな話をされてわたしを怖がりも疑いもせず平然と友達と言ってくれる金恵さんの方がよっぽどですよ」
「そぉ? べっつにフツーじゃね。そうゆーのでワルいことしてるわけでもないんしょ? なんならあーしのこと助けてくれたんだしさ、じゃあ怖がる理由も疑う理由もなくない?」
目の前できっちりと正座をする珠緒に対して、小さなテーブルを挟んでスマホをいじりながらマイペースを崩さず喋る金恵の様子に、普段と違うところはない。
正直、神薙ぎとしての自分を打ち明けることは、珠緒にとってありったけの勇気を振り絞った決断であった。単に様子が心配で家に来たら倒れていたので意識が戻るまでベッドまで運んだ、とだけ説明することもできた。それでも彼女がそうしなかったのは、いくつか細々とした理由や事情もあったが、何より大きかったのは「金恵なら自分を信じてくれるのではないか」という根拠のない信頼からだった。そして、その告白の結果がこれだ。
彼女は普段と様子が変わることもなければ、珠緒が神薙ぎという特別な力を持っているとしても、姿勢を正すこともしないほど自然体でいる。
禍身と呼ばれる神にも近い悪霊を討ち祓うどころか、神さえも薙ぎ祓う力を有するということも含めて説明した。なのに、彼女はそれを怖れも疑いもしていない。しないまま、当たり前に受け止めてくれているのだ。
「こう……変な宗教にハマったオカルト女、みたいなことは……」
「なんかハマってんの?」
「いえ、特にこれといって……」
「ならいいじゃん。詠路がウソとか好きじゃないってことくらい、あーしもわかってっしさ。まーホントのことが言えないとか、そういうのも別に良い悪いじゃなくて誰にでもあるようなフツーのことじゃん? それが他の人よりけっこうフワっとした内容と理由だっただけで。実際あのバチッてするやつ見せてもらったし、夢でも助けてもらったし、これで信じないならあーしめっちゃ薄情なヤツじゃん!」
べちゃ、とテーブルに伏すように両手を伸ばし、顔を上げた金恵の頬はぷくぷくと膨らんで「そんなに信用が無いか」と訴えていた。
「まービックリはしたし? 幽霊とかあーしは見えないからわかんねーし? 夢って幽霊と関係あんのとかモロモロ聞きたいこととかあるけどさ。でもあーしは詠路のこと友達だと思ってるし、友達が言うことならできるだけ信じるのも友達ってやつだと思うし、まして詠路だよ? みんなが憧れる高嶺の花、勉強も運動もできて漫画から出てきたヒロインみたいな子がさ、あーしに信じてくれーって半泣きみたいな顔で言ってきてんのにさ、これで突っぱねたらヒトデナシのロクデナシじゃね?」
「えぇ……高嶺っていうほどお高くとまって見えますか、わたし……?」
「んー、まぁ詠路はそのつもりないと思うし、女子とかは割とそーでもないけど、男子からしたら近寄りがたさはあるみたいなこと聞いたかな。あとまぁたまにチャラめのセンパイに声かけられてガッツリ箇条書きみたいな感じでダメなとこ言ってフッたりしてんじゃん? あれ男子からめっちゃ怖がられてるからやめたほうがいいよ」
「注意点と改善案を提示して次の告白が成功するよう応援してたつもりだったんですけど……なるほど、あれが不評でしたか」
あれ善意だったんだ、という金恵の表情は、それこそ神薙ぎ云々よりも遥かに恐怖と驚きが交じり混ざったものであったが、自分の意図しない効果が男子たちから敬遠される原因となっていたことに頭を抱えていた珠緒はそれに気付かないまま話が進んでいく。
「それにさ、あーしも嬉しいんだ。自分で言うのもなんだけど、あーしってこんなカッコだし、まぁパッと見なんとなく軽そうだしバカっぽい雰囲気あるじゃん?」
「全然軽くないどころかめちゃくちゃ奥手な上に成績も普通に良い方ですけどね。いい加減あの後輩くん誰かにとられる前に告白しましょうよ」
「それについてはまた今度で! でもまー、そんな感じだから詠路みたいな「ザ・清楚美人」みたいな子が親友とかみんな信じてくれないし、男子から「じゃない方」とか言われたこともあったし、あーしの勝手なカタオモイ友情だと思った時もあったんだわ。あ、今もうそうゆーのないから安心してね?」
「わかりました。ところでその「じゃない方」とか言った男子のお名前はお聞きしても?」
「ダメでーす。そんな人のこと呪いそうな目をした霊能力者に教えられませーん! てゆーかさっきから話の腰を折んなし」
おっと失礼、と口元を隠す珠緒。
「まっ、ようはなんだかんだあって今じゃあーしの一番の友達は間違いなく詠路だし、その詠路が言うんなら霊能力者でも魔法少女でも美少女ロボでも信じるよ」
「金恵さん……!」
「だからいつか詠路の一番の友達にしてほしいなー、なんて!」
「……は?」
「えっ?」
この後、実はこれまで周囲から色々言われすぎて「自分にとって一番の友達は詠路だけど詠路にとってあーしはたくさんの友達の内の一人なんだよね」という変な拗れ方をしていた金恵に対し、入学当初は神薙ぎとしての修行を終えた直後で人に対する警戒心や不信感を持っていた中、金恵の人懐っこさがどれだけ
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