case-05 悪夢のサメ

 蛇禍身事件からしばらく。知紅ちあきの妹である紅莉あかりに養子として預けられている珠緒たまおは、あれから久しく知紅には会っていない。

 学校生活も特に変わり映えなく、人ならざるものは相変わらず近くも遠くもないところから珠緒をじっとりと見つめてくるが、彼女自身がそれを気に掛けることはない。

 邪なるものは、それが禍身ほどの力を持たないのであれば、彼女の神薙ぎの清浄なる気配によって近付くだけで強制成仏させられてしまう。

 そして、それが禍身ほどの気配を持つのならば、彼女の瞳がそれを捉えぬことなど在りえない。


「…………」

「おいすー。どしたん詠路よみじぃ、珍しくぽけーっとしてんじゃん」

「……あ、金恵かなえさん。いえ、自分で言うのもなんですが、いつものです……」


 古鐘金恵こがねかなえ。学校では男子からも女子からも慕われているものの、少し距離を置いた付き合いをしている珠緒が、唯一その線の内側に入れている親友。

 少々、今風の着こなしや言動が目立つものの、明るく友達想いな金恵は、遠巻きに高値の華として扱われている珠緒の心の中をしっかりと見通してくれる、替え難い友人であった。


「あー、あれね。そっかー、詠路の大好きなチアキさん関連かー。その感じだと、二週間くらい会えてない的な?」

「二か月」

「え?」

「二か月、会えてないです……」


 さっきまで頬杖で保っていた頭がとうとう机に付して、弱々しい声が他の誰でもなく金恵にだけ届く。

 二か月。あの蛇禍身事件から二か月である。元より、知紅の仕事である禍身祓いは依頼を受ければ国内ならどこにでも出向いて解決を図る。

 彼が車よりもバイクを好んでいるのも、単純な長距離移動にも耐え、狭路や悪路でも車よりは走破性が高く、田舎・僻地が現地となりがちなこの仕事ならではと言えるだろう。

 が、それだけに呉内くれない兄妹の家はさほど離れていないにも関わらず、会える頻度自体はさほど高くはない。

 仕事の内容によって、日帰りで解決できることもあれば、何日も何か月もかけて対処しなくてはならない禍身などいくらでもいる。

 過去の最長記録は半年。帰ってきた時、彼が尋常でない数の禍身の呪詛を背負っていた時は悲鳴を上げそうになったが、珠緒もその時ばかりは本気で神薙ぎであることに感謝したという。


「……それ詠路的にダイジョブなん? ちょい前くらいに一か月放置プレイで骨になってなかった?」

「無理です。天のお招きが見えます」

「ダメじゃん! えー……でもチアキさんってめっちゃ忙しいお仕事してんだっけ?」

「そうですね。というか、すごく忙しい時とそうじゃない時がハッキリしたお仕事、という感じです」

LINNEリンネで連絡とかは?」

「してます。さすがに毎日というわけではありませんが」


 LINNEでの連絡は、実のところ私用だけでなく文字通りの意味の「生存報告」という意味も兼ねている。

 ただでさえ命がいくつあっても足りないような禍身祓いという仕事は、いつどこから禍身の呪詛が襲い来るかも予想がつかない。

 そのため、知紅は珠緒に対して「三日以内に返事が返ってこなかったら、オレは死んだと思え」と言い聞かされていた。


「んー、実際のとこどんな仕事なん?」

「そうですねぇ……みんなが安心して眠っていられる世界を作る、みたいなお仕事ですかね」

「なんそれ、寝具とかクッションとか作ってんの?」


 珠緒としても、そっち方面の安全なお仕事に就いてほしい気持ちはないわけではない。

 ただ、知紅は除霊とか禍身を祓う力は弱いものの、なんだかんだベテランであるため知紅が引退してしまうと困る禍身祓いも少なくない。特に禍身を祓うのではなく封印し、それを維持することに関しては、禍身祓いの中でもプロフェッショナルと称して差し支えないだろう。なので禍身祓いよりも寺の坊主や神主など、禍身祓いが対処する前に相談を受ける人からの信頼が篤く、当然ながら禍身祓いの方からも慕われている。


