第26話 そいつに勝てば全国狙えるぞっ!
そして、県大会の日がやってきた。
電車で一時間。
俺が今まで言ったことのない町で、県大会は開かれた。
俺と羽黒、そしてコーチとしての新井田先生。
羽黒の妹は、今日は羽黒の祖母が都合のいい日みたいで預けてきたといっていた。
羽黒は電車の中でもずうっと本を呼んでいて、新井田先生が、
「実際のとこ、中学ではどこまでいったの? 全国は行ってるでしょ、あなたの力だと」
などと訊くのに、
「ああ、いえ、そんな……弱かったですから……」
と、ぼそぼそと答える。
駄目だよ新井田先生。
おさげメガネバージョンの羽黒はダウナー少女なんだから。
おしゃべり楽しみたいならこいつに柔道着着せないとな。
ま、電車のなかで柔道着きた女子がいたら、ちょっとおもしろいけど。
そして、目的の駅につき、そこからタクシーで会場へ。
ちなみにタクシー代は新井田先生の自腹らしい。
「ね、今のうちおにぎり食べておきな。羽黒さんは今体重大丈夫なんだよね? うっかりしてたわ、聞いてなかった。今、何キロ?」
「た、体重?」
おさげ羽黒はちらっと俺を見ると、顔を真っ赤にして、
「あの、その、朝測ったら四十五・二キロでした」
「え、なにそれ。うーん、軽いなあ。軽すぎるわよ。四十八キロ級なんだから、もう少し食べて身体つくりなさい。もったいないわよ。そうね、五十キロくらいまで増やして試合前にちょっと減量するくらいでいいわよ」
うーん。
同級生の女の子の体重をコンマゼロレベルで知ってしまった。
ま、聞かなかったふりをしておこうか。
そしてタクシーは県大会の会場、T市立体育館へとついた。
さすが、県大会ともなると、地区大会とは規模が違う。
地区大会の何倍もの人、全員が柔道関係者だ。
もちろん男子も一緒なので、筋肉ムキムキ五厘刈りマンや、どこの横綱だよ! みたいなばかでかい身体のおっさんみたいな男子高校生で満ち溢れている。
「うわーこえー……」
と怯える俺に、新井田先生が、
「あはは」
と笑って、
「じゃ、私ちょっといろいろ挨拶まわりしてくるから。えっとね、ここ、体育館に畳を敷いて会場にしてるんだけど、観客席が控室代わりになってるから、ええとそうね、二人だしねえ、すみの目立たないとこにでも荷物置いておいて。男子はその場で着替えるけど、女子は更衣室あるからね」
と言い残して、審判室へと行った。
どうも、先生も審判として参加するらしい。
ま、元B強化選手で全国二位だもんな。
いろいろ挨拶する相手もいるだろうし。
さて、俺たちは観客席のほんとのすみっこにスペースをみつけて、そこに荷物を置く。
体育館の会場をはさんで向こう側の観客席に、
「制覇! 室側女子高校」
という垂れ幕を見た。
羽黒も気がついたようで、でもすぐ目を伏せ、
「あそこの学校に、勝ちたい相手がいるの」
といった。
なるほどね、羽黒はもともと室側女子付属中学で柔道やってたわけで、普通ならエスカレーターであそこの高校へいくはずだったのだ。両親が離婚しなかったら、の話だが。
きっと、そこの高校に、ライバルがいるんだろうな。
「っていうか、友達とか、いるんじゃないのか? 挨拶行かなくていいのか?」
と俺が訊くと、羽黒はブンブンとおさげを揺らしながら首を横に振り、
「やだ」
とだけいった。
うーん、まあ事情はわからんけど、会いたくないとかそういうこともあるのかもしれない。
「あのね、あんまり……仲のいい子、いないの……」
まあ、気まずいなにかがあるのかもしれない。
これ以上どうこういうと悪い気がするので、俺は黙った。
「じゃあ、着替えてくるから……」
そんなわけで、俺たちは会場のはじっこで、目立たぬよう、試合前の練習をした。
羽黒はもう、ほんとにちっちゃくなっちゃっていて、かるくウオーミングアップを終えると、試合会場から逃げるように外に出てしまうのだった。
新井田先生は審判をやったり、審判をやらないときでも審判席に座っていたりして、俺たちのところへはなかなか来るチャンスがないみたいだったし、なんだかなー完全アウエーな感じ。
だけど、それも試合が始まってしまえば、羽黒は生き生きと大活躍するのだった。
一回戦。
「赤、湯田北高校、池田選手。白、亀城東高校、羽黒選手」
名前を呼ばれて、
「はい!」
元気よく返事をするポニーテール羽黒。
うん、柔道着のときはおさげメガネ羽黒バージョンより、やっぱりこっちが似合う。
と、周りが一瞬ざわついた。
「あれ? あれって室側女子の羽黒じゃん、なんで亀城東?」
「どういうこと?」
どよめく会場内。
そこに、
「楓ちゃーん! がんばれー!」
見知らぬ女子生徒の掛け声。
その子の胸には羽黒と同じ室側女子の名前、なんだやっぱり友達とかいるんじゃないか、挨拶しにいけばいいのにもったいねえなあ。
ま、おさげメガネ羽黒は異常なほどの人見知りでコミュ障だから仕方ないかな。
試合自体は瞬殺だった。
「始め!」という審判の合図があったかと思うと、羽黒はものすごいスピードで組み手争いを制し、自分だけ有利な体勢にもっていくと、
