第27話 己に克つ
ついに、準決勝が始まった。
読み上げ係の生徒が、選手の名前を読み上げる。
「赤、亀城東高校、羽黒選手」
「はい!」
元気よく返事をして試合場にあがる羽黒。
一瞬ふりむいて俺を見ると、軽く頷く。
ポニーテールが揺れる。
俺も頷き返した。
そして。
その羽黒の相手は。
「白、室側女子、羽黒選手」
羽黒だった。
羽黒楓が、もうひとりいた。
いや違う。
正確にいうなら、羽黒楓の、教室バージョンだ。
みつあみおさげの、ダウナーな感じの羽黒。
でもその表情は柔道着を着ている時の羽黒のそれだ。
それが、羽黒楓の対戦相手だった。
なんだこりゃ、俺は夢でも見ているのか?
試合会場がざわざわとどよめく。
いやほんとにわけわからん、羽黒楓とそっくりの顔をしたもうひとりの羽黒。
どういうことだ?
例のスマホ破壊事件依頼、気を使っちゃって羽黒本人には全然聞けていなかった、ライバル。
それが、同じ顔をした、もうひとりの羽黒。
俺の隣にいた室側女子の生徒が叫ぶ。
「羽黒ぉファイトォ!」
そして、その隣の、もうひとりの生徒も。
「
俺はその二人の会話に耳をすます。
「なにあれ、顔そのままなんだけど」
「双子なんだよ、妹の方の紅葉ちゃんはほら、全中優勝してるから学費免除だけど、楓ちゃんは地区予選で紅葉ちゃんに負けてるから……あそこんち、離婚してお金ないから紅葉ちゃんだけ学費寮費生活費全額免除で全寮制の高等部に進学したんだって……楓ちゃん、柔道部のない公立学校にいったっていうから心配してたんだけど、まだ柔道やってたんだ……私感動しちゃった」
ああ。
そういうことか。
始めて羽黒に会った時の、彼女のセリフを思い出す。
『私は自分に勝つために柔道やってるようなもんだから』
俺がネットでみた、全国小学生大会で優勝した羽黒は、間違いなく俺の知っている羽黒だった。
でも、中学で全国優勝した羽黒は、俺の羽黒じゃなく、その双子の妹だったのだ。
「ふーん。で、紅葉じゃないほうも強いの?」
「超強いよ、今まで、楓ちゃんは紅葉ちゃん以外には負けたこと無いんだから。地区予選であたったら、勝った方が全国優勝するっていわれてた。で、妹の方が勝って本当に全国優勝したの」
俺のスマホをすっ飛ばした日のことを思い出した。
双子で、実力は
その二人がたかだか地区予選であたって、そしてたまたまか知らんが、羽黒楓は負けた。 勝った方が、学費寮費免除で柔道の名門校に進学できた。
全国優勝し学費全額免除の妹の紅葉はともかく、地区予選敗退の楓はそうはいかない。
羽黒の家では楓の分の私立高校の学費を用意できなかったのだろう。
羽黒楓は、悔しかったのだ。
人生を決める一戦で、羽黒は自分の生き写しに負けて、柔道部もないような学校に進学したのだ。
もしかして自分だったかもしれないもうひとりの自分の写真を、無神経にも俺は見せてしまって、それであんなに激昂したのだ。
さっきの新井田先生の言葉を思いだした。
『己に克つ』
まさにこの試合こそ、羽黒楓にとって克己を示す試合なのだった。
二人の羽黒がじっと見つめ合いながら開始線に立つ。
俺の羽黒――楓はポニーテール、妹の方の紅葉は学校にいるときの羽黒楓と同じ、三つ編みおさげ。
礼をする。
審判が、声を上げた。
「はじめぇ!」
二人は軽く跳ねながら距離を縮めていく。
組手争い。
お互いがいいところを持たせまいとして慎重に腕をからませ、袖を持たれたらそれを切り、袖を持ったら切られる。
二人とも緊張していて、身体が固くなっているように見えた。
最初の組み手争いに勝ったのは、羽黒楓の方だった。
襟をがっちりと掴み、袖を抑える。
「今よ、今!」
新井田先生が叫ぶ。
その瞬間、羽黒楓の身体が沈み込んだ。
畳に背中をつけ、右足で紅葉の下腹部を蹴り上げる。
巴投げだ。
紅葉の身体はいとも簡単に浮き、そしてくるりと回転して畳に落ちる。
「技ありぃ!」
審判が宣言する。
「いいぞお、羽黒!」
俺は思わず叫んだ。
これでポイントリードだ。
柔道のポイントは上から一本、技ありとあて、一本なら試合終了、技ありでも二回とれば合わせて一本になる。
高校生の試合時間は四分間。
四分間耐えれば……。
だけど、さすが羽黒の双子の妹。
今度は逆に羽黒の襟首の奥をとり、頭の上から押さえつける。
「頭下げないで!」
新井田先生の絶叫。
頭をあげて体勢を整えようとする羽黒。
でも紅葉は一瞬の隙も見逃さなかった。
シュバッという擬音が聞こえるかと思うようなスピードで、左手で強く羽黒の袖を引き、右足で羽黒の股ぐらを跳ね上げようとする。
内股という技だ。
しかしそこは羽黒、ぐっとこらえて投げられまいとする。
力と力、バランスとバランスが伯仲し、その状態でほんのコンマ数秒二人の動きが止まった。と思ったら紅葉は急に重心を移動させ、羽黒の股ぐらにさしこんでいた足を翻し、今度は羽黒の右足を内側から刈り飛ばした。
突然の小内刈に羽黒は耐え切れず、お尻から畳に落ちてしまう。
だが審判はポイントをとらない。
うわっ、今のは危なかった、技ありとられてもおかしくなかった。
羽黒はすぐにうつ伏せになり、待てがかかって試合は仕切りなおし。
「楓ちゃん、攻めて、攻めて!」
新井田先生の声に負けじと俺も、
「羽黒、がんばれえ!」
と叫ぶ。
同時に、室側女子の先生や生徒たちも、
「羽黒ぉ! 持ったらすぐだぞ、持ったらすぐ!」
「羽黒ファイトォ!」
「羽黒、こうしてこうやってこうだよ!」
なんだかわからんがどっちも羽黒羽黒でどっちがどうだかわからんぞこれ。
技術的なアドバイスは俺にはできない。
だから、俺はただただ、
「羽黒ぉ! 羽黒、ファイトォ!」
と叫ぶしかできない。
歯がゆくて仕方がない。
もとはあんなに内気な羽黒楓が、たったひとりで柔道部をたちあげ、きっとひとりきりで練習を積み重ねようとしていたのだ。
たまたま俺があのとき補習を受けなかったら。
羽黒は本当にひとりぼっちだった。
でも、実際は俺が今ここにいるのだ。
声援しかできないが、俺の叫びで少しは羽黒の力になりたかった。
くっそ。
それ以上なにもしてやれないのが悔しくてたまらない。
「羽黒ぉ!」
喉が枯れてもいい、とにかく羽黒に力を。
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