「あ、クッションで思い出したんだけどさ」

「はい?」

「ちょい前にサメのクッションとかでサメのプチブームあったっしょ」

「ああ、ありましたねぇ。わたしもキーホルダーくらいはありますよ」

「で、そのせいか知らんけど最近なんか変なウワサあるんよね。サメの」


 サメの、というと……海岸とかでサメが人を襲う事故、即ち『シャークアタック』かと想像した珠緒であったが、すぐにそれは振り払った。

 もしそうだとすれば、ウワサどころかニュースにでもなっていそうなものだからだ。

 

「まぁ雑に言えばサメに襲われる夢の話なんだけど、けっこう変な夢なのに何人かが同じような夢を見てるっぽいよ」

「変、というと?」

「えーっと、確か……」


 その夢はまず最初に、「それが夢である」と自覚するところから始まるという。

 そこは海の底でもなければ、水面をふよふよと漂っているわけでもない。およそ六畳程度のリノリウム、壁は白くて天井はあるかどうかわからない。あるとしても高すぎてそれがどこなのかわからないのに、明かりもないまま壁の白もリノリウムのうっすらとしたクリーム色も判別可能な不思議な空間に、その夢の主はぽつりと立たされている。

 しばらくは何が起きるでもなく、夢の主はその退屈な夢が早く終わることを願いながら呆けるなり床に横になるなりするが、ふと気づくとその部屋にそれまでなかったはずの扉ができるのだそうだ。


「今のところサメいませんけど」

「ままま、最後らへんにちゃんといるから最後まで聞けし」


 夢の主がその扉に気付くと、その扉は夢の主が触れるより先に、男性とも女性とも、幼子とも老人ともわからぬ声でこう問いかけるという。


 

 ――お前が一番好むものを言え。


 

「好きな子にプレゼント渡そうとする中学生みたいなこと言うじゃないですか」

「わかるー! なんか「お前の好きなもん教えろよ」的な? でも、そうじゃないからヤバいんだよねこいつ」

 

 夢の主は訝しむ度合いに多少の差はあれ、扉の取っ手を掴めどもそれが外から鍵をかけられているように動かないことを知ると、困惑や苛立ちを持ってその問いに答える。

 それは食べ物であったり、将来の夢であったり、あるいは大切な人間関係のようなものも含めて、十人十色の返事を返す。

 だがその「声」は返事の内容の真偽や大小に関係なく、その扉の鍵を開ける。そして夢の主はその扉を進んだ先で、巨大なサメに頭から喰われて目を覚ますのだ。


「――で、マジでヤバいのがこの後らしいんだわ」

「この後?」


 この話の切り口はサメの悪夢であったはず。ならば、夢を終えた時点でこの話は終わるのだと思っていた。

 しかし、確かに考えてみればこれだけの話であれば「最後にサメに食われる以外はちょっと不思議な夢」くらいのもの。それが「悪夢」と称される理由を、珠緒は知ることとなる。


「なんかね、この夢を見たセンパイがいて、目が覚めたら家族がいなくなってたんだって」

「……え?」

「いや、それがなんかめっちゃ家族仲がいいセンパイでさ、誕生日とかクリスマスは恋人より家族で過ごすタイプの人らしいんだわ。それは元カレっていうか、当時は彼ピだった人も納得してたみたいで、別にそれでなんか険悪みがあるとか、そういうんじゃなかったみたいだけど、まぁふとした時にパパがどんだけ優しいかとか、ママが作ってくれたごはんが美味しいかとか、弟君が可愛いかとか、そういうのを割とオープンに言う感じらしいんだけど。……ある日それがパタっと無くなったのね?」


 不意に、嫌な予感が珠緒の脳裏をぎる。

 その予想が外れることを祈りながら、彼女は黙って金恵の話の続きを促した。


「で、なんかおかしいと思った彼ピが「最近あんまり家族の話しないね?」って探り入れたっぽいの。そしたらセンパイ、不思議そうな顔で「家族って?」って聞き返してきたんだって」