「やぁー!」
という掛け声とともに背負投、相手は簡単に転がる。
うーん、こうして見てみると、素人目にも地区予選のころよりも強くなっているのがわかる。
さすが、全国二位だった新井田先生と毎日稽古していた甲斐があったというもんだ。
毎朝、朝練で俺のことも何十回も投げてたしな。
「すげえじゃないか、羽黒」
「いや、でもまだ一回戦だし……」
本人は謙遜するが、二回戦も圧倒的だった。
羽黒の組手の強さに、相手は立っていることもできずにひざをつき、そのスキをねらってすぐに寝技に以降。
羽黒は自分の右足をうずくまっている相手の腹にねじいれ、左足のすねで相手の頭をおさえ、そのまま腕をとってのばす。
腕ひしぎ逆十字のうつ伏せバージョン、裏十字固めだ。
耐え切れなくて相手はすぐに畳をタップ(二回以上、手のひらでパンパンと叩く)して、参ったを宣言、危なげない一本勝ちだった。
「すげえな、羽黒」
「ふふん、当然でしょ」
「しかも関節技じゃねえか!」
「新井田先生にいっぱい教わったからね。あー! 柔道たのし~!」
うん、ポニテ羽黒は元気いっぱいだ、いつもどおり。
「でもねえ……次が、ちょっとやっかい……ってか、かなり強い相手なのよね」
「ん? そうなのか?」
「室側女子の副キャプテンなの」
「うわー……大丈夫か?」
もしかしたらそいつがライバルか?
「わかんないけど、精一杯やってくる。勝たなきゃ、アイツと試合やれないもんね」
違うらしい。
とにかく、四十八キロ級の参加人数は三十人、次勝てばベスト4だ。
強敵を前にして、こころなしか羽黒の顔も緊張し始めた。
そして、ついに試合の番がやってきた。
「赤、室側女子、奥田選手。白、亀城東高校、羽黒選手」
「うおおおおおおおおおお!」
「先輩ファイトォォォォォォ!」
うお、なんだこの応援。
さすが柔道の名門校、応援の気合が違う。
耳をつんざくほどの女子たちの応援の声。
そこに、室側女子の監督らしい、男の人の声が響く。
「奥田ぁ! そいつに勝てば全国狙えるぞっ!」
おおすげえ、羽黒に勝てれば全国いけるってか。相手の監督の羽黒への評価はかなり高いぞ。
逆にいえば、それだけ相手も気合をいれてくるってことだ。
二人、開始線にたって礼をする。
「はじめぇ!」
審判の掛け声。
試合が、始まった。
まずは厳しい組手争いから始まった。
柔道ってのは、少しでも有利な組手にすることが重要だ。
オリンピックの柔道競技なんかでもみたことあると思うけど、お互いに得意な組手になるよう、激しく動きながら相手の襟や袖を狙う。
選手それぞれが、『ここを持てば相手を投げられる』というポイントがあり、そこを持たせないよう、そして自分が持てるように、はげしく組み手争いをするのだ。
さすが相手も室側女子の副キャプテン、羽黒に有利な組手にはなかなかさせない。
お互い消極的だとして、審判から指導が一回ずつ入ったあと。
組み際だった。
相手の奥田選手が羽黒の襟と袖を持った瞬間、いきなり技をかけてきたのだ。
羽黒の身体が浮く。
俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
吹っ飛ばされた羽黒の身体が綺麗に円をかいて――そして、畳に打ち付けられた。
まじか、嘘だろ?
だが、審判は手を上げない。
羽黒は投げられた瞬間、身体をひねって背中からではなく、うつ伏せの状態で畳に落ちたのだ。
柔道では相手を背中から落とさなければポイントにならない。
くわー、あっぶねえ。
負けたかと思った。
たちあがり、乱れた柔道着のすそをなおす羽黒。
「羽黒さん、落ち着いて! 組み際気をつけて!」
審判の控え席から新井田先生の声が飛ぶ。
「先輩、その調子です!」
「奥田先輩ファイトォォォォォォォォォッ」
室側女子の生徒たちも応援の声がすごい。
まけじと俺も叫ぶ、
「羽黒っまけんなっ!」
試合中だというのに、羽黒はそんな俺に視線を送って、一瞬だけうなずいた。
「始め!」
審判の声とともに羽黒は相手に向かってつっこんでいき――相手の襟をとった。
「いいとこ持ったよ! 今! 今! 今!」
新井田先生が叫ぶ。
「羽黒ぉいけえええええ!」
俺も叫ぶ。
羽黒が背負投をかける、相手は読んでいたかのように腰を落とし耐える、だけど羽黒の身体は相手の懐に入ると見せかけて――突然逆方向に身体を開いた。
羽黒の右足が相手の左足を刈り飛ばし、
「やあああああっ!」
掛け声とともに浴びせ倒した。
いつだったか、俺がやられたあの技だ。
背負投から大内刈りへのコンビネーション。
相手の奥田選手はなすすべもなくまっすぐ背中から落ち――
「いっぽぉぉぉぉん!」
審判が大きく手を上げ、会場中に「ああ……」と落胆の声が満ちる。
「やったぁぁぁぁぁ!」
「よっしゃああああ!」
俺と新井田先生だけが喜びの声をあげた。
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