case-04 禍身の正体

「き、ひ……。ひひ、きひひ……きひひひひひひ!」

「うわ。なんですか、あのぶよぶよ……。精神衛生的にすごく受け付けません……」

「あれが今回の禍身かみ。脂と皮膚だけで構築されたような見た目だが、仮にも神を苦しめた相手だ。絶対に油断するな」


 それはもちろん、と返すよりも早く、木々を容赦なく倒しながら禍身は一直線にこちらを目指して突進する。

 5本の右足と6本の左脚はまるで百足のように気味悪くも器用に動いて見た目以上の機動力を明らかにするものの、珠緒はその動きを冷静に睨みつけたまま、両脚に力を籠めて禍身へと駆け出した。手にした神断を真っ直ぐに突き出し……禍身の脳天に一撃。しかし――、


「きぁああああ! ああぁ……ぃぃっひっひっひっひ、きひひ……ひははははは!」


 神断の一撃を受けてなお、禍身はその動きを止めることなく珠緒へとその巨大な大顎あぎとを向ける。

 間一髪、知紅が彼女の襟を掴んで後ろへと放り投げたことで難を逃れるものの、さすがに今のは二人そろって心臓が跳ねた。

 

「ぶよぶよが邪魔で致命的な一撃が通らない!」

「……なるほど、ケガレを肉の鎧にしているのか……!」


 知紅の推測によれば、あのぶよぶよとした脂のようなものは、禍身が抱えるケガレそのもの。

 本体となる部分はもっと内側に存在していて、ケガレを外皮あるいは鎧のように纏うことで、他の禍身や神との衝突を生き抜いてきたのだろうという。

 いくらなんでも本体に攻撃が通らなければ神断も薙ぎ祓いようがない。普通なら万事休すとも思える状況の中、知紅も珠緒も表情をまるで変えず禍身の攻撃を捌いている。


「……構わん、まずはケガレの鎧を焼き祓え」

「わかりました!」


 しばしそうして攻撃をいなしていた知紅が何かを見極め終えたかのように告げると、珠緒はまるで「それを待っていました」と言わんばかりに快活な返事で、神断を禍身へ向けて投擲。

 すると彼女の手を離れた神断は不規則な軌道を描いて禍身の背にその先端を突き立て……珠緒の両手が再びぴたりと合わさる。

 

「『神罰かんばち』」


 静かに――しかしこの山のどこにも通るような声で彼女が呟くと同時に、天空を掻き分けるように閃く青白く美しい光が禍身に突き刺さった神断へと降り注ぎ、その圧倒的な熱量によって鎧を剥がれた神の本体が露呈する。その正体は、左右で数の異なる足を持つ赤黒い蛇。


蛇禍身へびがみ……! 水神みずがみか、あるいは水に関連する畏神おそれがみに至り損ねた類のものか……!)

 

 そう考えた果てに「道理で」と彼が納得したのも当然。蛇の神霊は水と関わりの深い存在であり、それが善徳を積むことで水神に、悪徳を重ねることで旱魃や洪水を引き起こす畏神となるパターンが少なくない。そして、水とは人に限らず生命がその営みを続ける上で欠くことのできないものであり、そして人と霊、時に神をも繋ぐ交信手段ともなる重要なエレメント。古くは神の中でも特別かつ強力な存在とされた「龍」が蛇に類した容貌を湛えていることからも、蛇という存在がいかに強力なものかを物語っている。故に、蛇の禍身ともなればケガレを鎧とする知性を持つことにも、並の神をも跳ね除けてきたという事実にも、不自然どころかむしろ納得の至るところ。

 

「だが……相手が悪かったな、蛇禍身へびがみ。いけ、珠緒!」

「開けよ、黄泉の路へと続くとびら。明けよ、君の路をも照らすひかり。憐れな禍身を黄泉へと還す、我が神薙ぎの唄よ響け!」


 駆け抜け、再び突き出した神断は、迎え討とうと開かれた蛇禍身の口を真っ二つに裂きながら一筋の光が閃く。


「――『神鳴一閃かみなり・にそういらず』」


 振り抜いた一槍いっそうを疑わない彼女の声に、その背後で浄化滅却された蛇禍身の魂の逝く先は神薙ぎである珠緒にさえわからない。

 少なくとも極楽浄土には向かえないだろうし、地獄となればどれだけ深くまで落とされるだろうか。元は神にも続く路を歩んだ者の末路が、極楽でも地獄でも現世でもないところに逝くとすれば……その旅路はどれだけ遠く果てのないことか。