「……ご家族を喧嘩中だったとか、そういう……」


 ほとんど願望のような、そうであってほしいと口に出さないまま呟く彼女に、金恵は首を横に振る。


「なんかね、センパイは生まれつき親もいないし、一人っ子だったって言うんだって。あんなに大好きだったパパもママも、めちゃくちゃ可愛がってた弟のことも忘れてるの」

「忘れてるって……でも、じゃあどうやって学校に通ってるんですか? 学費とか、そうじゃなくてもお小遣いも……」

「そこがこの話の怖いとこでさ、彼ピがセンパイに誘われてお家デートしに行ったことがあったの。その夢の後でね。彼ピもその頃には「ああ、もう家族とあんまり仲良くないんだな」くらいに思ってて、家族がいない時に家に誘われたと思ってたみたいなの。そしたら……いたんだって。センパイの両親も、リビングでお絵描きしてる小学校くらいの弟くんも」


 嫌な予感は、的中した。


「でもセンパイ、なんも見えてないみたいに誰にも挨拶しないまんま自分の部屋上がっちゃって、混乱した彼ピはひとまず挨拶だけでもと思って両親に声をかけたみたいなんだけど、二人ともなんかめっちゃ思いつめた感じで、なのになんも言わないらしいの。で、着替えて降りてきたセンパイに、リビングの弟くんが書いてた絵を持って駆け寄っていったんだけど、センパイそれを無視して冷蔵庫漁り始めたのね。いや、自分ちの冷蔵庫だからいいんだろうけど、だとしても小学生の弟くんガン無視ってありえねーって思ったみたいで、その後すぐ彼ピからフられたみたい」

「……それって……」

「まぁ、詠路ならすぐわかるよね。これがどういうことか。あーしは他の子にオチ聞いてゾっとしたんだけどさ」

「……あまり、わかりたくはなかったです」


 だが、話はここで終わらない。

 その推測に裏付けをするように、金恵は話を進めていく。


「ま、オチわかってそうだけど続けるね。ていうか、そのオチを見つけたのがこの元カレでさ、かなり頭いい人だったっぽいんだよね。その元カレの同級生が「変な部屋でサメに食われる夢見た」って言ってたのを聞いて、なんか聞いたことあんなー、ってなったらしいの。で、それが元カノだったセンパイの話だったって気付いて、その同級生に声かけたんだって。そしたらその同級生、自分が扉に向かって答えた内容を忘れちゃったって言ってたみたいで、元カレがその同級生の仲いい人に「あいつ最近なんか変わったとこなかった?」って聞いたんだって」

「ということは、まさかその時点で既に……?」

「んー、まぁマジで頭いい人だったらしいし、半分くらい予想してたんじゃない? で、元カレの同級生の友達……まぁその人も同級生なんだけど面倒だから「同級生の友達」ってことにしとくね。で、その人曰く「別段なんか変わった感じはないけど、最近あんま星とか宇宙の話しなくなったよな」って言ってて、元カレさんに限らず話を聞いた人みんな「それはおかしい」って思ったみたいなの。まぁめっちゃ仲良くなくても同級生だし、その人がけっこうオープンな宇宙オタクなのはクラスのみんなが知ってたっぽい。だから元カレがその同級生に自分も興味あるから次に天体観測やる時は誘ってくれないか、って聞いてみたら……「何それ?」って聞き返してきたんだって」

 

 ここまで聞けば、もう答え合わせは終わっていた。


「一番大好きなものの「記憶」を食べられてる……」

「うん、元カレさんもそう思ったみたい。だからセンパイは家族を無視してるんじゃなくて、記憶を失ってるんだ。で、それは新しく覚えることもできないみたい。だから、目の前に家族がいてもそれを「覚える」ことができないから見えないし聞こえない。同級生さんは「星」か「宇宙」かな? だからそれを見るための「天体観測」もわかんなくなっちゃった、的な?」


 そこで珠緒は思わず想像してしまった。

 もしも自分がその悪夢に遭ってしまったら。

 もしも自分がその問いに答えなければならない状況になってしまったら。

 きっと自分は――、


「……そのウワサが単なる嘘だといいですね」

「そうなんだけど……そのセンパイも元カレさんも、普通に3年にいるんだよねー」

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