第14話 私まだ十五歳だから
そう。
筋肉で見事に割れたおなかを。
いやそっちかよ!
胸を隠せよ胸を!
いやいやつっこむ暇があったら俺のほうこそ目を閉じるのが礼儀ってものだけどさー!
羽黒は自分の腹部を両の手のひらで隠したまま、ぴょこん、と飛び跳ねた。
なにか珍しい光景を見てしまったかのような表情で。
すばらしい光景を見ているのは俺の方だけどな!
羽黒楓は、奥深い光を放つ瞳で俺の顔を捉えたまま、何度も飛び跳ねる。
ぴょこんぴょこんぴょこん。
なにこの行動、意味わからん、いやまあうん、パニック状態になっているんだろうけど。
羽黒が飛び跳ねるたびに、黒い髪の毛が宙に踊り、それが羽黒自身の白い肩をくすぐるように撫でる。
そして、本来隠すべきなのに隠されていない、二つのなだらかな丘も一緒に揺れ――
うん、ごめん、揺れてません。
揺れるほどないです。
でも、バインバインと揺れるほどではないけれど、羽黒がジャンプするとその震動でかすかにプルプルプルンと震動して、その柔らかさを示している。
羽黒はお腹を両手で隠したままのパンツ一枚で、ぴょんぴょこ飛び跳ねつつ時計回りに回転して、俺に背中を向けていく。
なんだよ、一回転して全身くまなく見せてくれるのかよ、いやまあ裸を隠すために背中を向けるのは普通だろうけど。
背後から見る羽黒の身体も素晴らしかった。
過不足なく筋肉がついた肩から、女子の割には発達した背筋、砂時計のようにくびれたウエスト、そこから急激なカーブを描いてお尻に続くその曲線。
まさに完璧なシルエットだ。
それに、まっすぐな背骨のラインとくっきりとした肩甲骨、すべすべの肌。
パーフェクトだ。
苺パンツに覆われたお尻は存在感はあるけれど大きすぎず、ぶよぶよとしたところは一切ない。もしその張り詰めたお尻に触ったら、パチンと弾けてしまうんじゃないかと思うほどの張りがある。
羽黒はまだ飛び跳ね続けている。
筋肉のラインを描き出している太もも、それに発達したふくらはぎ。それらは羽黒がジャンプすると、艶かしい弾力性を発揮して、柔軟な筋肉の動きを見せてくれる。
羽黒の筋肉の収縮は見ているだけで楽しくなってくるほどた。
いやなんというか、うん、羽黒って、エロ要素抜きで、いい身体をしてる。
……俺ってばじっくり観察しすぎだろ、でもでもせっかくのラッキーなハプニング、ここでしっかり目に焼き付けておかないと損な気が……。
いやでも羽黒には悪いよな……。
同級生に半裸を晒してしまった高校一年生、羽黒楓は、完全に俺に背中を向けると、ぴたりと飛び跳ねるのをやめた。
そして、「はふ、はふ、はふ」と何度か荒い呼吸を繰り返したあと、実にゆっくりとした動きでしゃがみ込んだ。
背中を向けてしゃがみ込む半裸の少女。
そうすると、今度はまた別にすてきな光景が目に入る。 苺パンツの端から、おしりの割れ目のスジがほんの数センチだけはみ出しているのが見えたのだ。
ぐわーっエッロ!
ごめん羽黒!
ごめんとは思うけど、もう凝視するしかねえよ!
石にでもなったみたいに俺は動けない。
根暗な文学少女にして快活な柔道少女は、パンツ一枚のまま小さく丸まり、自分の髪の毛で顔を隠すようにうつむき、教室にいるときのダウナーバージョン羽黒のか細い声で、
「あの、月山くん、ごめん……」
と謝るのだった。
あれれ、なんで俺の方が謝られてるの?