 知紅が珠緒へと駆け寄り、山を下りようと振り向くと、そこに居たのは先ほどの黒い泥のような存在と、その隣に並ぶ幼げな印象の残る浅黒い肌の少年。


「世話になったな、禍身祓い」

「山神から直々に挨拶に来られるとは……かしこみかしこみ」

「よい。それに神をも薙ぎ祓う神薙ぎの女を侍らせて、何を畏む必要がある」

「だとしても、善き神に不敬があっていい理由には到底なりますまい。此度のことは山神への感謝の気持ちを欠いた町の者どもの非でもありましょうが、どうか寛大な御心でご容赦いただきたい」


 そう言って腰を90度に曲げて拝む知紅に倣い、珠緒もまた同じように頭を下げた。

 すると山神は少々おかしそうにくっくっと笑うと、


「これは面白い。神薙ぎが天でなく神に拝む姿を見られる者など、八百万のはらからの中にもそうそう居るまい。禍身祓い、どうやらお前は相当その神薙ぎに好かれているとみえる」

「不出来ながらも懸命な、自分には過ぎた姪であります」

「なぁに、おれもこの町を好いてやったこと。面を上げよ。それにお前たちを呼び立てるためとはいえ、こちらもあの坊には可哀想なことをした。そこで、互いの手打ちの提案をしたい」


 そうして山神が挙げた手打ちの条件を、知紅は全て呑んだ。


 ひとつ、「これより二月ふたつきの猶予を与える。此度の戦いで傷んだ祠は残し、この町の者で新しい祠を用意すること」

 ひとつ、「新たに建てる祠は、この山の麓の人目を避けたところに建てること」

 ひとつ、「あの蛇禍身を供養するため、これより一年、七日に一度、雨の降らない日に必ず古い祠の足元に水を撒くこと。ただし、けして手を合わせず捧げものをしないこと」

 ひとつ、「一年後の今日、古い祠を解体し、それ以降は理由もなく山に近付かぬこと。致し方のない理由がある時は、必ず新しい祠に手を合わせに来ること」


「では、これを『約束』とする。けして違えるなよ。あと、あの坊にはおれから詫びておく」

「そのように。此度はご迷惑をおかけしました」

「此度のことはこちらにも至らぬところがあったとは先にも告げたであろう。要らぬ言葉を受け取るつもりはない。そうそう、お前のその無意味にへりくだる態度は早々に改めよ。自らを貶めれば、自らを慕う者をも貶める。神薙ぎを侍らせる男がそれでは、神薙ぎの示しがつくまい。自省し、精進せよ」


 ではな! と山神は二人に背を向けると、かっかっと笑いながら後ろ手を振り、その姿をうっすらと消していった。

 黒い泥はしばらく山神を見送ると、相変わらずどこに目があるかもわからないのに「早く帰れ」と言わんばかりにその視線を逸らした。


「あの、知紅さん。あの黒い泥って、さっきの蛇禍身と同じようにケガレを纏ってるんじゃないんですか?」

「たぶんそうだろうな。それが?」


 泥の言う通り、帰路に着こうとする中で、あの泥とまだそう距離も離れていない中、珠緒は声をかけた。

 

「神の使いがケガレまみれって、大丈夫なんですか? 禍身になったりとか……。神罰で祓ってあげたほうが……」

「いや、あれはもう大丈夫だ」

「大丈夫って……なんでですか?」

「あれはもう既に神に成ってる」


 禍身は、神に至るほどの力をつけた悪霊であったり、悪神として祀られていたものが神格を失ったものであったりと、基本的に「善い神」にはなりようのない存在である。

 時には神に近付いた善良な霊が、外的な要因によって神に至る前にケガレまみれになって禍身となる事例もあるが、それもまた「神に成る前」までの話。


「あの泥はおそらく、山神に使役される神獣の類だろう。獣の霊が神に成るには神の元で長い修行を必要とするが、おそらくあの神獣はこの町のケガレを引き受ける修行をつけられていたんだろう。そして、ひとまず集めたまま自分を律するところまでは認められて、神に成ったばかりというところか。ここからは、あの体に纏ったケガレを自力で浄化する修行をつけられて、さらに神格を上げる修行をつけられるはず。だから、お前があのケガレを祓ってしまうと、山神にとっても泥にとっても邪魔にしかならない」

