case-02 事前準備

「――で、押し切られたと」

「断りはしたし、置いてこようともした。が……「置いていったら、神薙ぎの力をフル活用して追いかけます」と言われてしまってな……」

「あー、禍身センサーね……。え、あれ県外でも感知するの? ヤバくない?」

「やったことはないが本気で探知に集中すればできるだろう、というのが本人の談だ」


 ひぇ、という同僚の小さな悲鳴を聞いてか否か、知紅の愛車ZL1000に軽く腰かける珠緒がにこりと微笑んだ。その笑みの意味は、という問いは二人揃って呑み込んだ。

 そもそも、禍身とは「神の成り損ない」というだけあって、その禍々しくおぞましい気配は、そこらの悪霊の比ではない。なぜなら「気配を隠す」という行為は本来、自分よりも強い存在に狩られないための防衛本能がそうさせるのであり、自分を捕食できるような存在など本来存在しないはずの禍身にはそうする必要が無い。そして、だからこそ禍身がその姿を露わにすれば、禍身だけでなくあらゆる霊的存在を無意識に感知する『神薙ぎ』が本気でその気配を辿れば、この国で起きるほぼ全ての霊害を感知できるはずだ、というのが今となっては三人共通の見解だ。


「俺の胸倉を掴み上げてあんなセリフ吐いといてさぁ……」

「本当にすまない……」


 はーやれやれ、と溜息に加えたわざとらしい身振りに少々思うところはありながらも、今回ばかりは反論の余地がないことは知紅が一番わかっていた。

 そして同僚もあまり引っ張っても得るものはないとわかっているのか、とりあえずといった様子で珠緒へと近寄っていき、知紅もその後に続く。


「久しぶり、神薙ぎの嬢ちゃん」

「ご無沙汰しております、滝原さん」

「今回の仕事を手伝ってくれるって? 助かるよ。こんな仕事、命がいくつあっても足りないが神薙ぎがいりゃあ百人力だ」


 いつものように軽薄そうな笑みを浮かべる同僚――滝原孝介たきはらこうすけは、そうして軽い雑談をひとつふたつ交わして珠緒の緊張感を少しほぐすと、やや声のトーンを落として「じゃあここからが本題だから、これに目を通してくれる?」と3枚程度のプリントを彼女に渡した。それが何かは、敢えて問うまでもなかった。


「今回の被害者は直近で2名。3週間前に忽然と姿を消して、そっから親にも友人にも音沙汰なし。まぁ禍身って普通の人には見ることも感じ取ることもできないから、もしかするともっとたくさん被害あったかも。場所はこの畦道をまっすぐ歩いて10分くらいの山というか雑木林みたいなとこ。この近くの人たちに聞いた感じ、何かを祀ってる感じはなかったから土着の神が堕ちたわけじゃないっぽい。たぶん移住型かな? で、失踪当日にこの近くで遊んでたガキんちょが言うには「黒いドロみたいなデカい何か」が雑木林の方に向かって這いずって行ったらしい。ちなみにその子供の親が今回の依頼者。っていうのも、被害者2名の内、失踪したのが一人で、もう一人がこのガキんちょ。3週間ずっと高熱に魘され続けて、寝てる間も悪夢のフルコースで、風呂とかトイレとか行こうとして部屋を出ると家のあっちこっちに「ちょっと小さくなった泥みたいな何か」がいるって怯えてるみたい。可哀想だね」

「最後のまったく感情の籠もってない棒読みの「可哀想だね」必要ありました?」


 こういうお仕事における『敬具』みたいなもんだよ、と告げる滝原の言葉の真偽を問うかのように珠緒が視線を向けると、知紅は何も言わないまま首を横に振った。


「嘘じゃないですか」

「まぁそうだね」


 ひとまず現場に赴かないことには何も始まらない、とその場の会話の流れを断ち切った知紅の先導に続くような形で、三人は事件が発生した山の入り口へと歩みを進めた。

 すると滝原の説明通り、先ほどまで居た場所からぴったり10分ほどで到着し、禍身祓いの二人の視線が珠緒の瞳へと集中する。


「……今のところ、センサーは反応してないみたいだけど」

「はい。でも近くに来てないだけで、間違いなく居ます。向こうもこっちの動きを気にしてるみたいで、すごく嫌な視線を感じますけど、今のところ動く感じはないです」

「獲物の品定めといったところか。なら、今の内にできる準備はしておくか」


 珠緒が禍身の監視をしている間、滝原に彼女の護衛を任せると、知紅は周囲の植生や環境の確認を始めた。

 左足に付けたレッグポーチから方位磁針コンパスとペンデュラム付きの指輪リングを取り出し、左手に方位磁針、右手の中指にリングを装着。方位磁針コンパスが示す方角に間違いがないかスマホでマップ情報と照らし合わせると、早々にスマホをポケットに戻してペンデュラムを構えた。