そこで俺もやっと我にかえる。
「悪い! まじ、悪かった! すまん、ごめん!」
ここまでじっくり裸を観察しておいてごめんもないもんだ、と自分でも思う。
「ほんと、すみません!」
俺は叫んで回れ右、入ってきた入り口から出ていきドアを閉める、くそ、俺は下素野郎だ、羽黒が着替え中だと気づいた瞬間にそうすべきだったのだ。
じっくりたっぷりと羽黒の身体を堪能してしまった、そういう奴だったのか俺は。
なぜか俺が涙目になってきた。
はあ、と大きくため息をつく。
悪いことをしてしまった、そりゃそうだ、柔道部の部室はひとつしかないし、羽黒だってそこで着替えるに決まっているのだ。
男の俺が気をきかせなきゃいけなかったのに情けない。
羽黒には精神的なダメージを与えてしまっただろう。でも女の子の半裸が見られて嬉しいという感情は確かにあって、俺は羽黒にとって嫌な出来事を喜んじゃってる、そう思うと、罪悪感で胸が痛む。
正直、せっかくだから少しでも長く眺めていたいと思っちゃったのは認める!
でも理性が本能に負けてしまった自分自身が情けなくて仕方がない。
比喩じゃなく、実際に胸がグキグキと締め付けられて苦しい。
せっかく羽黒と仲良くなりかけてるのかなと思っていたのに。
しばらくして、柔道着に着替えた羽黒が部室からでてくる。
いつもの羽黒の柔道着姿、今日はポニーテール。
でも、どうも、いつものあの快活少女、という雰囲気はない。
どことなく、教室にいるときの、あの陰鬱な文学少女の影をひきずったままのような……。
おれはその羽黒の前にがばっと土下座して、
「さっきはごめん!!」
と大声で叫ぶ。
「あの……月山くん、あの、……見えちゃった?」
羽黒がぼそぼそと言う。
柔道着姿なのにダウナーな羽黒っていうのも珍しいけど、そんなことを言ってる場合じゃないよな。
「一瞬! 一瞬だけぼやっとだけどでもほら俺今メガネしていなくてもうほんと、もやもやって輪郭しか見えなかったし、一瞬だけだし、もう忘れたし!」
俺がメガネを持っているのも、それを今かけていないのも事実だ。
だが、それは俺の視力が裸眼でも0・6はあるので、授業中以外はあまり必要ないからであって、もちろん一、五メートル先の女の子の裸体くらいはばっちり見えるんだけど、でも見えなかったということにしておかないと羽黒に申し訳なくて仕方がない。
ほかの関係ない女子なら、「ラッキー! 今日の夜のオカズにしてやるぜ!」くらいは思ったかもしれないけど、なぜか羽黒楓の裸となると、そんなふうには考えられなかった。
いやすごく綺麗でエロかったけど、それをオカズにするっていうのは、なんか仏壇や神棚に備えられている果物をこっそりと盗み食いするのと同じような感じで、なんというか罰があたるんじゃないかというか、うーん何を言ってるんだ俺は。
羽黒は耳をすまさないと聞こえないくらいの小さな声で、
「あの……えっと、ノックもなしで入ってきたのはそっちだし、……私、多分、怒っていいところ……だよね?」
「はい! 怒っていいと思います、ごめんなさい! 蹴り飛ばして下さい!」
「うん、そうする……」
羽黒は、ごく軽く、なでるような力加減で、土下座する俺の肩のあたりを足の甲で蹴ると、
「バカ……気を、つけて、よね……」
と言った。
「ああ、悪かった、もうほんと、これから気をつけるから。あと、まじでそんな、ぜんぜん見えてなかったから。俺視力悪いから! 授業になると俺メガネするだろ?」
「うん、そうだよね」
「今してないだろ?」
「うん」
「な?」
「うん」
俺はそのまま土下座を続ける。
「……」
「…………」
数十秒の沈黙ののち、
「うん、もういいよ。練習、しよ。月山くんも道着に着替えなよ」
と、羽黒が言った。
その日、羽黒の調子はぼろぼろだった。
いつもなら俺を気持ちよく無重力にさせてくれる羽黒の背負い投げも、今日に限ってはめちゃくちゃ痛く感じられたのだった。
