case-06 怪異
『なるほど。それで、そのサメの夢への対抗手段が欲しいということか』
「はい。禍身や悪霊に対する予防・対策は
その夜、
しかし、そんな珠緒の期待に反して、知紅はやや困ったように唸りながら間を置く。
『……確かに、珠緒は今までこういうタイプの相手をしたことはなかったな』
「こういうタイプ、というのは?」
『先に断っておこう。珠緒の言うその「噂」は、禍身や悪霊の仕業ではない』
そうして、知紅は禍身と悪霊の性質を語り始めた。
まず禍身は今まで何度も説明した通り、神に至るだけの力を持つものが、ケガレや悪徳によって堕ちてしまったもの。
悪霊は、通常の霊魂が悪徳や悪感情を魂の内側に留めきれず、表面化したことで堕ちてしまったもの。
また、これらに共通する点として「意図的に霊害をもたらすこと」がある。
「つまり、お兄さんの解釈ではこの噂のサメは意図的に霊害をもたらすものではない、と?」
『そうだな。聞く限り、あくまでサメは舞台装置のひとつに過ぎない。その夢の主旨は「問いかけに答えた内容を夢の主の記憶と認識から削ぎ落とす」ことであり、さらに被害者は全員その質問に対してなんの警戒心や違和感も覚えず「一番大事なもの」を答えているところからして、かなり悪質だと言えるだろう。しかし、サメはあくまで「記憶を奪う」という行為の演出的な面が大きく、それ以外の理由で存在意義が無い。つまり、問題なのはサメではなく、その部屋そのものというわけだ』
「そのサメが記憶をエサにするために、部屋自体を演出装置にしている可能性は?」
『なら部屋なんか用意せず追いかけてくるだろう。仮にその部屋がサメの狩場だとしても、質問に答えないと自分が部屋に入れないなら欠陥構造もいいところだ』
しかし、だとすればその「部屋」が悪意や意思を持つ存在ということにはならないのかと、珠緒は訊ねた。
『確かに今回のそれは悪辣かつ悪質な性質を持っているし、主体となる存在が無機物の形をとっているからといって意思を持たない証明にはならないのが禍身や悪霊だ。だが、今回の部屋には禍身や悪霊には必ずあるものがない。だからそいつは禍身や悪霊の類ではないと、オレは判断している』
「必ずあるもの……?」
『恨みや憎しみの対象だ』
禍身にせよ、悪霊にせよ、それが神や単なる幽霊の類を逸しているのなら、その根本にあるものはケガレと悪徳。
それらを制御しきれず堕ちた禍身や悪霊は、絶対にどこかしらのタイミングでその悪感情を露呈し、それが「何に向いているか」がわかると知紅は断言する。
その向き先が個人なら、せいぜい悪霊の域に留まるだろう。それが地域や種族といった広範囲に向けられていると、いよいよ禍身かもしれない。
だが今回の『部屋』の悪夢は、個人の夢に現れ、そしてまた別の個人の夢へと転移する。つまり、無差別な個人に対して矢印が向いている。それが意味するところは――、
『今回の夢の正体はおそらく『怪異』と呼ばれるものだろう。意図的に対象を選択しているのではなく、無差別に霊害をもたらす「現象」や「領域」のことだ。対象や目的がわかれば予防できる禍身や悪霊と違って、次に現れる場所やタイミングを予想できない災害みたいなもので、せいぜい遭遇した際の適切な対処法くらいしか助言できることはない』
「えっと……じゃあせめて、先輩がご家族のことを思い出す方法だけでも……」
『無い』
「え……?」
『記憶を思い出す方法は無い。もし次にこの怪異がお前の夢に現れたとして、お前が神薙ぎの力を振るって怪異を討ち祓ったとしよう。だとしても、奪われた記憶はもう戻らない。お前にできることは、失われた記憶を取り戻すことじゃなく、被害者の数を減らすことだけだ』
そうだ、いかにオカルトが現代において非常識の範囲であるとはいえ、今起きていることは紛れもなく現実の出来事で、アニメやドラマのそれではない。
もしこれがフィクションの産物なら、元を絶てば全ての悲劇はなかったことになるのかもしれない。だけど、冷静に考えて――失われたものが戻ることなどありえない。