「……事前情報通り、この山そのものに悪い気配はなく、まして霊道が歪んだ様子もない。だが……ペンデュラムが示す方角がおかしい。珠緒が気配を感じ取っている方角とまったく違うのは何故だ……?」


 禍身に限らず、多くの霊的存在に対するタブーのひとつが「視線を合わせる」ことだ。

 普通の人間が普通の日常生活を送っていて、ほとんどの霊害を受けずに済む理由は、互いの「認識の位相チャンネル」が合っていないのが理由の大半だ。

 人間は幽霊を認識できず、成仏した霊的存在も人間を認識できない。ただ、成仏できていない霊的存在は人間を認識していて、それが悪意をもって霊害を与えようとするのなら、なんらかの形で「人間の位相チャンネル」に合わせようとする。だが仮にその位相チャンネルが合ってしまっても、霊的存在は「それが本当に合っているかどうか」を確かめる術がないので、「合っているかもしれない相手」の前に姿を現す。そして位相チャンネルが合ってしまった者は、いきなり目の前に現れたものが何かを確認するため、本能的にと「視線を合わせてしまう」のだ。それが、相手に「位相チャンネルが合っている」ことを教える行為だとも知らないままに。

 そのため、珠緒だけでなく霊的存在を常から認識できる者の多くは基本的に霊的存在に対して視線を向けないことで自衛する。見えず、聞こえず、感じないフリをする。

 しかしそうなると、こういう仕事をしている時には困ることもままある。そこで、過去に何度か交流のあったこの三人の間では、珠緒が禍身の気配を感じている時「その方角を右足の爪先で教える」と示し合わせていた。


「…………」

「難しそうな顔してるけど、なんかあった?」

「珠緒の感じている気配とは別の方向に、被害者の少年の家で回収した「泥」と同質の何かがあるようだ」

「……具体的な場所はわかるか?」

「地図に書こう。あと爆竹も渡しておく」


 霊的存在と対峙する際、全てとは言わないまでも多くの場合においてデジタル機器がその役割を果たさないことは多い。そのため連絡手段として、大きな音の出るものを何種類か渡して互いの安否を確認するのが禍身祓いの常識だ。知紅はレッグポーチから色の異なる爆竹を3つ取り出し、それを滝原に渡す。


「禍身絡みでないトラブルが起きたら青の爆竹を鳴らせ。禍身絡みか、こちらの助けが欲しい状況なら黄色だ。できればこの2つだけに留めておいてほしい」

「赤いのは?」

「助からない、あるいは助けが間に合わないと思ったら鳴らせ。俺たちだけで逃げる」

「了解」


 知紅は地図に印をつけながら、敢えて滝原へ視線を上げることはなかった。

 それをどう受け取ったか、滝原もまたいつも通りの軽薄そうな笑みをそのままに、彼から受け取った地図を手に駆け出していく。


「気配はしばらく動く様子はなさそうです」

「ならばこちらから仕掛けるしかない。珠緒、ここからは絶対に俺の言うことを聞いてもらう。俺の指示にひとつでも逆らえば命の保証はできない。いいな?」

「いつも通り、ということでしょう? わかっています」

「よし、ならまずは手を繋ごう」


 知紅からの注意事項はいくつかあった。

 ひとつ、手を繋いで決して離さないこと。

 ひとつ、道中で周囲の確認をする時は目だけを動かして頭を動かさないこと。

 ひとつ、山に入ったら互いに決して喋らないこと。喋る必要がある時は握った手を3回強く握り、相手が同じように握り返せばいいが、そうでなければ黙っていること。

 ひとつ、珠緒が何かの異常を感じた、あるいはそれが近付いていると思ったらその場で止まってから思いきり手を強く握ること。

 ひとつ、知紅の空いている方の手を常に気にすること。

 手を開いている時は「リラックスしていいが手は離すな」

 拳を握っている時は「手を離すな。警戒しろ」

 火のついてないタバコを咥えたら「手を離して禍身を迎え討つ準備をしろ」

 なんの前触れもなく手を離したら「今すぐ逃げろ」

 

「覚えたか?」

「はい」

「よし。じゃあ行くぞ」


 既に、珠緒だけでなく知紅でさえ禍身特有の嫌な気配をうっすらと感じ始めていた。

 しかし禍身と対峙してしまえば、それを薙ぎ祓えるのは珠緒しかいない。できることなら、そうならないよう禍身を封印するか適切な処置をして祀り宥めてやりたいところだが……正直なところ、どう楽観視してもそれが不可能であることも、長い経験から知紅は知っていた。それほどに強力で悪質であることを、こうも饒舌に気配が語るのだから。

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