どすん、どすんと俺の体重をそのまま畳に打ちつけるようで、わざとなのか裸をみられたショックからなのかはわからんけど、まあ、……仕方がないか。
いつもよりも早く、午後五時には、
「今日は、このくらいにしよっか……?」
少し落ち込んだような声で羽黒がいった。
羽黒は宅配ピザショップでのバイトをしていて、いつも六時前には練習を切り上げるのだ。
六時半から八時半までの二時間のバイト。もちろん羽黒は配達するわけじゃなくて、注文の電話を受けたりピザを作る方の仕事をしているらしい。
帰り際。
今度はちゃんと順番に部室に入って一人ずつ着替える。
ま、俺なんか男だからその辺で着替えてもいいんだけどな。
普段は練習終わったあとも、少しだけ羽黒とどうでもいいおしゃべりをしたりするんだけど、今日はきまずいよなあ。
制服に着替え終わり、帰ろうと思った俺の背中に、羽黒が、何かをつぶやいた。
「ん? なんだって?」
「……にそうかも」
「んん?」
「恥ずかしくて、死にそうかも」
「いやいや! 全然見えてなかったし!」
制服に着替えた羽黒は、いつも以上に陰鬱でダウナーな調子で、
「だって……でも少しは、見えたでしょ? けっこう、上から下まで見てたようだし……」
バレてる!
女子は男の視線の動きに敏感だっていうのはマジらしいな……。
「いやいや、見えてなかったから!」
「私、キモい身体してたでしょ?」
「あほかっ!」
思わず叫んでしまった。
「すっげえスタイルよかったじゃん!」
「やっぱり見えてたんじゃん……」
「いやほら輪郭だけ! 輪郭だけだからっ! スタイルがいいってのだけ、分かっただけだから!」
「でもさ、女の子であんなおなかしてるのって、気持ち悪い……よね?」
俺は間髪いれずに返す。
「ぜんぜん! 羽黒、きちんと身体を鍛えていて、腹筋だって割れてるのはすっげえかっこいいと思ったぜ!」
「ほらぁ……メガネなくても見えてたんじゃーん……」
泣きそうな声でいう羽黒。
あ。
失敗した、そうだ、腹筋割れてるのまで見えてたらもう全部見えてたと自白してるようなもんだよな。
「ええと、その……ええとなんつーかかっこよかったのはマジだから!」
「……えっと、ん。……かっこいいって、ほんと?」
「ああ、うん、トレーニングを積み重ねてきたんだなって思って、かっこいいと思った」
「……そう、ですか」
そこで初めて、羽黒は口元をゆるめる。
っていうか、なんで敬語なんだ。
「あのね、それなら、いいのです。……うん。それなら、いいかな。あ、あとね」
「ん?」
「おなかだけじゃなくて、ほかにも恥ずかしいところあったんだけど……」
羽黒はずっと俯いていていて、決して俺と目を合わさない。
まあ制服羽黒はいつもそんな感じだけど。
しかし、この話題は俺もなんだかいたたまれなくなるので、
「いやほら、その話はもうやめにしよう、俺が悪かったし……」
「私のお母さんはね!」
羽黒は少し強い調子で言う。
「はい?」
「私のお母さんは……あの! Fカップ! あるんだから!」
「はあ?」
「だから、だから、私まだ十五歳だからね!」
羽黒はそう叫ぶと、たたっとかけだしていく。
「……ああ、はい……」
お下げを揺らして走り去る羽黒の背中をみつつ、俺は、お前の母親の胸には興味ないんだが、と思った。
なんで自分の母親のセンシティブな個人情報を突然暴露してるんだあいつ。
言いたいことはなんとなくわからんでもないけど、ほんと、あいつ、ずれてるよなあ。
……俺、どっちかというと貧乳派だから、成長しなくてもいいんだぜ……。
それに。
羽黒のおっぱいだったら大きくても小さくても好きになると思うんだけどなあ。
俺は角を曲がって姿が見えなくなるまで、じっと羽黒の後ろ姿を眺め続けるのだった。
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