「余計なお世話、ってことですね」

「そうだ。さて……まずは依頼者を含めこの町の代表に今回の事件の顛末と、新しい祠について説明しなければならないし、やることはたくさん……そういえば滝原は何してるんだ。とっくに麓の祠は見つかってるはずだが」


 何かトラブルがあった時に鳴らすための爆竹の音も、山を登り始めてから今に至るまで一切聞こえていない。

 まさか、爆竹を鳴らす暇もなく何かあったのではないかと思い、二人は下山ペースを少しだけ早めて――30分後。


「何を呑気に一服してるんだお前は」

「いやいやいや、こっちも大変だったから。ていうか黄色爆竹を鳴らしたのにちっとも助けに来てくれないし、命からがらどうにかこうにか逃げ延びてこれなんだから、一服くらい許してくれてもよくない?」

「まさか、あの蛇禍身に接触したのか?」

「蛇? なんか白いデブ百足みたいなやつだったけど、ワンチャン死ぬかもっていうか、むしろ生き残ってる現状がマジのワンチャンを掴んだ感じはあるよね」

 

 彼の言う白いデブ百足というのは、あの蛇禍身がケガレを纏っていた状態のことだろう。

 タイミングとしては、知紅と珠緒が山に入った直後か。滝原が山の麓に入ってすぐに襲えば、黄色爆竹の音は知紅たちにも届いていたかもしれないが、蛇禍身はあの遺体たちのケガレを使って山の浸食を始めていた。おそらく、あの山の出入り口付近のひどく限定的な範囲ではあるが。だから泥は麓での活動拠点として、自分の分身わけみを蛇禍身の活動拠点とは反対方向に作ったのだろう。それが、知紅の感じ取っていた「悪しき気配はないが泥と同質の気配」であるはず。

 そして、そこに向かった滝原を追っていた蛇禍身が、彼と接触。すぐさま黄色爆竹を鳴らすも「蛇禍身の領域」に入ってしまっていた知紅と珠緒には届かず、代わりに分身を通して状況を察した泥を介して山神が蛇禍身の対処に向かい、彼は難を逃れたのだろう。そして、蛇禍身は自分の領域にもうひとつの獲物である知紅と珠緒がいたことには気づいていたが、山神の妨害に遭って戻ることもできず、いつの間にか知紅と珠緒はその領域を脱出。


「……となると、あの黒い泥がわたしたちの前に最初に現れた時って……」

「山神の妨害を抜けて、オレたちに追いついたタイミングだったんだろう。だが、泥が見ていたから手を出せなかった。何かすれば、泥がまた山神を呼ぶと学んだんだろう」

「で、山頂に着いた知紅が祠を通じて山神に交信して、あの白デブ百足を誘導してもらってズドン、と?」

 

 当たらずとも遠からずといったところだろう、と言ってZL1000に跨る知紅を見て、滝原は小さく溜息を洩らす。


「後のことはオレが片づけておく。お前は珠緒を家まで帰してやってくれ」

「りょーかい。んじゃ、嬢ちゃんは俺と楽しい夜のドルァイブに……嘘だから、冗談だからペンデュラム突き付けるのやめてくれる?」

「知紅さん、大丈夫ですよ」


 やや過保護な知紅を諫めようとしてか、珠緒がまるで針のようにまっすぐと滝原の喉元まで伸びたペンデュラムを押さえ、彼の手を握る。


「だが、珠緒……」


 心配そうに言葉を続けようとする彼の言葉を遮って、珠緒は言う。

 

「いざとなってもやり返せるので」

「それもそうか」


 その後、珠緒は何事もなく帰宅した旨を彼に連絡し、滝原はしばらく珠緒が出張らなければならないような案件を避けるようになった。

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