記憶や認識を「壊された」のなら、あるいは直す手段もないわけではなかったのかもしれない。割れたグラスをいくらテープで張り付けても元の形には戻らないが、元の形に似たグラスにはなるだろう。だが、今回は壊されたのではなく「食われた」のだ。既に、あの部屋で喰われた記憶は「消化」されて無くなっている。部屋をどれだけ無残に焼き祓っても、消えたものを取り戻す術など禍身祓いはおろか神薙ぎにも持ち合わせていない。
一度でも失われれば取り戻せない……だからこそ、珠緒はこの怪異を討ち祓わなくてはならなかった。
自分が接したことのない相手とはいえ、身近なところで家族を失い、失ったことにも気付けない人がいた。夢を失い、大好きな星を見ることさえできなくなった人もいた。そんな人をこれ以上増やすわけにはいかない。もしもそれが、自分にとって大切な人たちの前に現れ、そしてその人の大切な記憶を奪うというなら……それだけは防がなくてはならないし、それを防ぐことができるかもしれない力が、珠緒にはあった。
『おそらく、お前の力で怪異を薙ぎ祓うことは可能だ。なので、解決手段は今のところ2つある』
「それは?」
『お前がその怪異に遭遇するか、その怪異に遭遇した者に神断を突き立てるかだ。神断は槍の形状をした雷のようだが、実際は「槍の形状」と「雷の性質」を持つ膨大な霊力の塊に過ぎない。霊力は常人の肉体には干渉しないため、寝てる相手の夢に対して攻撃が可能となる。ただし、注意しなければならないのは……制御を間違えば、夢だけでなく精神や記憶を攻撃範囲に含んでしまう可能性もあるということだ』
「つまり……神断で確実に対処可能なのは私の夢に出てきた時だけで、他人に振るう時は最悪のケースも考慮すべきだ、ということですか?」
『そういうことになるな』
そもそも、先ほどの話によれば怪異はいつ誰の夢に現れるかもわからない完全にランダムな霊的災害のようなもので、むしろ同じ学校に複数の被害者がいる今の状況が不思議といって差し支えない。なら、今この時期こそがその怪異を祓える数少ないチャンスということになる。
『いいか、チャンスはそう多くない。怪異がなぜ珠緒の学校で多発しているのかは後でオレも調査するが、おそらくなんらかの理由で学校そのものが怪異を閉じ込める「檻」の役割を果たしているはずだ。だから珠緒は信用できる友人をできるだけたくさん、一ヶ所に集めて眠るんだ。夢に出るタイプの怪異の被害者は、寝相にしては明らかに不可解な行動をとる。そいつに神断を突き立てろ』
「でも、もし失敗したら……」
『さっきも言ったが、神断は膨大な霊力の塊。霊力の操作は神薙ぎの最も得意とするところだ。大事なのは「できる」と思うこと。できて当然、自分が望むなら必ず自分の霊力は自分の望む結果をもたらす。過程や経験や結果をかなぐり捨てて、自分にはそれが可能だと「思い込む」ことが一番大事なんだ。もしも自分が信じられない時は、オレの言葉を信じて思い込め』
――珠緒の神立は、怪異だけを貫く。
『……すまない、こちらも立て込んでいてな、そろそろ対処に向かわなければならない。今回はお前が一人でやらなければならないが……珠緒ならできるはずだ。オレが信じるお前なら』
「いえ、アドバイスありがとうございました。明日、友人たちに声をかけてみます。当日、連絡できそうですか?」
『わからないな。正直、こっちでもかなりタチの悪いやつを相手にしている。すまないが、当日は力になれないだろう』
「わかりました。それでは、ご武運を」
『互いにな』
LINNEの通話切断ボタンをタップして、珠緒はベッドに寝転んだ。
今回の夢の正体が禍身でも悪霊でもない「怪異」と呼ばれるものであったこと。失われた記憶と認識はもう二度と戻らないこと。あの怪異が学校に囚われているのはあくまで一時的なもので、いつかはあれが野に放たれ追うこともできなくなってしまうだろうということ。神薙ぎの力で討ち祓うことは可能だが、場合によっては自分が被害者にトドメを差してしまうかもしれないこと。
そして――知紅はそれでもなお珠緒を信じてくれていること。
不安はいくらでもある。だがその不安すら覆い尽くすほどの自信が自分の心を満たしている。
この怪異は必ず解決できる。
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